第6話 カレーライススキーマ
隣の女子大生こと、忍野七海特製カレーを食べて仲良く悶絶した僕と的場。
忍野カレーの脅威を共有できたところで、僕は本題に入った。
「で、本題なんだが……」
「で、で片付けていいことか、さっきの出来事は」
的場は激マズカレーを食べさせられたことについて謝罪を要求しているようだった。
「あのまずさは僕の口からは説明し難かった。食べてもらうしかなかったんだ」
「まあ確かに筆舌に尽くしがたいまずさ、舌が絶えそうな味ではあった……うぇっ」
的場は忍野カレーのまずさがフラッシュバックしたらしく、用意してあったウイスキーを一気に飲んだ。
「余計気持ち悪くならないか?」
「吐くならアルコールのほうがまし……」
的場はしばらく忍野カレーの苦痛に悩まされそうだ。僕は気絶しかけることで、苦しみを一度精算している。
「で、本題なんだが」
「……もういいから話せよ」
「僕はこのチャンスを逃したくない」
「チャンスとは?」
「夢を叶えるチャンス」
僕の108つある夢の一つ。隣の女子大生からカレーをおすそ分けされること。
「確かに君は平素からそのような主張をしていたな」
「僕の平素ってそんなん?」
確かに以前に的場に夢について語ったことはある気がするが、平素からカレーをおすそ分けされたいとか言っているのは少し卑しすぎてはいないか。
「いやらしくもある」
「卑しい気持ちも、いやらしい意図もない。僕はただ純粋に女子大生にカレーをおすそ分けされたい!!」
「それが卑しいし、いやらしいと言っているのだが……。だいたい、もう夢は叶ったじゃないか。忍野さんからカレーをおすそ分けされたのだから」
「あれを食った上で言うのか……」
「まあ確かにあれはカレーとしては尋常ならざるまずさだったが……」
「僕はあれをカレーとは認めない」
他に呼びようがないので暫定的に忍野カレーと呼んでいる。
「カレーはカレーだろう。見た目やにおいはまごうことなきカレーだ。味はともかくカレーとしての形式を保っている」
「でたな、カレー形式主義者め」
* * *
僕と的場はカレー愛好会の同志である。しかしカレーを巡って異なる見解を示すことも多々ある。その最たるものがカレーライススキーマを認めるか否かという点である。
カレーライススキーマとは的場が提唱するカレーの認知に関する概念だ。
そもそもスキーマというのは認知心理学で用いられる用語で的場はこれをカレーライスに援用しようとした。人は蓄積された個別の知識から共通項を抜き出して一般的知識として捉える。その認知過程を示したのがスキーマという言葉だ。
例えば人は日常的に犬や猫を何度も見る。そのうち犬や猫に関する知識が蓄積されていき、ある日、見たことのない犬種に出会っても「あの四足歩行の動物は犬だろう、少なくとも猫ではなさそうだ」と認識できるようになるというわけだ。
これをカレーライスに置き換えるとどうなるか。
的場は、我々はカレーライスを「煮込まれたどろどろとしたものとご飯が半々に皿に盛り付けられているもの」といった相当に抽象的なレベルで認識していると主張する。
彼がそのような考えに至ったのは、たまたま入った中華屋で麻婆丼を食べた時だという。
何気なく注文した麻婆丼が運ばれてきた時、彼はこう叫んだ。
「麻婆カレーだ!!」
その中華屋では楕円形で深めの皿にご飯を盛り付け、米の半分にかかるような形で麻婆豆腐をかけて提供していた。
的場はその麻婆丼を見てどうしても麻婆カレーと呼びたくなり、実際叫んでしまったのである。ひとりで。
その麻婆丼には成分として一切のカレーを含まない。しかし的場はカレーであると思った。だから麻婆カレーと叫んだ。つまりその店の麻婆丼は的場の中のカレーライススキーマを活性化させ、麻婆カレーだと認識されたのだ。
その話を的場から聞かされた僕は。
「は? 麻婆丼がカレーなわけあるかよ」
と的場の主張を一刀のもと切り捨て、そこから三日三晩の激論を交わすことになった。
的場は主張する。食べる側がカレーライスだと認識すればそれはカレーライスたりうる。この主張は的場がかねてから提唱しているカレーライス成立論(食べる側がカレーライスとして食べようとして初めてカレーライスは成立する)と地続きの論である。
つまりご飯にかかっているものが麻婆豆腐だろうが、ハッシュドビーフだろうが、イカスミだろうが、食べる側がカレーライスだと認識し、カレーライスとして食べたなら、そこにはカレーライスが成立していると言うのだ。的場はカレーライスをかなり広く取る。
一方で僕はカレーライスとはあくまでカレーをご飯にかけたものをカレーライスだと主張する。麻婆豆腐をかければ麻婆丼だし、ハッシュドビーフをかければハヤシライスだし、イカスミをかければなんか生臭くて黒いご飯だ。
的場は麻婆丼をみて麻婆カレーだと認識したというがそれは誤認に過ぎない。犬を見て「猫だ」と思っても犬が猫になることはない。
カレーライススキーマを巡る論争は平行線をたどり、結局決着を見ないまま棚上げとなった。
この論争をしていたのは僕たちが学部生のとき、卒業論文を書いていた頃の話である。
* * *
「ともかく、僕は忍野カレーをカレーとは認められない。しかし僕に食べ物をおすそ分けしてくれる女子大生が現れたというのは非常に大きい」
そもそも隣に女子大生が住んでいなければ隣の女子大生からカレーをおすそ分けしてもらうことはできないのだから。
「なんとかして僕は忍野さんにまともなカレーをおすそ分けしてもらいたい」
まともなカレー。
別に特別うまくなくてもいい。こってなくていい。市販のルウを使った普通のやつで。ただそれだけで僕は満足できる。
「そもそも俺は君が、なぜそこまで女子大生におすそ分けされることを熱望するのかがわからない」
「はあ!?普通に憧れるシチュエーションでしょうが!!」
まあ、実は女子大生のおすそ分けカレーに憧れることについて特に深い理由があるわけではない。
ただなんとなくそういうのいいなと思っていた。
しかし、ぼんやりと望んでいたこと、おとぎ話(エロ漫画のテンプレ導入とか)程度に思っていたことが、忍野さんの登場によってにわかに現実味を増したのである。
自分の隣に女子大生が住んでいるという環境。その女子大生がおすそ分けとかする奇特な人間であるということ。
女子大生にカレーをおすそ分けしてもらうための条件が揃った。これを奇跡と言わずなんと言うのか。
隣に女子大生が住んでいるというのはともかく、その女子大生がおすそ分けをするタイプの人間であるというのは天文学的な確率ではなかろうか。
聖徳太子以来の和を以て貴しとなすという伝統がすっかり消え去った現代において、そのような女子大生が実在しているなんて。
この状況をものにしなければ、今後カレー好きとして立っていくことはできない。そう僕は思うのだ。
「的場!!逆に聞くが、カレー好きとして女子大生のおすそ分けカレーに憧れないのか!?」
「うーん。俺は人妻のほうがいいかなぁ」
「……は?」
「……え?」
二人の間に流れる一瞬の沈黙。
まあ、そのパターンもいいよね。
「で、今度こそ本題なんだが」
カレーの話から危うく性癖の晒しあいに移行するところを回避し、僕は本題を切り出した。
「どうすれば忍野さんにちゃんとカレーをおすそ分けしてもらえるか、一緒に考えてほしい」
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