『推し活を一つ減らした者の独白』


 好きな作品があった。


 アニメ化がきっかけで原作を知った。


 ストーリーもキャラクターも良かった。


 生死を賭けた戦いの中で穏やかな日常の大切さ、そしてどんなに罵られたり蔑まれようとも藻掻きながら必死に生きようとする登場人物の描写が良かった。


 粗削りな所があったのは否定しない。それでも要所での一瞬一瞬が鮮やかで眩しかった。


 シリーズ作品で新作が出る度に購入した。コラボカフェにも行った。


 今で言うところの『推し活』である。

 

 時は流れて次回作が発表された。スマートフォン対応のゲーム、所謂ソシャゲである。


 当時はスマートフォンを使い始めたばかりなので直ぐにはダウンロードしなかった。いつしかSNSで話題になり、知人達も遊ぶようになっていた。


 スマートフォンの扱いに慣れた頃、そのゲームをダウンロードしてプレイした。


 ストーリーは面白かった。キャラクターも良かった。課金も程々にした。


 だが次第にそのゲームを遊ぶのがつらくなっていた。


 原点となった作品に熱狂的なファンが居るのを知っていたが、ごく一部のファンが他のファンのゲームに対する批判を許さず攻撃的になっていた。

 

 それと並行するようにストーリーの内容はどんどん雑になり、キャラクターは無条件で主人公に好意を向けてアプローチしていた。


 徐々に制作者側の横柄な態度が目に余るようになった。


 自身が好きだった原作は原点の原形を止めなくなり、悪い部分だけ目立つばかりで良い部分を見つけようにも限度があった。


 怒り、そして呆れたがSNSでは何も発信出来ずにいつしか「現実の方が理不尽だし」とマイナスの感情をマイナスの要素で打ち消すようになっていた。


 心身を蝕むような推し活を続けていたある日、子どもの頃から遊んでいたゲームの新作が発売された。

 

 社会人になっても新作が出る度に購入してプレイしていたが自身の年齢を考慮して区切りをつけて手を出さないようにしていた。


 しかし、その新作に登場したキャラクターがあまりにも鮮烈だった。一瞬で惹かれてしまった。我に返ると『クリスマスプレゼント』と称してゲーム機本体とゲームソフトを買っていた。


 今の時代に合った作風と世界観、人物描写に好感が持てた。暫くの間は新要素に慣れなかったが遊んでいる内に気付けば慣れていた。

 

 気の合う知人とそのゲームについて熱く語り合い、専門店に行ってグッズを買って「また一緒に行こう」と約束し合った。


 久々の推し活に心躍り。心の底から「楽しい」と思った。


 少し経ってからとあるアニメに出会った。三十年前に完結した作品だが根強い人気を誇り、毎年グッズや周年記念などの公式側の動きがあった。その度に新規ファンを獲得していた。


 それが私の推し活のターニングポイントになった。


 何気無く買ってしまったDVDBOXが私に大きな変化を与えてくれた。


 一話目からストーリーに魅了されてしまい、登場する全てのキャラクターが魅力的で心の変化が丁寧に描かれていた。一話、もう一話と夢中で追い掛けいる内に色褪せない面白さと熱さ、そしてキャラクターの信念や生き様に何度も涙を流した。


 当時の価値観は反映されているが制作者側の熱意が十二分伝わる作品だった。


 それだけじゃない。三十年経っても担当された声優の方々が当時の思い出を今も好きなファンのみならず今好きになってくれたファンに向けて様々な媒体を通じて多く語ってくれるのだ。


 憑き物が落ちた瞬間だった。


 今まで抱えていた負の感情は薄れ、私は思い立ったようにアニメも映画もゲームも漫画も小説も含めた多くの作品に触れて多くの体験を積んで前向きに推し活が出来る思考を得た。


 スマートフォンに入れていたゲームとはなるべく距離を置き、待ち続けたストーリーの配信を機にアンインストールした。


 好きな作品があった。

 

 今も好きだが作品の現状は受け入れられない。


 だからこれからも推し活を心から楽しめるように、作品を大切に想うために好きな作品を増やした。

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推しは多ければ多いほど楽しいに決まってるじゃないか!? シヅカ @shizushizushizu

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