第8話 廃都

 最初に彼らが現れた時はのどかな昼だったが、いまはもう夕方だった。

 甲世界と乙世界では一日は同じくらいの長さだが、時間には半日くらいの差があると二人は結論付けていた。

「今日はここで一晩かな? さっき夜があけたばかりなのに不思議だ」

 ルジアは彼の中からそうね、とだけ答えた。

 どこで夜をすごすにしても、乾いた場所と水の便と、何より安全が優先だ。こちらではルジアと話せるとはいえ動けるのは正吾一人なのだ。

「まだ、誰かいる気がする。小鬼たちかな」

「探索の魔法使えればいいんだけど」

「やってみたら? 」

 ルジアはこの状態だと何もできないと思っていた。それをあっさり正吾はやってみたらと言った。

 結論からいえば、使えた。接触してなにかするのではなく、ちょっと離れたところに何か出す魔法なら使えるということがわかった。

 ついでにルジアが甲世界でかなりレベルをあげたらしく、魔力が以前より潤沢であることもわかった。

 探索の魔法は蛍のような疑似精霊を生み出し、指定した範囲を見て回らせるものだった。視界共有のようなことはできないが、帰還すれば見たものは術者が共有することができる。

「テレビの生中継みたいにはいかないのか」

「電波みたいなの飛ばしたら逆探知されちゃうかもね。魔族の中にはそういうの可視化できる変種もいるよ」

 光る密偵も似たようなものじゃないかと思ったが正吾はコメントを控えた。

 光る疑似精霊は蛍のような飛び方はしなかった。人の目線よりだいぶ高いところを大きなジグザグを描いて飛ぶ。木の上に誰かいたら目撃されるが、地上の者には見つかりにくそうに見えた。

「十分くらい待ってね」

 正吾はその間、もらった非常持ち出し袋の中をあらためた。

 長期保存水が五百ミリリットルのペットボトルで八本、水やお湯で戻すタイプのご飯ものやレトルトカレー、大袋入りの堅パンなど食糧、大き目の懐中電灯、携帯トイレ数回分、応急キット、寝袋にもなるアルミの保温シートをたたんだもの、ファイアスターター、ファイアスターター、十徳ナイフ、キャンプ用の小さなバーナーと鍋、折りたたみの小さな太陽電池、そしてラジオ。

「ラジオかぁ」

 スイッチをいれると当たり前だが空電しか聞こえてこない。だが、たまに声のようなのが交じるので正吾は耳をすませた。

「なんだろうこれ」

「わからないわ」

 ルジアもそういうので、気になった彼はラジオももっていくことにしてしまいなおした。

 光が次々にびゅっと戻ってきた。戻って待っているそれを一つづつ消して、見てきたものを術者、つまりルジアが確認した。

 見つかった重要なものが二つあった。

 一つは小鬼たちの集落……跡。岩の大きな割れ目を木の枝や草でかくしたところで、奥は洞窟になっているらしい。だが、その目隠しの枝が乱暴に押しのけられ、割れ目の奥には大きさからいって小鬼たちで間違いない死体がうつぶせに倒れている。

 もう一つはそこから百メートルほど距離をとった岩場で焚火をたいて暖をとっている人間二人。焚火のせいでコントラストが強く、偵察精霊はあまりはっきりその様子を見てとれてないが若い男性とまだ背ののびきってない少年のように見えたらしい。

 小鬼たちの全滅に関係があるのは確かだった。

「どうする? 」

 相談した結果、彼はまず小鬼の集落を検めることにした。使えるならそこらへんよりよほど安全に夜をすごせる。

 ついでに使えそうなもの。特に人里に出るのなら疑われにくい服や貨幣、あるいは換金かのうななにかがあればもっといい。考えていることは空き巣のようなものだが、少なくともこんな携帯の電波もこないところでやっていくことに現代人なら当然の不安もあった。

 携帯の電波というと、ルジアがスマートフォンを持っていた。名義は宿のおかみさん、つまり女神のもので別の意味で使いすぎるからと貸してもらったものだった。

 つかいすぎるというのはつまり何かというと。

「ゲームにでもはまってるのかな」

 正吾の言い当てた通りだった。実のところ、女神のくせに引きが悪く、むきになってきたので夫に諭されてしばらく離れることにしたらしい。

 ルジアが彼の中に入ったとき、持ち物もも持ち込めることがこの携帯の存在ではっきりした。これで甲世界と電波がつながればいいのだが、それは無理だった。

 偵察精霊のいくつかが道案内兼提灯となって正吾は廃墟の崩れた石材を越え、丈の高い雑草をかき分けて小鬼たちの巣窟を見つけた。案外近かったが彼らの甲世界転移にまきこまれるほどには近くもなかった。岩の割れ目と思ったのは崩落した建物の隙間で、どうやら彼らの住処はその奥の無事な部分にあるようだ。

 ここでリュックの中の懐中電灯をつけて彼は奥に進んだ。

 中は思ったより広く、清潔だった。広い部屋の回りに小さな部屋がいくつもあって、小鬼たちの私室や作業部屋、倉庫になっている。広間の中央には大きな分厚いテーブルがあり、食べ物の痕跡のこびりついた食器が散乱していた。そして椅子が乱暴に倒され、床には乾いた血が何か所も広がっている。そこに小鬼たちの死体があったのは間違いないと彼は判断した。乾いた薪が積まれていて、暖炉もある。残った消し炭はまだ新しい。外からは見えないし、海中電灯の電池ももったいないのでルジアに指導してもらいながら彼はなんとか火をつけた。

 水はないかと思ったら、地下室に下りる階段が水没してきれいな水が湧いていた。

「この町は水の手を切られて落ちたそうよ。町の井戸はからっから。それがこっちに漏れてるみたいね」

 腹をこわすのでそのまま飲むな、と彼女に注意されて彼は小鬼たちの使ってた分厚い鍋に水をくんで暖炉の炎の上に出ている鈎につるした。

 重そうな鍋が案外軽いので驚いた。もってきたバットより絶対重いと思ったのに、バットのほうがだいぶ重い。

 小鬼たちの倉庫は荒らされた後があった。武器を集めた場所には短剣くらいしかのこっていなかったし、宝飾品は取りこぼした小さなものが少し残っているだけ。干物や燻製肉などはそのまま残されていた。また、きちんとなめされた革も積み上げてあったし、作業部屋の一つでは小鬼たちの服を作りかけてあった。

 作業部屋には流しもあって、水を流すときちんと排水される。ルジアがこの町は下水が整っていたからそれがまだ機能しているのだろうと判断した。

 湯がわいて飲用の湯冷ましの分をよけたあとに干物を放り込んで正吾は夕飯というか朝飯を用意した。

「そういえば、わたしどうすればいいんだろう」

 食べるために出ていくことはできない。

 だが、その問題はドアをあけるだけで出なければ戻ってしまわないということがわかったので解決した。それどころかその間は彼女のいるところと外は物にかぎって出し入れができることもわかった。具体的には彼の腹に向けて手にもったものを突っ込むとすぽっと入ってしまうのだ。手首から先ははいらなかったが。

 目立つ銀リュックは中にしまわれた。かわりの背嚢を小鬼たちの倉庫から探し出した。小鬼には大きかったらしく、埃くさい。だがかびてもいなかったので暖炉で念のため乾燥させてから当面の分の荷物だけ詰めこむ。

 これでルジアの食事と目立つ荷物の問題は解決した。

 それから彼は銀シートを広げ、休みつつ朝を待つことにした。ルジアが魔法で警報を出す精霊を置いてくれた。何か入ってきたら鈴の音がするという。

 彼は何も聞こえず明るくなるのを期待していたが、それはやはりかなわないことだった。

 うとうとしていると鈴がなったのだ。

 ルジアが騒いで起きた正吾は、頭が大人の一抱えもありそうな大きな蛇が入り込んできたことに驚いた。ちろちろと舌を動かし、臭いを探っている。

「小鬼たちの死体がないと思ったけどこいつね」

「でかい蛇だな」

 正吾はいやそうに言った。心の中では来るなと思っている。

「蛟よ。いちおう下位種だけどドラゴン」

「火でも吹くのか」

「ゴジラじゃあるまいし」

 ルジアは笑う。

「知能の高いのは流暢にしゃべってだましにくるし、関係なく魔法が使えるから注意して」

 蛟が彼のほうを見た。

「これはこれは」

 その声には含み笑いがあった。

「小鬼の生き残りでもあさろうかと思ったら珍客だ」

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千の死と千五百の生 @HighTaka

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