第5話、韻律に関わる「あや」
さて、ここまで韻律についてのお話をしてきましたが、今回は「あや」のうち詩の音楽性に影響を及ぼすものについてお話していきましょう。
まず「休止」。第3話、律動でも出てきた話題なんですが、もう少し詳しく、幅広く解説しますね。
そもそも、何で律動に休止なんてものを挟むのでしょうか? 実はこの技法、琉球文学においては存在感が減ります。琉歌のうち短歌の基本的な律動は「八・八・八・六」、長歌は「八・八・……・八・六」(注25)。末尾の六の他には休止らしい休止がないのです。
私はこれを「日本語は休止によって律動を補助することを選び、琉球諸語は句跨りによって律動を補助することを選んだから」だと考えています。
実は、琉歌の律動の八は「四足す四」の八ではなく「三足す五」または「五足す三」の八なのです(注26)。つまり「タンタタンタンタ」か「タンタンタタンタ」というわけですね。
では、なぜ律動を補助する必要があるのでしょう? 雑に言えば、四足す四の律動はダサいし単調なのです。「タンタンタンタン」ですからね。よっぽど限られた用途でなければ使えないでしょう。
スワヒリ語詩も八音を基調にした律動なのですが、こちらでは律動の代わりに押韻が発達しています。また「四四」で固定なのではなく時折「三五」になったりもする(注27)。それらの点においてリズムの鮮やかさは保証されているのでしょう。
とは言っても、律動を補助する技巧をひとつふたつ加えたところで、律動の単調さが全く消えてなくなるわけではありません。定型詩の単調さは三好達治が『詩を読む人のために』で言及したものでもあります(注28)。
ですが、他に単調さを回避する手段がないわけではありません。むしろ沢山あります。例えば、島崎藤村の『千曲川旅情の歌』、三好達治はこれを支える魅力のひとつは、音素の使い方にあると考えました。例えば「
また蒲原有明の『朝なり』の冒頭の句では「朝なり、やがて
また、部分的に律動を破壊することもその手段であると言えましょう。律動が作品に単調さをもたらしている、でも律動は作品に音楽性をもたらしてくれているから追い払えない、というのなら「部分的に」崩せばいいのです。
拙作にはなりますが『満腹』という詩の一節「もっと、もっと食べたいの/大蒜の香りで酔わせてよ/鳴らせフォークとスプーン/皿のうえ何にも無くなるまで/イヤなこと全部忘れられる」(注31)は七五調スレスレくらいのリズムを狙いました。この作品では体言止めや倒置法なども補助として用いています。
また、前話で紹介した押韻、対句、反復も、うまく使えば韻律に彩りを与えてくれることでしょう。
ここらで韻律に纏わる話は一旦終わろうかと思います。次話では「あや」について話を広げていきましょう。
(注25)「琉歌 - Wikipedia」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E6%AD%8C(2022年3月10日参照)
(注26)(一社) 恩納村観光協会 公式WEBサイト「琉歌大賞 | 【公式】恩納村観光協会WEBサイト」https://www.onnanavi.com/ryukyu-poetry-grand-prix/(2022年3月10日参照)
(注27)注20に同じ
(注28)三好達治 著「詩を読む人のために」(岩波書店 1991年1月16日 第1刷発行)
(注29)注28に同じ
(注30)涌井隆「蒲原有明の詩史的意味」https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/proj/genbunronshu/21-1/wakui.pdf(2022年3月10日参照)
(注31)藤田桜「満腹 - 抒情小曲集」カクヨムhttps://kakuyomu.jp/works/16816700428723200791/episodes/16816927860894188395(2022年3月10日参照)
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