スマホアプリでバーチャル彼女に癒されていたら、遠距離中のリアル彼女から連絡が来て……!?
立川マナ
第1話
「ただいま〜……」
なんて――別に誰かが「おかえり」と返してくれるわけでもないのに。就職とともに一人暮らしを始めて二年……まだ実家暮らしの癖が抜けない。
ぱちりと電気を点ければ、朝、慌てて出たままの散らかった部屋が。
はあ〜……と重いため息が漏れる。
地元で電機メーカーに就職し、何の因果か手違いか、口下手な俺が営業職に。未だに不向きだと痛感することばかりで、日々、心身ともに疲労困憊……だが、なんとか凌いでいる。それもこれも――とりあえず凌げているのは――ひとえに、彼女のお陰だった。
部屋着に着替え、座椅子に座る。ぐったりとしながらも、最後の力を振り絞ってスマホを取り出し、とあるアプリを開いた。すると――、
『おつかれさま、りょーたくん♡』
全回復の魔法のような――そんな可愛らしい声が、殺伐とした六畳一間の部屋に響き渡る。たちまち、疲れは吹っ飛び、凝り固まっていた表情筋もへにゃりと緩む。
「疲れたよー、モナちゃ〜ん」
デレデレになりながらそう応えると、スマホの画面の中で彼女はフフッと微笑み、『会いたかったよ』なんて甘い言葉を囁いてくれる。その声を聞くだけで、俺は何連勤でも耐えられる気がしてくるのだ。
『理想のカノジョがそこに在る』と巷で話題の恋愛シミュレーションゲームアプリ、『ラブリデイ』――その攻略対象キャラクターの一人、高瀬モナちゃん。ピンクの髪を三つ編みに結った愛らしい女の子(十六歳)である。
仕事を終え、こうして彼女の声を聞くのが、今の俺のなによりの癒し……。至福の時だった。
そりゃあ、いい歳した男がスマホに向かって……そこに映る五千ポリゴンの3Dキャラクターに、鼻の下を伸ばしている様は、なかなか薄ら寒いものがあるだろうが。そんなもん、知ったことではない。恥や外聞などよりも、男には大事なものがある。俺にとってそれは、かけがえのない彼女への愛であり……。
――と、そのときだった。
モナちゃんとの逢瀬に勤しんでいたスマホの画面に、ひょっこりとメッセージの通知が。
『今、家?』
そんな一言。
遠距離中の彼女――
ハッとして、いったん、モナちゃんと別れ、メッセージアプリに切り替える。
『家だよ』
ぱぱっとそう返すと、すぐに返信が来た。立て続けに二通……。
『電話していい?』
『声、聞きたい』
* * *
みのりとは高校時代から付き合っている。高校を卒業し、俺は地元の大学に進み、みのりは東京の専門学校へ。そのままお互い、就職し、かれこれ、もう六年も遠距離恋愛を続けている。
『久しぶり……だね』
スマホから聞こえてくるその声は、心なしか、昏く沈んでいた。
ああ、何かあったんだな――とすぐに察した。
「どうかした?」
それとはなしに訊いてみるが、みのりは『んーん……』とごまかすのみ。
『ただ……涼太くんの声、聞きたくなっただけ』
「そっか……」
『涼太くんは?』
ふいに切り返されて、「へ……」と頓狂な声が漏れる。
『涼太くんは……寂しくないの? もうずっと、会ってない』
「ああ……まあ……」
確かに、寂しくないと言えば嘘ではない。
いったい、どれほど会っていないのか。もはや思い出させないほどに、忙殺されてきた。お互いに……。
みのりに会いたいと思う。本当のことを言えば、いつも傍にいたい。帰ってきて、みのりに「おかえり」と言われたい。地元に戻ってきてくれたら……なんてわがままなことを考えることだってある。
それくらい、俺はみのりが好きで。好きだからこそ――。
「俺は……大丈夫だよ」
『大丈夫、て……』とどこか自嘲気味にみのりは言って、『涼太くんは私に会いたいとか、声聞きたいとか……そういうの、思わないの?』
「うん、でも……俺にはモナちゃんがいるから。いつでもみのりの声は聞ける」
あっけらかんとそう答えると、電話の向こうではっと息を呑む気配がした。
しばしの沈黙があってから、きゃあ、と甲高い悲鳴がスマホの向こうで上がって、
『え? ええ……!? まさか……もしかして……涼太くん、『ラブリデイ』やってるのぉ!?』
さっきまでの重い雰囲気が一転。興奮気味に放たれたその声は、いつもよりも何オクターブか上がって、まさに……モナちゃんのそれに変わっていた。
思わず、ぷっと笑みが溢れる。
「いやあ……みのりも、あんな媚び媚びな声が出せるようになったんだな、と思うと感慨深いものがあって。『大好き、りょーたくん♡』と言われるたびに、上手になったな〜と感動してるよ」
『どこに感動してるの!? ああ、もお……』
かあっと顔を赤くして照れるみのりの姿が目に浮かぶようだった。ああ、傍でその様を見たかったな、とも思うけど……悶える声が聞こえただけでも良しとしよう。
声優になりたい、と東京の専門学校に進んで、はや六年。鳴かず飛ばずの時期を経て、とある深夜アニメの脇役で注目を浴び、そこから一気に人気に火がついた。そして、晴れてこのたび、恋愛シミュレーションゲームの金字塔、『ラブリデイ』シリーズのアプリ版最新作の栄えある主役(と俺は思っている)、高瀬モナちゃんの声を担当する運びとなったのだ。
その知らせを聞いて喜ぶ俺に、みのりは『でも、涼太くんはダウンロード禁止! モナちゃんの彼氏になっちゃダメだからね!?』と釘を刺してきた。しかし、俺がみのりの彼氏にならないわけがない。2Dだろうが、3Dだろうが、ポリゴンだろうが、声だけだろうが、関係ない。こっそりダウンロードして、みのりの声にしれっと癒されていたのだ。
『やらないで、て言ったのにぃ……。さすがに恥ずかしすぎ』
「一消費者の購買意欲を制限する権限はたとえCVだろうと無い」
ははは、と笑って
少しは……元気が出ただろうか――。
「俺は……さ」座椅子に深く座り直し、俺は改まって口火を切る。「いくらでも耐えれるよ。そりゃ、会えなくて寂しいけど……みのりは今、夢を叶えてるんだ。そう思ったら、俺も頑張れる」
高校の時から、声優になりたいんだ、て言ってた。少し恥ずかしそうに、『誰にも言わないでね』なんてこっそり耳打ちして。そうやって秘め事のように夢を囁くみのりの声を、あの頃から俺は素敵だと思っていたから。
「今までもこれからも、俺はみのりの一番のファンだ。みのりの声に、この国で一番元気付けられているのは俺だ、て言える自信がある。だから……大丈夫なんだ。たとえ、どれだけ会えなくても……直接、声が聞けなくても……耐えてみせる。――それが俺の推し活だ」
照れ臭いのも押し殺し、はっきりとそう言い切ると、『……そっか』と安堵するような声が聞こえ、
『ありがとう、涼太くん。――大好き』
そっと噛み締めるように囁かれたその声に、どきりと心臓が飛び跳ねる。それは穏やかで優しくて……俺のよく知るみのりの声で。一瞬、スマホ越しだというのも忘れた。すぐ傍に、みのりを感じて……こそこそと夢を語り合っていたあの頃に戻った感じがして……。
たまらない懐かしさと、愛おしさがこみ上げてくる。
ああ、やっぱり、この声が一番好きだな、と思う。
じわりと笑みが口許に滲んでいた。
俺はそっと瞼を閉じ、
「もう一回、言って」
まるで子供みたいに、ニヤケながらそんなことを頼んでいた。
スマホアプリでバーチャル彼女に癒されていたら、遠距離中のリアル彼女から連絡が来て……!? 立川マナ @Tachikawa
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