私と彼女のRESTART

傘木咲華

私と彼女のRESTART

 全部、終わってしまった。


 どこまでも真っ白になった思考のまま、月篠つきしのしおりはとぼとぼと家路をたどる。

 マネージャーと別れてから、もうどのくらい経ったのだろう。


 ――月篠。あのオーディションの結果な。……残念だった。


 マネージャーの重苦しい声が、頭の中でリフレインされる。

 栞はデビュー三年目の声優だ。

 アイドルもののソーシャルゲーム『未来色みらいいろパレット』の緑山みどりやまここね役でデビューを果たし、演技に歌にダンスにラジオと、声優としてたくさんの経験をしてきた。

 でも、アニメのメインキャラクターは一度だけアニメ化した『未来色パレット』だけで、あとは名前のないモブキャラばかり。

 更には『未来色パレット』も一年前にサービスが終了してしまい、栞の仕事は一気に減ってしまった。


 このオーディションが駄目だったら、声優は諦めよう。


 そんな決意で挑んだオーディションも結局駄目で、栞の心はすっかり燃え尽きてしまった。


「……あっ、す、すいません!」


 嫌なことは連鎖してしまうものなのだろうか。

 ぼーっとしすぎていたせいか、自分よりも一回りも小さな女の子と思い切りぶつかってしまった。

 しかも人通りの多い駅の階段で。

 鞄の中身まで飛び散ってしまい、栞は周りに頭を下げながらスマートフォンやスケジュール帳を拾う。


(…………あれ?)


 ほぼほぼ拾い終えたと思ったところで、緑山ここねのラバーストラップが落ちていることに気が付く。

 しかし、そのラバーストラップは自分の鞄にしっかりと付いていた。二つも同じストラップを所持していた記憶はなく、栞は心の中で首を捻る。


「あ、すみません! ありがとうございま……す………っ?」


 ぶつかった女の子が、目を剥いたままピタリと動きを止める。

 視線の先は、緑山ここねのラバーストラップ。

 そして──栞の顔だった。


「もしかして、あなたの……ですか?」

「は、はいぃ……ええと、そのぉ……」


 挙動不審に視線を彷徨わせる女の子。

 緑山ここねを知っていて、栞と目が合うや否や緊張感丸出しになる……なんて。

 そんなの、「ファンです」と言ってくれているようなものだった。


「あ、あの! 月篠栞さん……ですか?」

「……うん、そうだよ。今でもここねちゃんのことを想っていてくれて嬉しい。ありがとうね」


 言って、栞は女の子にストラップを手渡す。

 少しだけ、沈んだ心に光が差し込んだ気分だった。

 でも、ここは駅の階段だ。いつまでも二人で話し込んでいる訳にもいかず、名残惜しいが手を振って去っていく。


 ――いや、去っていこうとした、と言った方が良いだろうか。


「な、何か用かな?」

「……すみません。どうしても、お伝えしたいことがありまして」


 駅の改札を抜けたところで、栞は振り返る。

 そこにはぎゅっと両手を握り締めた女の子がいて、栞は思わず苦笑を浮かべた。


 しかし、その苦笑もすぐに消え失せてしまう。


「私、ここねちゃんが大好きなんです! ちっちゃくて、ドジっ子で、でも誰よりも頑張り屋で、ゲームでもアニメでも全力な姿が眩しくて……! 私の高校生活の支えになってくれたのは、ここねちゃんなんです。だからっ、ありがとうございます……!」


 栞はそっと息を呑む。

 心の中を蝕んでいた「もう終わったんだぞ」という言葉が酷く汚いものに感じられて、栞はただまっすぐに女の子を見つめ返してしまった。


 栞はずっと、女の子のことを中学生くらいだと思っていた。

 それくらい女の子は小柄で、ここねも高校生なのに小さいといじられるキャラクターだ。もしかしたら、女の子はここねのことを自分と照らし合わせて見てくれていたのかも知れない。


「……ありがとう」


 思った以上にか細い声が自分の口から漏れる。

 だって、あまりにも衝撃的だったのだ。

 世の中には魅力的な作品やキャラクターに溢れていて、最初は注目されていたはずの『未来色パレット』もいつの間にか埋もれてしまった。


 でも、女の子はずっとここねを好きでいてくれている。

 彼女が心の支えなのだと言ってくれている。


 それがどれだけ嬉しいことか。

 わからないと耳を塞ぐほど――栞は馬鹿ではなかった。


「さっきも言ったけど、今でもここねちゃんを好きでいてくれてありがとうね。私も、ここねちゃんが大好きだから。彼女の勇気に、私もたくさんの力をもらってきたから。……それを今、思い出せた。だから本当に、ありがとう」


 震える声のまま言い放ち、栞はぎこちない笑みを浮かべてみせる。

 溢れ出そうになる感情を抑えるのに必死だった。

 栞だってずっと、ここねとともにここまで走り抜けてきたのだ。アフレコでも、ライブでも、上手くいかない時はいつもここねのセリフに背中を押されてきた。


 このオーディションが駄目だったら、声優は諦めよう?


 そんなの、オーディションが上手くいくという奇跡を信じて言っているだけだ。本当に諦めたいと思っている訳がない。

 本当は、もっともっと前へと進みたいのだから。


「月篠さん」

「……あー、はは。ごめんね。ファンの子の前でみっともない姿を見せちゃって」


 名前を呼ばれ、栞ははっとする。

 慌てて目元を拭ってから、苦い笑みを零した。


「い、いえ。そんなことは全然……。あの、月篠さん。今日が何の日かわかったり……しますか?」

「えっ……あ!」


 訊ねながら、女の子はコテンと首を傾げる。

 その手にはケーキが入っていそうな箱が握られていて、一瞬だけ浮かびかけたクエスチョンマークが一気に弾け飛ぶ。


「ここねちゃんの誕生日……」


 呟きながら、栞は「まさか」と思う。

 同時に、胸の鼓動が速くなってきた。目の前の現実に期待する気持ちが強すぎて、ふわふわと宙に浮いたような気分になってしまう。


 だって、仕方がないではないか。

 ちょっと待ってくださいねと言いながら開けてくれた箱の中身が、栞の期待に応えてくれたのだから。


「ここねちゃん。お誕生日おめでとうございます……!」


 チョコレートプレートに書かれた『HappyBirthday 緑山ここね』の文字。

 ここねのイメージカラーである緑色を意識した、マスカットのタルト。

 女の子の口から告げられたお祝いの言葉は、まるで栞の向こう側にいるここねに直接伝えてくれているかのようで……。


「ありが……とう……っ」


 栞の感情は、完全に崩壊してしまった。

 ほんの少し前まで、今日流れる涙は悲しいものでしかないと思っていたのに。触れてしまった希望の光があまりにも大きくて、栞の中の弱い心ごと揺さぶられる。


 こんなにも、自分の演じたキャラクターを愛してくれる人がいる。

 その事実が嬉しくて。だけど、少しだけ悔しかった。


 自分が誰よりもここねに助けられてきたはずなのに。

 自分が誰よりもここねが大好きなはずなのに。


(私……ここねちゃんのことも、全部……手放そうとしてたんだ)


 ここで何もかもを諦めてしまったら、再びここねに会うことだってできなくなってしまう。

 諦めなければありえる可能性が、最初からなかったことになってしまう。


 そんなのは嫌だと、栞は強く思った。


「あぁ……良かったです。さっき階段で落としちゃったんですけど、タルトだったのでそこまで大きな被害はなかったです」


 栞の覚悟とは裏腹に、女の子は安堵したように息を吐く。

 彼女のおかげで前を向こうとしているのに、想いを告げられてほっとしたのか柔らかい表情になっている。まったくもって不思議な女の子だ。


「……つ、月篠さん。目が……」


 と思ったら、ようやく栞の目が赤らんでいることに気付いたようだ。

 栞は「大丈夫だよ」と笑い飛ばし、女の子の頭にポンと手を乗せる。


「あなたに出会えて良かった。私、もうちょっと踏ん張ってみる」

「そそ、そんな、大袈裟な……」

「私、あなたとまた『緑山ここね』として会いたいって思うから」

「……っ!」


 女の子が驚いたようにこちらを見つめる。

 その瞳があまりにもキラキラしているものだから、栞は思わず笑ってしまった。


「『お祝いのお言葉、ありがとーです! ここね、この気持ちを一生忘れません!』」


 最後の最後にファンサービスをしてから、栞は女の子と別れる。


 ここねを演じるのもかなり久しぶりだった。

 もう二度と演じることはないかも知れない。そう、ついさっきまで本気で思っていたのに。


 ――絶対、また会おうね。ここねちゃん。


 新たな決意を胸に、栞は前へと進み始めた。



                                     了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私と彼女のRESTART 傘木咲華 @kasakki_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説