133.身体を動かす疲れ方と動かさない疲れ方

 ふと中国の話を思い出した。虎に家族を食べられ、その家族の墓の前で嘆いていた婦人の話だ。そんなに恐ろしい虎がいると知っているのに、婦人は山を離れようとはしなかった。下に下りれば激しい税の搾取に怯えなければならなかったからだ。ひどい政治は人食い虎よりも恐ろしいという故事である。

 今の政治はそこまでひどいものではないと思う。でも俺も、相川さんも、桂木さんも、自分たちを脅かす何かに怯えてここに逃げてきた。相川さんはストーカーが結婚したことで終り、桂木さんも元カレが自分のことなどもうなんとも思っていないことを知り、彼女の中でも何かが終わったようだった。

 俺について言えば、別に追いかけてくる者はいない。ただ俺は地元にいることに耐えられなかっただけだ。婚約を一方的に切られることなんて、他にもそういう目に遭った人はいるだろう。もっともっとひどい目に遭った人だっているだろう。

 でもつらいのは俺で、そのつらさは人と比べるようなものではないと思うのだ。


 翌朝寝坊した。

 タマにのしっと乗られて目が覚めた。その実力行使、どうにかなりませんかね。

 のしっと腹に衝撃が……。


「……ぅぉっ! タマ、おーもーいー!」

「ゴハーン!」

「……わかった。どけー!」

「ゴハーン!」

「わかったってばっ! おーもーいー!」


 なんか重いものが腹に乗っかって目を開けたらニワトリのどアップ。嘴の中は鋭利な歯が並んでいることを知っている。ばくーっとされたら流血沙汰だ。とにかく重いし怖いからどいてほしい。

 やっとどいてもらって、よっこいしょと起き上がる。やっぱり一日出ていたから疲れたらしい。丸一日がんばって山の手入れをしていた時も疲れたが、これはなんかまた違った疲れのように感じられた。往復で約六時間も運転していたのと、慣れない場所に行った気疲れもあるだろう。まだ半年ちょっとしか経っていないのに、実家はもう他人の家のようだった。


「人間の環境適応力ってすげえ」


 そんなことを言いながら小松菜をざくざく切る。味噌汁を作るのに少しもらうが、残りはニワトリたちの餌だ。野菜の皮などもよく食べてくれるが、さすがにタマネギ類やニラ、ニンニクなどはだめらしい。調べてみると意外とあげてはいけないものもあるようだ。でもそのわりにはマムシとか食べてるけど。イマイチうちのニワトリはよくわからない。

 タマとユマはまた卵を産んでくれた。うん、これで俺はがんばれる。うんうんと何度も頷いていたらタマに何やってんだコイツっていうような目で見られた。タマさん、そのツンっぷりがつらいです。昨夜解凍しておいた豚肉を食べやすい大きさに切って野菜と一緒に出した。みんなキレイに平らげてくれたので家のガラス戸を開けた。

 さっそくポチとタマがツッタカターと駆けていく。


「あんまり遅くまで遊ぶなよー」


 と後ろ姿に声をかけて俺も朝食にした。ユマも玄関の外にいるが大概は家の周りにいる。もう9月も後半だ。畑の様子を見て……どうすっかなーとちょっとぼーっとする。やっぱり思ったより疲れているようだ。本当は日帰りするような距離じゃない。そんなことは最初からわかっていて日帰りにしたのだ。


「今日はー……様子を見るだけにするか」


 無理してもしょうがない。畑の様子を見たり、家の周りの草を抜いたりして、あとは昼寝もした。なかなかにいいご身分である。昼寝にはユマも付き合ってくれて、とても幸せだった。俺って本当にうちのニワトリたちが好きなんだなと、適当に写真を撮ってみたりもした。

 で、夕方になって帰宅したポチとタマを洗い、また写真をばしばし撮った。

 さーて、どれか母親に送れるような写真はあるかなーと確認した時、とんでもない違和感に襲われた。


「ん?」


 スマホとにらめっこする。


「んん? さすがに……これはちょっとまずいか……」


 周りの物に比べてニワトリがでかすぎる。いや、それはいいのだ。写真は全然間違ってない。問題は……。


「普通のニワトリの大きさじゃないよな、これ……」


 さすがにこのまま送るのはまずいと気づいた。となると遠近法を利用してコラ画像っぽいのをそれっぽく作るしかないんだろうか。一人でやるには無理がある気がする。それとも背景を消してまんま加工してしまうとか? でもきっと母親のことだから山の様子とかも見たいだろうし……。


「相川さーん!」


 困った時のおっちゃんならぬ相川さんである。おっちゃんはこういうことに詳しくないだろう。


「ニワトリの写真を親御さんに送りたい、ですか」

「ええ、でも……でかすぎるんですよね」

「そうですね。背景が映らないようにするならば方法はなくもないんですが……」

「いやー、でも背景があった方がいいと思うんですよね」


 ああでもないこうでもないと話して、ニワトリは三羽いるのだからわちゃわちゃしているところを撮る、ということと、山の景色はまた別に撮るということに決めた。これならばニワトリの大きさを気にすることはない。


「でも……佐野さんちのニワトリは普通のニワトリとは違いますから尾とか、足元は写らないようにした方がいいと思います」

「あー……そうですね」


 そうか、あの尾とか、足元も写ってたからニワトリじゃないと思ったんだな。正気に返らないで送ってたらえらいことだった。


「ありがとうございます。助かりました」

「いえいえ。また何かありましたら言ってください」


 本当に相川さんには頭が上がらない。絶対足を向けて寝られないなと思うのだ。いい写真がなかったのでまた明日撮ることにした。明日は桂木さんちにいつ行くか相談をしなければと思った。



ーーーーー

苛政猛虎 苛政(かせい)は虎よりも猛(たけ)し 出典:礼記 檀弓篇

佐野君は連想しただけですが一応。

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