95.山の上はそれほど暑くない。でもやっぱ夏。
「それじゃあしょうがねえな」
桂木さんの件を電話で伝えると、おっちゃんは苦笑したようだった。
「事情はよくわからねえが、焦らせないでやってくれ。……全く、今の若い
……何か問題があったから山に逃げてきたけど、みんながみんな深刻なわけではないと思う。希望に燃えて移住する若者だっているだろう。でもストーカー被害とか、元彼DV問題とかに比べると俺って軟弱なのかなとかも思えてしまうのだった。思い出すだに胸はまだしくしく痛むのだが。
「すみませんがよろしくお願いします」
「こっちはいつでもいいからよ。飲む口実がほしいだけだしな~」
そう言っておっちゃんはガハハと笑った。大雑把なようだがおっちゃんのフォローはなかなかに細やかだ。本当に頭が上がらない。
そんなわけでごみ拾いウォークの打ち上げは延期になった。彼女抜きでやるってのもなんか違うし。だが別にそのことを彼女には伝えなかった。プレッシャーに感じても悪いし。天岩戸から出てこれるようになったら伝えればいい。え? 天岩戸じゃないだろうって? イメージだよ、ほっとけ。(誰に弁明しているのか)
それから、二、三日に一度買い出しを桂木さんに頼まれる他はいつも通りだった。買った食材などは麓で受け渡しをした。
「寄って行きませんか?」
と言われたが断った。なんだか桂木さんの目が縋るような色を湛えていたからだ。なんか寄って行ったら家の中に連れ込まれそうな気がした。そうなったら我慢できる気がしない。責任も取れないのにそんな関係になってはいけないと思った。
俺はヘタレでいいのだ。今のところは自家発電で十分である。ちら、と相川さんにどう処理してるのか聞こうかと思ったが首を振った。うん、忘れよう。
それにしてもタマとユマの卵がうますぎる。これは至高の卵だ! と毎日感動している。
これを是非誰かに食べさせて絶賛する仲間がほしい。
というわけで相川さんにLINEを入れてみた。
「タマさんとユマさんの卵ですか? 是非食べてみたいです!」
すぐに返事があった。
そうだろうそうだろう。うちのかわいいニワトリたちの卵だ。絶対に食べたいだろう。うんうんと頷いていたらニワトリたちにじーっと見られていた。なんでそんなにアナタガタの目は冷たいんでしょうか。泣くぞ。
「一回り以上大きくて味も濃厚なんですけど、なんかいい調理法ありますか」
と送ったら卵とトマトの炒め物はどうかと返ってきた。それと、
「明日お伺いします。なんでしたら調理は僕がします」
とも書かれていた。相川さんの本気を見た思いだった。
卵とトマトの炒め物というと中華だろうか。それだけ本人に作ってもらうとして、他のメニューはどうしようかと思っていたら、ごはんだけ炊いておいてほしいとも入っていた。
「……押しかけ女房?」
と呟いて違う違うとぶんぶん首を振った。なんか暑さで頭がバカになっている気がする。
「明日相川さんが来るみたいだ」
ニワトリたちに伝えたら何故かタマにつつかれた。
「痛い! 痛いって! それはしょうがないだろ!」
どんだけリンさんたちが苦手なのか。実害が全くないのに苦手には付き合えない。
「相川さん、タマとユマの卵を食べにくるんだってさ。あげていいんだよな?」
「イイヨー」
「イイヨー」
タマとユマが即答してくれた。そこは即答するんだな。
「ありがとう」
ポチを見やると俺には何も関係ないもんねって体だった。お前には子孫を残そうという気はないのか。それとも迫ってもフラれまくっているのか。よくわからないところである。
相川さんが中華料理のメニューを書いてくれたおかげで頭の中が中華料理でいっぱいになった。
翌朝、はっと思い出してバケツを持って川へ走った。もちろんニワトリたちも一緒である。
……あれだけ捕ったのにどこから出てくるんだろう。来年は少なくなってることを希望する。
水はキレイでもこれじゃ魚が川に戻ってこないじゃないか。
「あれ? でも今日は直接来るんだから用意しとかなくてもいいんじゃないか?」
バケツ半分までアメリカザリガニを捕ってからそのことに思い至った。うん、間違いなく暑さで頭がイカれているらしい。それに加えて桂木さんから買い出しリストが入っていた。
「夕方でいいかな」
「忙しいのでしたら明日で大丈夫です」
「相川さんが来るから」
「うちに連れてきてください。食材も一緒に」
「無理」
というやりとりをLINEでした。うん、桂木さんが山から出てこない以外は平和だ。なにはともあれ平和が一番である。
バケツの上に蓋をして、ため息をついた。
基本山の上はそれほど暑くはなっていない。でも夏は夏である。8月も終わりだから残暑ではあるが気分的にはまだ夏だ。
「やっぱ暑いんだよなー……」
麓の村に下りればもっと暑い。この暑さの中地元に戻れる気はしなかった。夏でこの気候なら冬はどうなってしまうんだろう。カチンコチンに凍っているかもしれない。そんなことを考えている間に相川さんの軽トラがやってきた。助手席にはリンさん。
いつも通りである。俺は余計なことを考えるのをやめ、手を振った。
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