え、だってみんな、努力なんてしたくないですよね?

縹麓宵

いつつめの季節

「あれ?」


 視界の隅に入ったリクルートスーツと、音楽の合間を縫って聞こえた声に顔を上げた。コーヒー片手に立っていたのは高校の同級生だった。といっても、就活の序盤に説明会で再会していたので、会うのはほんの数ヶ月ぶりだった。


 それでもって、単価が一番安いコーヒーチェーン店で、リクスーを着て、昼食には遅く、おやつには早いなんて中途半端な時間にコーヒーを飲んでるなんて、どういう状況かすぐ分かる。気分転換もしたかったので、ちょっと腰を上げて、向かい側の椅子に置いているカバンを自分の隣に移した。


「お、座っていいの」

「いーよ。どーせあと一時間くらい暇だ」


 席を立たなくていいようにのんびりと飲んでいるコーヒーと、テーブルの上に立てたタブレット。コーヒーはそのまま、タブレットだけ立てるのをやめて、ただ平面にして置いた。すると、タブレット画面をのぞき込んだ友達は顔をしかめる。


「お前……何してるのかと思えばゲーム実況見てるだけかよ。就活対策しろ、対策」

「だって、対策することなんてねーじゃん。大体どこも同じこと訊くし、そうじゃなかったらその場で考えるしかねーし」

「それを考えておけって話してるんだよ」


 真面目な気質のソイツは手帳を取り出す。開かれたそこには、説明会でメモしたのであろう情報がびっちりと書き込まれていた。ついでにスケジュール帳を見れば、説明会の文字がいくつか踊っているのが見える。


「あのさ、K社から連絡来た?」

「あー、うん」

「いつくらい?」

「……一昨日かな」

「マジかー、駄目だったか……」


 同じ業界を受けていると、二次面接に進んだ進まないが友人同士でばっさり分かれる。それは仕方がないことだった。


「面接何個くらい行った?」

「えー、何個だ……数えてねーけど、十個は行った」


 説明会段階で書類選考があるので、面接に行った個数はそれだけでステップを進んでいることになる。テーブルを挟んだ向こう側で「そっか……」と消沈した声が答えた。


「そのうち二次は?」

「大体通ってる」

「お前、やっぱすげーよな。俺、殆ど一次で落とされてる」


 ストローでアイスカフェラテのグラスを混ぜるソイツは、浅い溜息を吐いた。どうしようもないことが分かっているかのように。


「やっぱ学歴かな……」

「さぁ、あんま関係ないんじゃね。会社から見て合うタイプとか、あるし」


 といいつつも、まあそうかもしれないなという気持ちはあった。学歴があったからどうというわけではないが、学歴があるほうが優秀な確率は高いに決まってる。その意味では、ある程度のハードルを越えてしまえばそれ以上選考を左右することはないかもしれないが、逆にハードルを越えなければ書類選考で次々と落とされ、顔を見てもらえることすらない。


「そういえば聞いた? O社は顔選考って」

「マジ? 俺がインターン行かせてもらったの、顔が良かったからかな」


 おどけてみせると鼻で笑われたので「つかそれ何情報」と続きをうながした。


「イケメンだらけだったから、友達が採用基準聞いたんだって。そしたら頭と顔って」

「クソ分かりやすくて逆に好きになれる」

「所詮世の中顔か……」


 友達は、今度は幾分いくぶん深い溜息を吐いた。


 彼はとても真面目で、優しくて、努力家で、進学先の大学では良好な成績を収めていて、内面に関しては太鼓判たいこばんを押せるのだけれど、いまいち覇気はきがないというか、どことなく暗い雰囲気のある人で、いい第一印象を与えるタイプではなかった。仲良くなると彼の良さはすぐに分かるし、彼を悪く言う人なんていないのだけれど、書類選考なんてものでそれが人事に伝わるはずもなかった。


 ただ、就職活動にのぞむ以上、紙切れでそれを伝えることくらい当たり前だと言われても仕方がない。


「まぁいい顔写真使えとは言うしな。でも書類通ってしまえば頑張って喋れば、な?」

「……お前はさぁ、なんていうか、マジで要領がいいよな」


 俺が気を悪くしないように「めてるんだけど、これ」と一言付け加えてくれた。そんなことをされなくても、彼がそんな嫌味を言う人間でないことは知っていたので、不快になんてなりようがなかったのだけれど。


「高校のときからずっとそうだ。全然勉強しねーのに、ひょいひょいって階段を上っちまう」

「そんなことねーよ」

「そんなことあるよ。勉強してねーってホラ吹いてるがり勉と違って、お前がマジでどんだけ勉強してなかったか、同じ予備校の俺はよく分かってるよ」

「でも勉強と面接は別じゃね」

「でも実際、面接の印象とかもいいわけじゃん、内定貰ってるし」

「そりゃあれだよ、スイッチの切り替えだよ」

「スイッチ?」

「あぁ。あるだろ、いわゆる余所よそ行きの顔」

「あー……」


 少し困ったように、くぐもった声で友達は答えた。


「まぁ、意識はするんだけど……。中々、さぁ、俺もはきはき喋りたいけど、ちょっとこもった声だし」

「それは仕方ねぇよな」

「就活の前に発声練習でもするべきだったかな」

「はは、だったら俺は整形する」

「男なら清潔感でもいけないかな?」

「あ、確かに」


 そんな話をした後、俺が先に席を立って、次の面接に向かった。


 今日の面接は、その友達が一次選考で落選したT社の最終面接だった。


 指定された時刻にT社へ向かい、会議室に通された。会議室は、テーブルがロの字型に並んでいて、定刻になると、俺一人に対して、向かい側にずらりと十人のお偉いさんが並ぶ。もちろん初めて見る顔ばかりではなくて、一次面接からずっとリクルートを担当している人もいた。


「では、まず最初に自己紹介をしていただけますか」

「はい。僕は──」


 本当は社風に合わせて変えるべきかもしれないけれど、俺の自己紹介はどこでしても同じだった。たまに忘れたり、しゃくを長くとられて変えることもあるけれど、その程度だ。


「出身は九州、就職は東京ですか……。地元から離れることに抵抗は?」

「ありませんし、東京で働きたいと考えています。理由は──」


 生まれ育った九州で就職したいと思わないんですか、とは度々訊かれた。だからやっぱり、答えることは同じだった。


「中学高校はサッカー部、大学はヨット部ですか。これはなぜ……経験があったわけではないですよね?」

「ええ、ありませんでした。偶然、大学でよくしてくれた先輩がいまして、その先輩に誘われ、部の雰囲気も好きでしたので、ヨット部に入ることにしました」

「大学から新しいことを始めるのは抵抗があるんじゃないですか?」

「確かに不安がないと言えば嘘になりますけど、新しい物事に挑戦するときの面白さというものがありますから」


 そりゃあれだよ、スイッチの切り替えだよ──。


 新しい物事に挑戦する面白さなんて、ないとは言わないけど、そうとりたててあるものではない。なぜ新しいことをするかと言われたら、ただ俺が飽き性だからだ。端的にぐうたらな俺は、一つの物事をこつこつとすることに向いていない。初心者が触れてちょっと楽しいと思えるくらいが俺の楽しさの絶頂といえばそうで、それ以降はいつ飽きるかの勝負になってしまう。


 ただ、そんなことはもちろん面接で言えば一発アウト。だから中身のない、上辺だけの言葉を、明るく綺麗に並べ変える。それがスイッチの切り替え。


「最近、某有名企業の会長が解任されたよね。あれ、どう思う?」


 どう思う、って、どうよ。あまりに抽象的な質問に、内心でだけ顔をひきつらせた。


「彼が経営のV字改革を行った際は、やり手だなぁと感激しましたので少し残念です。ですから、彼が今回逮捕された経緯について興味があって個人的に調べたんですけれど……」


 しいて一つしている典型的な就活対策といえば、新聞を読むことかもしれない。とある仲の良い先輩は新聞を読むのが日課なので、読んだほうがいいとは言えないと笑っていたけれど、面接対策として読むべきなのはヤバイ就活生以外分かってる。だから毎朝、ぼーっと食パンをかじりながら、一面、二面、三面、と目を通し、頭の中でトピックのポイントとプラスマイナスと意見を整理する。


 私生活なら、絶対こんなことしない。社会経済に興味なんてない。社会経済を動かすお偉い官僚にも政治家にも、大手企業の役員にもならない俺がそんなことを知っていたところで、何をどう変えられるわけでもない。そうなると興味なんて持つわけがない。


「趣味、読書と旅行……。読書とは具体的に?」

「基本的に小説が多いです。最近の流行りですと池井戸潤、少し古いですが山﨑豊子」

「確かに、山﨑豊子は渋いねぇ」

「沈まぬ太陽が好きでして、ドラマも見ました」

「君、本当に二十一歳? 年齢詐称してない?」


 それは私達の世代だよ、とお偉いおじさんが笑う。


「ドラマって、借りて見たの」

「はい、さすがにリアルタイムでは……」

「だろうねぇ。大衆から社会派までって感じだけど、文学で好きなのとかある?」

「芥川は幼い頃からとても好きです。コメディもあれば、ニヒルな話もある感じで。あとはチェーホフです」

「へぇ、じゃあ『桜の園』?」

「はい」

「それは何で読んだの。課題?」

「いえ、『斜陽』を読んだときに、実はあまり好きになれなくて。題材になっているほうも読んでみようかと思ったのがきっかけです」


 面接は、回を重ねるごとに、ただの雑談になる。難しい話なんてしない。知識なんて求められない。友達は答えにきゅうすると眉間に皺をよせていたけれど、序盤さえ切り抜ければそれでおしまい。


 だって、作家の名前を答えて「渋いね」なんて笑われるこの有様だ。ドラマ見たとか、どーでもいいだろって話だ。外資金融に務める姉に自分の面接の話をしたら「なんちゃって面接じゃん」なんて笑われた。その通りだ。


 ただ、雑談とはいえ、面接ではあるから、ネタはもちろん選ぶ。正直、活字が好きなわけではない。漫画が三度の飯以上に好きだ。でも愛読書でJから始まる雑誌を答えたら「は?」なんて空気が凍るに決まってる。あとはお偉いさんの年が両親と同じくらいだということを考えれば、両親の書斎にある本を適当にぱらぱら読んでおくのは良策だった。


 そんななんちゃって面接は数十分で終わった。


 真面目な質問といえば(含めていいのか分からないけど)自己紹介と、東京で働きたい理由と、部活くらい。あとはただ雑談をして終わった。本当に雑談だ。お偉いさんが一人読書家だったらしく、読書の話が結構盛り上がったし、旅行にしたってお偉いさんの出身地を引き当ててしまったのでこれまた盛り上がった。


 因みに旅行も趣味じゃない。趣味欄に読書しかないと内向的な印象を与えるから書いてるだけだ。でも旅行は好きなので嘘ではない。


 ビルに覆われる空を見上げてひとつ、溜息を吐いてから、駅へ歩き出す。なんちゃってばかりとはいえ、お偉いさん方を前に喋らされて、疲れていないといえば嘘だった。


 さすがにこんな日は糖分が欲しいな……と、電車に揺られながら、最寄り駅のすぐ近くにあるカフェに入ってケーキを食べることに決めた。どうせおやつの時間だし、たまにはよかろう。


 そうして、最寄り駅まで帰ってきた後、目当てのカフェに入ってみれば、私服姿でコーヒーを飲みながらパソコンを打ってる親友を見つけた。1年の期末試験のときに、俺のことを「マジで勉強しねーけど、お前マジで頭良いな」と褒められてるのか褒められてないのかよく分からないコメントをしたヤツだ。


 その隣に座れば、親友は怪訝な顔でこちらを見て、俺だと気付いて「お」と声を上げる。


「面接?」

「あぁ」

「おつかれー」

「どもー」

「それでケーキか」

「あぁ、なんやかんや頭使うからな」


 そう溜息交じりに零しながら、ミルクレープにフォークを刺した。


「どう、調子は」

「あー、内定二つ」


 コーヒー店で会った友達はまだ内定がないと嘆いていたので、誤魔化していた。


「え、なんでまだ面接いってんの」

「二つとも激務なんだもんよー」

「いーじゃん、働け働けー」


 まるっとした顔でそうあおる友達は、大手企業に内定を貰っていた。初任給が一千万円を超える代わりに超激務だと有名な企業にだ。働きたくない俺は、そんなところはこちらこそ願い下げです、とエントリーシートを出さずに終わった。


 はーあー、と首を回し、自分で肩を揉みながら、浅い溜息を吐いた。


「やーだなー、働きたくねー。一生学生してたい」

「わかるー」

「楽して金稼ぐ方法ないかな」

「株やれ、株」

「堅実に楽してお金稼ぐ方法ないかな」

「ねーよ、諦めろ」

「あー働きたくねー……と」


 突然スマホが震えたので手に取ると、T社からメールが来ていた。件名は『採用内定のお知らせ』。


「内定一個出たわ」

「お、おめ」

「さっき行ったばっかなのに」

「マジ、そんな早くくれんの」

「結構採用急いでるっぽかった」

「つかどこ?」

「T社」

「普通に大手じゃん。就活まだすんの?」

「するよー、話聞いてる感じ、ここ結構ハードだぜ?」

「そんなに働きたくないのかよ」


 ケタケタと、親友は笑う。


 ──要領がいい、と、昔からよく言われる。実際そうだと思う。だからモットーは“三割の力で七割の成果”。


 頑張りたくない。努力とかいうものはクソほど嫌いだ。努力しないでできるにこしたこたぁない。でも残念ながら努力しないで十割の成果を出せるほどの才能は俺にはない。代わりに三割の力で七割の成果を出す才能はあると自負している。


 七割というのは、世間的に“可”“良”の評価がつく成果だ。“優”でも“秀”でもないけれど、まぁよしとされる成果。ずば抜けて優秀でなくとも、そこそこに優良。それを三割の力で得られるのであればまぁよし。


 お前のツイートって人生のやる気感じねーよ、と誰かに笑われたことがあった。その指摘はそこそこ的を射ていた。


 漠たる時間の横たわる人生は、あまりにも曖昧あいまい模糊もこで、計画を立てるにはちょっとばかり労力が要る。何も考えずに生きていきたい俺には非常に似合わないものが、生まれたときに与えられている。それを就職活動をして──社会に出る必要性を突き付けれて──目の当たりにした。


 小中学校は校区内に進学した。高校は友達が一番沢山行くところにした。大学は、適当に勉強していたらそこそこ良い国立大学にそこそこいい判定がでたので、そこに的を絞って、見事に射た。周りの友達が「あの大学のこの学部には」「あの大学の卒業生は」「あの大学のある場所は」と目を輝かせる中、「偏差値が丁度いいから」。クソみたいだ。今でさえ、回想の友達の話に具体性を持たせることができないくらいには俺には何もなかった。何も考えずに楽できる方向にだけ進んだ。


 就職活動を始めた俺が考え始めたことは“何も考えずに生きたい”ので“組織に飼殺されて終わりたい”だ。高給でも激務に倒れるとか無理無理、頑張りたくない。リストラとかマジ勘弁、転職とかいう頭捻ることしたくないから定年まで働かせてくれ。


 だから、そこそこの手抜きはしているものの、はしにも棒にもかからない企業に勤めるのは怖かった。福利厚生の安定は欲しかったし、倒産するなんてもってのほかだった。このときだけちょいっと努力して将来的に楽をしたいから。まぁどんな優良企業でも一寸先は闇なんてマジレスはさておき。


「寧ろお前はよく働くわ。大体終電だろ」

「まぁーねぇー。でもまぁ分かってたことだしなー」

「見たくない現実から目を逸らして生きていきたい」

「のわりにめちゃくちゃ現実見るよな、お前」


 その通りだ。ミルクレープを口に運びながら顔をしかめる。


 残念ながら、俺はずば抜けて頭が良いわけではなかった。でも代わりに非常に残念なことに、全てを投げ出して遊び続けてまあ親に寄生しとけばいいでしょなんて思えるほど馬鹿でもなかった。


 結局努力しないと手に入らないものがあることは分かってるし、働くことから逃れられないのは分かってるし、投資だの賭博だの確率論を捨てることのできないものに手を出すのはきっと怖くて一生できない。


 でも、どうしてもこうしても、俺は何も考えずに何もしないでぐうたらと生きていきたい。


「あ、そうだ、内定保留の返信しなきゃ」

「結局保留するんかい」

「明日最終面接のとこが結構ホワイトそうだから、どっちかいったら明日のほうがいい」

「働きたがらないなぁ」

「当たり前。こうしておやつの時間にケーキを食べれる平日もなくなるんだぞ」


 アイスコーヒーで少し甘味を取り去ってから、タブレットを掴んで返信の準備をする。ミルクレープの皿とアイスコーヒーのグラスが載ったトレイを少しずらして、タブレットをテーブルに立てて、メールの返信画面を開く。


 その様子を見ながら、親友は笑った。


「って言ってるけど、本当お前、仕事できそうってか、できるんだろうなぁ」

「神様も残酷だ、こんな怠惰な人間に仕事の才能を与えてくれたって、才能の二割も発揮しないで人生終わらせるぞ」

「自慢しながらクソみたいな断言するな、そこ」


 できれば、淡々と処理ゲーのような仕事をしていきたいと考えているけれど、そううまくいくだろうか。そもそも、たまーにうっかり「やりがい」なんてものを考えてしまうこともあるけれど、そんな風に魔が差すことなく働いていけるだろうか。


 いずれにせよ、大学を卒業してしまったら、今までとは違う、知らない春がやってくるんだろう。


「あーあ」


 一言で形容すればクソみたいな若者。世の中に対する現実感も危機感も持たず、のんべんだらりと生きていくことを良しとし、じじばばに「今時の若者は」と恰好の的にされる存在。


 こんな俺を主人公にえられた人生もさぞ嘆いていることだろう。もっと生きる気に満ち溢れたヒーローがよかった、と。


 残念ながら、そんなのは漫画の中だけだ。


「働きたくねぇなぁ」

「諦めろ諦めろ」


 親友がコーヒーカップをテーブルに置けば、カラン、と空っぽの音が響いた。


「俺達の青春は、もう終わるよ」

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