【KAC推し活】推しのいる生活

風瑠璃

虚構と現実の狭間

「お先に失礼します」


退勤時間。予定通りに仕事を終わらせられたことにホッとしながら職場を出ようとする。仕事が終わり、弛緩しきった空気の中に響いた私の声に何人かは反応があった。


「ちょっと、ストップ」


足早に帰ろうとする私の前に立ちはだかる同期の白取 しらとりさん。長い髪をかきあげ、つり目がちな瞳で私を見つめてくる。

背の高い彼女に見つめられると脅されているような気分になってしまう。当人にそんな気持ちは欠片もないことは知っていても、心はなかなか変わらない。

強ばる体。数秒かけて復活し、首を傾げて見せた。


「えっと、何?」

「今日こそは飲みに行きましょ。麗奈れな付き合い悪すぎるし」

「今日も無理かな。推しの配信が待ってるし!」

あかつきさんを誘ってもダメだって。ココ最近はずっとそうじゃん」


ケラケラと笑うのはこれまた同期な山永やまなかさん。同期三人で飲み会をしようという話なのだろう。あんまり興味を引かない。仲が悪いわけではないし、少し前までは普通に付き合っていた。それがなくなったのもここ数ヶ月の話。推し活を始めてから他の人に回す時間が取れなくなっているのだ。


あかつきさんが来るなら行きたいって人も何人か居るんだよ? ほら〜色々と積もる話もあるでしょ?」

「その飲み会はなぁ」

「せっかくだから交流を深めたほうがいいでしょう。連携は大事って昔はよく話したじゃない」

「でも、推しが大事!」

「はぁアーカイブ残るんだからリアルを優先しなさいよ」


まぁまぁと宥めてくれる山永やまなかさん。小柄で愛嬌のある顔立ちの彼女がウィンクしてくれる。同性の私でもドキドキするようなその仕草は異性がやられたら恋に落ちる人が居てもおかしくないほどに愛らしい。

小柄な体には似合わない大きな双丘で白取しらとりさんの腕をホールドし、引っ張っていってくれる。


付き合いの悪くなった私を誘ってくれるのは本当にありがたい。だけど、私の時間は推しに侵食されてしまっている。推しがいなかった時には考えられないスケジュールに笑みを零しながら、スマホを取り出して配信予定時間を確認する。


うん。今からならご飯を買っても間に合う。早く帰ってパソコンの前で準備しなくては!!



ちょうど鉢合わせた宅配便のお兄さんに荷物を受け取って、借りているマンションの一室に入る。

ただいまと推しのアクスタや缶バッチを飾っている神棚に手を合わせてからパソコンを起動させる。

その間に着替えや化粧を落としたりと身支度を整え、ちょこちょこと必要な操作をしていく。


届いた荷物を確認すると、前に買った記念グッズだ。サイン入りのポストカードやバックが入っている。

広げて一通りわ〜って騒いでから必要なものは神棚へ。バックは普段使いとして荷物を入れていく。保存用にもう一つ買っといてよかった。


荷物を片付けてから、家事を鼻歌混じりにこなし、動画配信サイトにアクセスするとちょうど枠が開いたのか、お知らせが流れていた。

あと少しで始まる。

今日の配信内容をもう一度確認してから、SNSにリアタイできることの感謝を書き込んでヘッドホンを付けた。

昔はイヤホンだったけど、こっちに変えたら凄い音質が良くなった。いい声をいい機材で聴きたくなる。推し活を始めて変わったことの一つだ。


推しの声を聴かない日はない。毎日何らかの形で推しの声を耳に入れる。歌ってみたやオリジナル曲。配信アーカイブ。リアタイできない時でも必ずやっていることである。


コメントを見ながら、ドキドキと配信が始まるのを待つ。もうすぐ。もうすぐと画面を食い入るように見つめていると、蓋絵が取られていつもの推しが挨拶をしてくれる。

コメントに挨拶を残し、ゲームの実況を笑いながら見る。一時間二時間は簡単に溶けてしまう。配信が終わった時にはいつも笑顔だ。

楽しい時間をありがとうとスーパーチャットという名の投げ銭をする。


次は誰の配信を見ようかなとSNSを確認して、雑談配信をするらしいメンバーを発見したのでそっちに移動する。

雑談は耳だけ集中していればいいので作業にピッタシだ。推し活用に買った羊毛と針を取り出して、画像をスマホに載せる。

絵が描けない私が好きやお礼を伝える方法は少ない。お手紙は何度も出したけど、まだ足りないと思った私が手を出したのは羊毛フェルトだ。

手芸は好きだったから、思いの外手に馴染む。針を羊毛に刺して形を作る。推しへの愛を込めて丁寧に丁寧に作っていく。

耳には推しの声。最初は一人だったのに、気づいた時には箱で推すようになっていた。

みんなの違う良さを知る度にああ。推しだとなってしまう。

見たいアーカイブは山のように貯まり、時間はいくらあっても足りない。技術があるなら切り抜きとかも作りたいと思ってしまうが、なかなか手が出ない。


勉強しないとなぁ。


気づいた時には、深夜の二時。ようやく完成した作品をSNSで投稿し、眠りにつく。

推しが喜んでくれたら嬉しいことだけど、見ていない可能性のほうが高い。ハッシュタグは付いていても毎日山のように投稿がされるのだ。認知されようと思うのは烏滸がましいことだろう。



目が覚めると、投稿した画像にハートがたくさんついていた。いつもよりも多い数に目を丸くしてしまう。

なんでなんでと確認すれば、推しがハートを送ってくれた上で拡散してくれていた。


喜んでくれてるんだ!


興奮しながら、スマホを抱きしめる。

届いた想いに気分を高揚させながら、ルンルンで会社に向かう準備をする。

今日はいい一日になりそうだ。


「おはようございます。えっ?」


元気に挨拶して部署に入る。

部屋の中が、見て分かるくらいにどんよりとしていた。

もしかして、遅刻した?

慌てて時間を確認する。いつもよりも早いくらいだ。推しのバックとルンルン気分のせいで早足になっていたのかもしれない。


「何かあったの?」

「あっあかつきさん。ちょっと部長がね」


山永やまなかさんに声をかける。あははと笑いながらこっそりと部長を指さした。

どんよりとした空気の中心なのか、デスクに突っ伏してブツブツ何かを言っているようだ。

呪詛かな? と思わせるような雰囲気で近づけない。


「まだ回復してなかったか〜ここまで引きずるなんて、相当ショックだったのかな」

白取しらとりさんも知ってるの?」

「昨日の飲み会でのことだからね。部長を誘ったのは失敗だったかも」


部長すら誘って飲みに行くなんて本当にアクティブな人だ。

こういう人だから色々とお願いされたりするのかもしれない。私とは大違いだね。


「飲み会で、何かあったの?」

「推してるアイドルグループに不祥事が見つかって電撃解散。ニュースになってたけど、見てないの?」

「見てなかったな〜」


そんな大ニュースがあったなんて知らなかった。推しのことに夢中だったから他の情報なんて仕入れてなかった。

多分トレンドでも上位だったはずだろうし、調べたら直ぐに出てきたはずだろう。


「他には、これかな?」

「わ〜炎上してる」


配信者の一人が同棲を隠してたとして炎上していた。アイドルのような活動方針をしてチャンネル登録者数を稼いでいて、ガチ恋勢も多かった人だから「騙された」「現実は非情だ」などと多く書き込まれている。


怖い世界だ。これがあったから部長だけでなく他の人も落ち込んだ様子なのだろう。

結構、推し活してる人居るんだなぁ。


「現実と虚構の区別がつかないで、追い続けた結果。なのかしらね。全く、生活に支障をきたすくらいに追い求めなくてもいいのに」


引っ込めたスマホ。一瞬見えたSNSのアイコンは、絶賛炎上中の配信者が見えた。

プルプルと震えながらも気丈に振る舞う白取しらとりさんも、きっと胸の中では色々と抱えてるのだろう。


ルンルン気分も落ち着き、これが未来に起こり得る私の姿かもしれないと戦慄する。


「今日は付き合ってもらうわよ。菜々美ななみ。あなたもよ」

「はーい」

「うん。いいよ」


断り続けていた飲み会だったけど、すんなりと行く気になった。

適切な距離を見極めるためにリアルも大事にしようと思ったのだ。

推し活をするなら、虚構と現実の狭間をしっかり理解しておかないと沼に落ち続ける。

この沼は、私が思っているよりもーー深いのだ。

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