僕の推しの彼女の推し

葵月詞菜

僕の推しの彼女の推し

「ん?」

 たまに使うチケット販売サイトからメールが一件届いていた。



【抽選結果のお知らせ】

この度は抽選にお申し込みいただきありがとうございました。

厳正なる抽選を行った結果、お客様はご当選されましたのでお知らせいたします。



 抽選? 何か応募してたっけ?

 画面をスクロールして内容を確認する。――ああ、これは。


「どうした?」


 友人のタカが隣からひょいとスマホの画面をのぞき込んできた。その表情が、やがて怪訝そうなものに変わる。


「……これ、詐欺とかじゃないよな? みのり、お前が申し込んだんだな?」

「うん、思い出した。確かに僕が応募したね」


 僕が頷くと、タカはますます困惑した顔で額を片手で覆った。


「これ、が好きなやつだろ……」


 画面には、『舞台紅玉と蒼玉の忍』という文字が表示されていた。



 商店街の横筋を一つ入った所に、ひっそりと存在する二階建ての建物がある。一階が古書店、二階がカフェになっていて、オーナーはどちらも僕の祖父だ。

 放課後、僕は幼馴染の彼女たちを探してふらりとカフェに立ち寄った。このカフェがたまり場になっていることを知っていたからだ。渋るタカに飲み物を奢るという約束で付き合わせて。

 チリンと軽やかな音を立てて扉を開くと、カウンターから「いらっしゃいませ」という落ち着いた祖父の声が聞こえた。


「おや、稔か。タカ君も」

「お疲れ様、おじいちゃん。椿ちゃんたちいる?」


 祖父が微笑んで奥のテーブル席を示した。そちらに首を伸ばすと、目当ての二人の姿があった。

 その内の一人、椿ちゃんがなぜかテーブルに突っ伏していた。


「どうしたの、椿ちゃん」

「あら、稔。それにタカも」


 椿ちゃんの代わりに反応したのは向かい側に座ったかよちゃんだった。


「何だ、こいつ死んでるのか?」


 タカが眉間に皺を寄せて、呆れたように椿ちゃんを見下ろしている。


「うるさいやつらが来た……!」


 椿ちゃんが呻きながら体を起こし、僕とタカを睨み上げた。タカがそれにつられて目を眇める。いつものことだ。

 僕はそれらをスルーして、改めて椿ちゃんに訊いた。


「それでどうしたの? 何かあったの?」


 椿ちゃんは暫く黙っていたが、僕が根気強く待っていると諦めたように息を吐いた。


「……落選したのよ」


 テーブルの上のスマホを軽く指で弾き、唇を尖らせてそっぽを向く。


「落選?」


 僕は制服のポケットに手を突っ込んで、自分のスマホを取り出した。先日届いたメールを表示させて、彼女の方に向けた。


「ねえ、それってこれ?」


 面倒くさそうにこちらを見た彼女が、次の瞬間目を見開いて僕の手ごとスマホを掴んだ。


「ちょ、ちょっと! これ! 何であんたが!」


 『紅玉と蒼玉の忍』――彼女が大好きな忍者をテーマにした物語で、アプリゲームからアニメ、漫画、小説へと広がったコンテンツだ。今年ついに舞台化が決定したのだ。


「え、稔、あんた当たったの?」


 かよちゃんも驚いた顔でスマホ画面と僕を交互に見た。


「うん、そうみたい。ほら、前にかよちゃんにゲームをダウンロードしてもらった時に、アプリ内先行抽選の申し込みあったでしょ。流れで申し込んでたんだった」


 まさか当たるわけないだろうと思っていたのですっかり忘れていた。


「二人分のチケットがあるけど、二人とも行く?」


 僕の提案に、椿ちゃんとかよちゃんは顔を見合わせた。


「いや、正味一人枠でしょ。それ申込者本人確認いるやつだし、稔は行かなきゃ」

「そうなの?」


 あまりこういう経験がないのでよく分からない。かよちゃんがふっと笑った。


「いいじゃん、椿ちゃんと一緒に行って来なよ。だいたいあんた、椿ちゃんの推しに勝つためにゲーム始めたんでしょ」


 そうなのだ。僕は実は椿ちゃんのことが好きだが、椿ちゃんはというと二次元にしか興味がない。

 そんな椿ちゃんの推しとはどういう存在なのかを知ろうと、かよちゃんにレクチャーを受けてアプリゲームをインストールしたのだ。タカには「アホなのか?」とものすごく呆れた顔をされたけれど。


「椿ちゃん、行く?」


 椿ちゃんはものすごく複雑そうな顔で三分程迷って、ついに項垂れて小さくぼやくように呟いた。


「……行く」


 僕は心の中でガッツポーズをしながら、ちょっと楽しい気持ちになった。


「まあ舞台なら生身の人間が演じてるんだからちょっとは対抗できるかもな」


 メニューを見ながらタカがどうでもよさそうに言う。そこで気付いた。


「そっか。キャラクターが三次元にいるんだ」

「違うわよ、これ2.5次元って言うの」


 かよちゃんが冷静にツッコんで来たけど、僕もタカもよく分からなくて首を傾げていた。





「ねえ椿ちゃん、こんな早い集合時間で良かったの?」


 舞台は午後四時開演で、三十分前から開場となっている。しかし椿ちゃんと待ち合わせをしたのはそれよりもずっと早い時間だった。午前十時開演の舞台に余裕で間に合う。

 僕としては椿ちゃんと長くいられるなら幸せだけど。

 一方彼女の方は鋭い目つきで、今から戦場にでも赴くようなオーラを醸し出していた。全然デートとかそういう感じではない――もともと違うけど。


「稔、余計なことは言わず私について来なさいね」

「! 了解!」


 普段冷たい彼女にそんなことを言ってもらえるとは、もう今日はこれで十分かもしれない。僕は感動と共に大きく頷いた。



 そして、気付いたら人の波に揉まれていた。椿ちゃんと同じ様な戦士の如き人々が――主に女性が――様々なグッズを求めて会場内を奔走していた。


「ちょ、ちょっと椿ちゃん!」


 身動きが取れない僕の腕を雑に引っ張って椿ちゃんは進んで行く。

 登場人物が多いせいか一つのグッズのバリエーションもすごい。似たような色もよく見ると違い、イメージキャラクターも違ってくるのだからとんでもない。

 椿ちゃんは予め買うものを決めていたようで、すいすいと目的の場所に行って素早く籠にグッズを放り込んでいく。


「あ、椿ちゃんのお気に入りだ」

「うん。バーンって目立つキャラじゃないからグッズもちょっと少ないんだけど、今回舞台に出てくれて新しいのが出たから嬉しい」


 こんなにたくさんのものが溢れているのに、彼女の推しのものは限られているらしい。


「お会計行くけど、あんたは買うものない? ないか」


 満足気な顔の椿ちゃんが軽く苦笑した。僕は少し考えて、シリコンのブレスレットを手に取った。カラーは椿ちゃんの推しの色で、ところどころモチーフが入っている。


「その色で良いの?」

「うん。ライバルの色だから」

「……意味が分からないんだけど」


 僕たちは人混みをかき分けて、会計の列に並んだ。



「なんかお腹空いてきたね。お昼ご飯食べる?」


 物販会場から出て一息ついていた僕は、スマホを操作する椿ちゃんに声をかけた。


「次、行くわよ」

「え、どこ?」


 彼女は息一つ乱れておらず、また鋭い目つきになっていた。まるで武士のような――そういえば彼女の実家は剣道場があって男家族は皆剣道をしているのだったか。椿ちゃんは全然興味がなかったようだけど、たまに醸し出す雰囲気が武士のそれだった。

 連れて行かれた先はカフェだった。しかし普通のカフェとは少し違う。


「『紅玉と蒼玉の忍コラボカフェ』?」

「そうよ。ついでに予約しといたの。かよちゃんと来たかったけど、またそれは今度で」


 僕は椿ちゃんの後について店に入った。店内もキャラクターのポスターやアニメの名場面などの装画で彩られていた。

 メニューを開くと、コラボメニューがずらりと並んでいる。


「うわあ、すごいね」


 椿ちゃんは真剣な表情でメニューを吟味していた。思わずふっと笑いが零れてしまった。


「ふふ……椿ちゃんは何で迷ってるの?」

「んー? これとこれと……でもこっちも気になるのよねー。あー、でも全部は無理だからこれと……」

「ん、じゃあ僕がこれ頼んで、こっちは半分こしようよ」

「良いの? 助かる!」


 椿ちゃんの嬉しそうな顔が僕に向けられるなんていつ以来だろう。まだ舞台を見ていないのに、今日はこれで十分なような気持ちになった。


「そういえば稔は結局、どこまでゲーム進んだの?」

「えっとね……」


 料理が運ばれてくるまでも、いつになく和気あいあいとした時間を過ごせて満足だった。




 そして舞台は圧巻だった。

幼い頃、スーパーヒーローショーを見た時のことを思い出すような、ドキドキ感があった。

 何より役者の演技力が半端なくて、本当にキャラクターたちが三次元に存在していた。世界観を表現したセットと音楽も最高にマッチしていた。

 椿ちゃんは推しが登場したくらいから泣き始めて、終わりには号泣だった。


「……観れて良かった……円盤絶対買うっ……」


 ぶつぶつと言いながらハンカチを目にあてていた。

 僕はそんな彼女をかわいいなあと思いながら落ち着くのをただ待っていた。

 ようやくハンカチをしまった椿ちゃんは、まだ赤い目のまま僕を見上げた。


「……今日はありがとう」


 僕は思わずきょとんとしてしまった。それはこちらのセリフだ。


「僕の方こそありがとう」


 神様、当選させてくれてありがとうございました。『紅玉と蒼玉の忍』を作ってくれた人たちありがとうございます。


「ああ~本当にカッコ良かった~」


 椿ちゃんが溜め息混じりに言う。


「椿ちゃんの推しのこと?」

「そうに決まってるでしょ」

「まあ、確かにカッコ良かったよねえ」


 僕は苦笑しながら頷いた。僕から見ても推したくなるくらいのカッコ良さだった。――彼に負けるわけにはいかないと再度決心した。


 暗くなった道を二人で歩き出す。


「稔は誰か推しの子いるの?」


 あれこれ感想を話していた椿がふと訊ねて来る。

 僕は少しだけ考えて、やっぱりこれしかないなと思って彼女に微笑んだ。


「僕の一番の推しは椿ちゃんだよ」


 目の前の彼女がこれでもかというくらい怪訝そうな、嫌そうな表情になる。


「……あんたのそういうとこよ、そういうところだからね」

「はいはい」


 僕は慣れたように聞き流した。

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僕の推しの彼女の推し 葵月詞菜 @kotosa3

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