22.そして明かされた真相




「はー、目が回る……」


 昨日臨時休業にした反動で、今日はお客さんがひっきりなしに来店してくれる。それだけ必要とされているということは心底うれしいけれど、水を飲んだりトイレに行く暇もない。

 隣に立つハイトさんとシュバルツは涼しい顔をしている。

 そうだよね……。きっと彼らは食事や排泄を基本的に必要としないもんね? 知らんけど。


 すると、ハイトさんがこちらを見てきた。


「貴様、疲れたなら少し奥で休んでこい。ちょうど昼時だし、いったん客足は引くだろう」


 お昼ごはんの時間にはお客さんの波が途切れることをちゃんと把握しているとは。


「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えて、ちょっと抜けます」


 店内にいるお客さんたちに挨拶をして厨房へ引っ込む。しっかり休んできなさい、と声をかけてもらえてありがたい。


 ごくごく。


「ふー……」


 水を一気に飲み干して大きく息を吐き出した。

 この調子だと明日も忙しそうだし、今晩は仕込みを追加しておこう。


 それにしてもオープンして2年。こうやって街のひとたちに必要とされるパン屋になれてありがたいことだ。

 昨日のあんぱんとクリームパンの件であらためて感じる。

 これからもがんばっていこう、って。


 クリームパンを商品化できたら、次もまた『日本』発祥のパンを開発したいな。

 甘いパンが続いたから今度はお総菜パン?

 カレーパンは王道中の王道だよね。

 コッペパンをつくって焼きそばパンっていうのも面白そう。


 パンのことを考えていたら気力が回復してきた。


「よし!」


 拳を高く突き上げる。

 気合い十分。

 店内に戻ると、ハイトさんの言葉通り、お客さんはいなくなっていた。


「もう少し休んでてもいいんだぞ」

「いえ、じゅうぶん休めました。ひとりのときはもっと大変でしたし。……あの、ありがとうございます」

「そうです。我が君の温情に感謝しなさい」


 いつも通りのやりとりが始まったところで、お客さんが入ってくる。


「いらっしゃいませ! あ、ランさん」


 神官姿のランさんだ。昨日の報告と支払いに来てくれたのだろう。


「空いている時間帯に来られてよかった。今、ちょっといいかな?」

「……はい?」


 なんだかやっぱり神妙な面持ちだ。

 ここまで続いてると、さすがにわたしもちょっと胸がざわざわしてくる。


「でしたら奥へどうぞ。ハイトさん、シュバルツ、やっぱりお店をお願いしますね」


 厨房へ招き入れると、ランさんは掌を自らの顔に当てた。

 そして盛大に溜息を吐き出す。

 おずおずと尋ねてみることにした。


「あ、あの……? パン、受けが悪かったんですか……?」

「いや、違うんだ」


 だめだ。さっぱり分からない。


「パンはとても好評だった。神官長も、騎士団も喜んでくれていた」

「えっと……? ではどうしてランさんはそんな気まずそうにするんですか……?」

「すまない!」


 すると、ランさんが突然わたしに向かって頭を下げてきた。


「今回の件、実は失敗に終わらせることが目的だったんだ」

「失敗……?」


 失敗、という単語が思考を止めようとしてくる。

 え? どういうこと?


「元々【一番星】は人気パン屋だったというが、最近さらに賑わいを見せているという。しかもそれは魔王が現れてからのことだ。魔王の力を君が利用していないか調査するというのが真の目的だった。僕は魔王に興味がない、やる気がないというそぶりで近づいて君を油断させる役回りだったのさ。もちろん、神官長もここのあんぱんを食べたことはなかった」

「えっ、ちょっと、そんな」


 動悸が速くなる。

 ランさんの告白に気持ちが追いついていかない。


「早朝に卵を割らせたのは教会の者だ。そこで魔王が復元魔法を使えば、卵には魔王の力が残る。そうすれば、そんなものを人間が口にする訳にはいかない、と指摘して魔王を再び神殿封印することができる。それが教会のシナリオだった。……しかし、君は復元魔法を使わせなかった」


 あ……。

 あのとき、わたしはその選択肢を選ばなかった。


 結果として。


 それがよかったということ、なのだろうか。


「魔王の力がほんの少しでも入っていないか確かめたあとに、試食をしたんだ。とても美味しくて、皆、己の疑う心を恥じた。……食べ物というのは不思議で、嘘をつくことができなくなるんだな。騎士団にもふるまって、研修の最後は皆が笑顔になったよ」


 もう一度ランさんが頭を下げた。


 でも、笑顔になってくれたんだ。

 だから申し訳ないって思ってここに来てくれたんだ……。


 だったら。


「ほんとうに、すまなかった」

「ランさん、顔を上げてください……っ」

「……怒っていないのか?」


 ランさんの深紅の瞳がわたしを見てくる。


「怒ってます!」


 きょとん、とランさんの瞳が丸くなる。


「食べ物を粗末にしてはいけないって知らないんですか? あんなにたくさんの卵が割れちゃって、ぜんぶ無駄になっちゃったんですよ。養鶏農家さんが毎日毎日、一生懸命にわとりの世話をして、陽の昇らない真っ暗な時間から集めてくれた大事な大事な卵だったのに。それを、復元させるかどうかって試すために利用するだなんて。それに卵やにわとりだけじゃなく、パン生地だって生き物なんです。カスタードクリームがつくれなかったらぜんぶぜんぶ駄目になるところでした」


 神殿封印されて力の一部が封じられているとはいえ、ハイトさんが紛れもなく魔王ドゥンケルハイトであるのは事実だ。

 だから教会が、神殿が敵視してくるのは当然のことだと思う。


 それでもその理屈を飛び越えて、パンを美味しいと感じてくれたというのなら。

 わたしには怒る理由はないのだ。……食材のこと以外。


 はは、とランさんが苦笑いを浮かべる。


「昨日も思ったけれど、君はすごいな」


 そういえば昨日もランさんはそんなことを言っていたような気がする。


「すごくなどはない。ただのパン馬鹿だ」


 ハイトさんが厨房に入ってきた。


「そんなことだろうとは思っていた。人間の考えることは何百年、何千年経っても変わらぬな」

「やれやれ。魔王殿にはすべてお見通しだったということかい」

「ハイトさん。分かっていてわたしのことを試したんですか?!」

「すべて分かっていた訳ではないが、神官どもが何もしてこないとは考えていなかった。しかし、貴様は余の力を求めなかっただろう」


 うっ。すべてハイトさんの手の内だったっていうこと……?


「しかし移動魔法なら使わせてもいいというのは神官どもの勝手な判断基準だな。おおかた、貴様たちは人間が使えるかどうかで、魔法の善悪を判断しているのだろう? 余にしか行使できない力は悪であると」

「まったくもってその通りさ」

「安心しろ。この娘は、パンのことしか考えていない」


 ほ、褒められているのかけなされているのか。けなされているに一票。


「……そうだね」


 ランさん、そこは否定してほしかったな。


「だけど気に入ったよ。シュテルン、周りからはなんと呼ばれているんだい?」

「へっ? テルーですけど」

「個人的に、君を気に入った。よろしくね、テルー」

「!?」


 近づいてこようとするランさんの前にハイトさんが立ちはだかる。


「どうせまた利用するつもりなんだろう。この娘は余の雇用主だ。やすやすと近づくことは許さぬ」

「ははっ、面白いな。契約主ではなくて雇用主とは。純粋な興味が今のでますます強くなった」


 だからどうして火花を散らせるんですか。

 神官と魔王だからですね、はい。


「しかたない。今日は代金を支払って帰ることにするよ。お店の営業は明日までだよね? 明日の晩、お詫びにディナーへ招待するから、きれいな恰好で待っていてね。魔王殿も従者も。会わせたいひとがいるし、僕は魔王殿と話したいことがあるから」

「余は貴様と話したいことなどない」

「僕があるからいいんだよ。じゃあね」


 あっさりと食い下がりつつディナーの話を出して、ランさんは厨房から出て行った。

 慌ててわたしも店内へ向かう。


「そうだ」


 ランさんは店から出ようとして、最後に思い出したように振り返った。


「あんぱんもクリームパンも、とっても美味しかったよ。君はすばらしいパン屋だ、テルー」


 おぉ、背景に薔薇が咲いた……。

 入れ違いに入ってきたお客さんがびっくりしている。


「いらっしゃいませ!」


 すると隣でハイトさんがぼそっと呟いてきた。


「油断するなよ、小娘が」

「……分かってますって」


 でも。

 パンが美味しい、って言ってくれたときの表情は、ほんものだったと思うから。

 わたしは、うれしいんだ。

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