21.初心忘れるべからずの朝
「あんぱんはすべて包み終わりましたよ」
「シュバルツ。……ありがとう」
急いで厨房に戻ると、シュバルツがドヤ顔をしていた。
「しかし、ほんとうにあなたは変わり者ですね」
ハイトさんの第一従者であるシュバルツにはその場にいなくても、何が起きたかすべて把握しているようだ。
「そして人使いならぬ魔王使いが荒い」
「す、すみません。やっぱり距離は離れない方がよかったですよね……?」
「あなたは我が君の力をみくびっておられませんか? どんなに離れていようともわたくしは個で活動が可能なのです」
そう、わたしは卵の復元を頼まなかったのだ。
代わりにお願いしたこと。
『エアトベーレ中の養鶏農家さんをまわって産みたて卵をかき集めてください!』
まさかそんな風に言われるとは思っていなかったのだろう。
虚を突かれたハイトさんは一瞬だけかたまって、すぐににやりと笑みを浮かべた。
『御意』
——そして一瞬にして姿を消したのだった。
養鶏農家さんとはお互いに平謝りしまくって帰ってもらった。
めちゃくちゃ動揺していたからハイトさんのことまで頭が回っていないようだったし、たぶん問題ないだろう。
もったいないし卵の復元もしてもらいたくない訳ではなかったけれど、人間でできない範疇の魔法を使ってもらってはやっぱりだめだと思うのだ。
これが、わたしの出した結論。
ハイトさんが産みたて卵を集めてきてくれるまで、わたしはやれることをやろう。
幸いにも、まだクリームパン用の生地は大丈夫そうだ。
あんぱんを先に焼き上げてしまって、先に納入するのが確実かな。
クリームパンはまだエアトベーレの誰も知らないパンだから後から登場させる方が驚きも倍増するよね。
「大丈夫、大丈夫」
深呼吸、深呼吸。
自分に言い聞かせる。
……前世の記憶があると気づいたのは5歳くらいのときだったと思う。
自分のなかにもうひとつ人生の記憶があることがめちゃくちゃこわくて大泣きした。情緒不安定で家族も周りも困惑していたっけ。
それがあるとき突然、前世の記憶があるなんて逆に面白い! って思ったのだ。
2つの人生をもってるなんてお得。だったらそれを活かしちゃおう、って。
そう。ピンチはチャンスに変えることができるのだ。
わたしはそれをよーく知っている。
だから今回だってきっと大丈夫。
「集まったぞ」
「……ハイトさん!?」
戻ってきたハイトさんの手にしているかごには、たくさんの産みたて卵が詰まっている。
すごい……。思った以上に早かった。
「貴様の望み通り、移動魔法のみで産みたて卵をかき集めてきた」
「あ……ありがとうございます……」
「泣くのは早いぞ。まだ貴様にはやらねばならぬことがあるだろう」
「……そうですね!」
瞳に溜まった涙を拭って、ハイトさんの真似をするように、にやりとしてみる。
「流石。それでこそ余の雇用主というものよ」
よし!
これなら、なんとか間に合いそうだ!
*
*
*
清々しい朝。
空も、青く澄んでいる。
「おはようございます! お待たせしました。【一番星】特製のあんぱんと、新作クリームパンです。どうぞお召し上がりください」
学校の敷地内。
紺色の屋根の、細長い教会の扉の前にランさんは立っていた。
わたしが大きなクリーム色のケースいっぱいに個包装されたパンを抱えて現れたのを見て、目を丸くする。
「ひ、ひとりで来たのかい」
「流石に教会へハイトさんを連れてくる訳にはいきませんので。こちらがお約束のあんぱんとクリームパンです。どうぞお納めください」
「あ、あぁ」
ランさんはまだびっくりしている。
いやいや、常識的に考えて当たり前のことでは。というかいつもわたしの傍にハイトさんがいる訳ではないのだし。
ケースを両手で渡す。
ふー。一気に軽くなった。
受け取った側のランさんはパンに視線を落とした。
「美味しそうにできているね」
「はい。ハイトさんもシュバルツも、人間のように手伝ってくれたし」
「……そうだね。このパンからは魔王の力なんて一切感じない」
魔王の力?
そういえば一度だけ、ハイトさんの炎で焼いたパンを食べてしまったけれどあれは大丈夫だったんだろうか。
うっ。あまり深く考えないようにしよう……。
「ありがたくいただくよ。残りのお代は明日払いに行くということでいいかな」
実は3分の1ほどは前金でいただいている。
これについては、教会相手だし信用商売ということで。
「はい。問題ありません。そのときに反応を聞かせていただけたらうれしいです」
ただでさえ何を考えているかさっぱり分からないランさんが神妙な面持ちになっている。
「……?」
「いや、君は、ほんとうにすごいな」
「へ? ありがとうございます。では、また明日お待ちしていますね」
ひとまず無事に任務完了ーっ!
なんという爽快感。
今日は臨時休業だし、仮眠して、明日と明後日分の仕込みをがんがんやってしまおう。
クリームパンを並べるかどうかは明日ランさんから感想を聞いてからにすればいいよね。
敷地から出て、ちらりと振り返る。
もちろんランさんの姿は既にない。今頃神官長さまに渡してくれているだろうか。
たしか騎士団の研修があるんだっけ。
騎士団は王家直属。全員が貴族出身で、リヒト教の敬虔な信者である。
魔王の封じられた脅威のない現在では、全国各地の式典で剣技を披露することが主な仕事となっている。
しかしいつ何時、国が混沌に陥るかは分からない。そのために日々の鍛錬は惜しんでいないという。
騎士団というのは、貴族の間でも所属しているだけでたいそう名誉なことらしい。
大祭で見たことがあるけれど彼らはめちゃくちゃかっこいい。とにかく華がある。
そんなエリート集団が今、この街に来ているんだなー。
うーん。欲を言えば。
会ってパンの感想を聞いてみたかったけれど、一庶民の身には叶わぬ夢である。
空を見上げる。
風が心地いい。
いい仕事をした朝は、吸いこむ空気がいつもと違う気がする。
食べ物が美味しいっていうのはごまかせない感情だ。
誰かの喜ぶ顔を見られる、パン屋を選んでよかった。
——なんていう達成感と爽快感で帰途についたわたしだったけれど。
翌日、どん底に陥るのをこのときはまだ知らない——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます