19.パン窯のメンテナンスは土魔法で




 むにゃむにゃ。うん……?

 お店のベルがけたたましく鳴っている。

 これは、夢……?


「な、な、なにっ!?」


 ベッドでうとうとと惰眠をむさぼっていたものの、尋常じゃない鳴り方に慌てて着替えて降りて行き、扉の外を伺う。


「あっ! あーっ! しまった!!!」


 待たせてはならない相手が立っている。

 慌てて扉を開けた。

 店休日にもかかわらず店内に入ろうとした人物は、わたしの姿を確認して左手を挙げる。そして、にかっと白い歯を覗かせた。


「ひさしぶり、テルーちゃん」

「おっ、おっ、お待たせしました、シュラムさん。ご無沙汰しております……」


 ぺこり、頭を下げる。


 シュラム・ゼクス・ブレノーフンさん。

 坊主頭で、琥珀色の瞳。たしか歳は35歳くらいだった筈、の男性。

 白いTシャツからは筋肉質の腕が伸びている。茶色いチノパン、カラフルなスニーカー。がっしりとした体格は以前に会ったときと少しも変わらない。仕事道具、大きなリュックを背負っている。


「貴様が普通に話せる男性とは何者だ」

「ハイトさん」


 いつの間にかハイトさんとシュバルツも店内にいた。ほんとに神出鬼没だな。


「おやっ? テルーちゃん、男のひとが大丈夫になったのかい?」


 双方が同じことを言っている。

 えーと、どこからどう説明すればいいものやら。


「はじめまして! おれはシュラムっていうんだ。【一番星】のパン窯は、おれがつくったんだよ。そして今日は年に一度の定期メンテナンスの日」

「……を、すっかり忘れていて、今こうして慌てているのです」


 流石シュラムさん。自ら名乗ってくださった。

 ほんとうに申し訳ない。

 このところ色々とめまぐるしくてすっかり頭から吹っ飛んでいたよ……。


「シュラムさんはお師匠さまのお店のパン窯も手がけている、昔からの知り合いなんです。なのでこうして普通に喋ることができているという訳です。普段は王都にいるんですがメンテナンスのためにこうやって全国をまわってくれているんですよ」


 そしてハイトさんに手を向ける。


「こちらはハイトさんです。一度はお断りしたのですが、先日、いろいろとあって、うちのお店に弟子入りしました。隣がお供のシュバルツです」

「お供ではありません。第一従者です」


 シュバルツがぴっと口を挟んでくる。

 ちょっと。ややこしくなるような補足説明はやめて。


「へぇ。弟子を取ったってのは初耳だし、しかもそれが男性だなんてな! しかもこんなきれいな銀髪、初めて見た」


 銀髪はシュラムさんの興味を惹いたらしい。

 顎に左手をやって、まじまじとハイトさんを見つめる。


「いやー、気を悪くしたらすまない。こんな色、まるで魔王みたいだな。美しい」

「ぶほっ」


 吹き出したのはわたしである。

 今、なんて!?


「そ、そうなんですかっ!?」


 声が裏返ってしまう。

 魔王が銀髪だなんてわたしは知らなかったし習ったこともないよ……?


「あはは。若気の至りってやつで、実は思春期の頃に憧れてめちゃくちゃ調べていたんだよ。魔王の姿って非公開だろう? なんとしても知りたくって、必死に調べた結果。長い銀髪と銀色の瞳、羊のような角があるっていうところまで突き止めたのさ。まぁ、真偽のほどはわからないけれど。他のひとには内緒だよ?」

「それはもう、もちろん誰にも言いませんが」


 初耳だ……。

 いやー、冷や汗がすごい。

 見た目からバレるというパターンもあるのか。

 羊の角をやめてもらってよかった……。さすがに耳が人間のものなら、似ているくらいで思考はストップするよね。


「しかし、弟子が魔王のごとき美丈夫か。エェルデさんが聞いたらびっくりするだろうな」

「うぐ。やめてください……それだけは……」


 エェルデというのはお師匠さまの名前である。

 もし男性を弟子にしたなんて知られた日には、驚いた後に爆笑されて根掘り葉掘り聞かれるのは目に見えている。


「じゃあそのうち自分で報告しに行くんだよ? さて、早速パン窯を見せてもらおうかな」

「あっ、はい。よろしくお願いします」


 シュラムさんが厨房に入って行く。


「1年前よりも物が増えてるけれど、整理整頓もできている。清潔感もあるし、順調にお店を切り盛りできているみたいだね」

「ありがとうございます」


 炎の入っていないパン窯に触れて何度もうれしそうに頷いてくれる。

 昔からの知り合いに褒められるのはくすぐったいけれどわたしもうれしい……。


 ぺた、ぺた。


「うんうん。窯もしっかり使い込んでくれてるみたいでうれしいな」


 すっとパン窯から離れて、シュラムさんが両手を翳した。


『『万物の神よ。シュラム・ゼクス・ブレノーフンの名において、汝の御子の力を地上へ降りさせたまえ』』


 どぅっ。


 シュラムさんの琥珀色の瞳と掌が光る。

 そう、彼は土魔法の使い手なのである。

 この土魔法で見事な窯をつくってくれたのだ!


『『我の造形物を汝の望む意匠と照合し、回復を求める』』


 ずごごご。

 きらきら……。


「わぁ……」


 思わず声を出してしまう。


 パン窯の輪郭がやわらかな光を放つ。

 メンテナンスではこうやって日々の積み重ねで蓄積されたダメージを修復してくれるのだ。

 修業時代から見てきたけれど、いくら目にしても胸が高鳴る。


 だって、これぞ魔法! って感じがするんだもん。


「よし。かすかなひびも直ったし、すすもきれいにしたし、これでバッチリだよ」

「ありがとうございます。大事な仕事があるので、いいタイミングでした」

「大事な仕事?」


 実は、とあんぱんの話をすると、シュラムさんが口笛を吹いた。


「すごいなぁ。がんばってるな、テルーちゃん。王都にいた頃は毎日怒られてばっかでそれでもめげなくて、この子はきっとすごいパン屋になるって思ってたけど、まさしくその通りになったな」

「ま、まだまだですよ」

「こらこら。謙遜はだめだぞ? ハッタリでも堂々としていることが、商売では大事なんだ」

「は、はい」


 ぴしっと背筋を伸ばす。


「貴様、そんなに毎日怒られていたのか」

「忙しいお店でしたからね。そんなに器用な方でもないので、兄弟子たちに追いつくことすら必死でした」


 ハイトさんに苦笑いを返す。


「お弟子さんもついたし、これからもがんばって働くんだよ?」

「はい。がんばります」


 パン窯もメンテナンスしてもらえたことだし、まずはあんぱんとクリームパンをしっかり納品するのだ!

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