17.クリームパンの食べ比べ
「炊き上がったぞ」
無表情で強火にかけられたカスタードクリームを炊き続けてくれたハイトさん。
「きれいな艶が出ましたね。すばらしい仕上がりです。では、ここに」
きゅぽんっ。
ふわぁっ……。
花のリキュールを開封した瞬間に、厨房が艶やかな香りに包まれる。
——まるでこの空間が満開の花畑になったみたいだ!
厭味のない優雅な香り。小さじ1杯ほど垂らして、馴染ませた後に急冷させる。
「あともう1種類のカスタードクリームにもリキュールを入れてみます」
「うっとりする香りですね……」
「ハイトさんのアイディアです。わたしでは絶対に思いつかなかった」
「流石、我が君……」
実は存在を知ってはいたものの、わたしもこのリキュールを使うのは初めてだ。
グランマルニエやキルシュよりもすっきりとしていて、カスタードクリームの濃厚さを邪魔しなさそう。
順調に生地も仕上がり、せっせと包む。
気づいたんだけど、ハイトさんも数をこなせばふつうに作業できるようになってくる。何十個と包んでくれた今は見た目のちゃんとしたクリームパンになっていた。
「クリームパン、焼き上がり〜!」
ほかほか。
厨房内に焼きたてパンの香りが充満している。今夜はそれにプラスして、優雅な花とバニラビーンズの香りも。
2種類のカスタードクリームには、炊き上がったタイミングで花のリキュールをぽとりと垂らしてある。
酵母よりもさらに深く広がる花の香り。
うーん、たまらない。
さてさて、味比べといきますか。
「どのクリームパンが美味しいか意見を伺いますので、しっかりと試食してくださいね」
「ほぅ……」
つまり、美味しいだけじゃだめだと言いたいのだけど。
花とバニラの香りに完全にノックアウトされているシュバルツから意見を引き出すのは難しそうである。
わたしは試食用にひとくちサイズにカットして、印をつけたお皿に盛った。
ぱく。
もぐもぐ。
「うーん」
……分かってはいたけれど、難しい。
生地がよくってもカスタードクリームとケンカしては台無しだし、その逆もまた然り。
あくまでもクリームパンの主役はカスタードクリーム。
だけど、そのよさを引き出す為にはパン生地が地味な脇役ではだめなのだ。
もぐもぐ。
ごくん。
味覚をリセットする為に水も飲みつつ、ひたすらちまちまと食べ比べる。
「わ、わからなくなってきたー!」
しゃがみこんで頭を抱える。
たぶん、特別なパンだって考えてしまうから余計な力が入りすぎてしまっている。
もう一度食べ比べてみよう……。
ふと、ハイトさんが口を開いた。
「カスタードクリームはバニラビーンズと花のリキュール」
「……え?」
見上げると、ハイトさんは両方の手にパンの切れ端を持っていた。
「まずはバニラビーンズが主張してくることでカスタードクリームの濃厚さをアピールできる。その奥にある花のリキュールがパンとの調和をもたらしてくれるだろう」
立ちあがって手元のパンを見つめた。
ハイトさんはしっかりと食べ比べてくれていたのだ。
「パン生地はバターを多め、卵を少なめにしたものがカスタードクリームを最も強調してくれている」
「ハイトさん……」
「余の発言で出来上がった試作品なら、責任を持って意見を述べねばなるまい」
「もぐもぐ我が君は魔を統べる王。美食家ですからねもぐもぐ」
何個目だ、そのクリームパン。説得力のない従者め。
ぱく。
ハイトさんが選んでくれた組み合わせのクリームパンを口にする。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
……うん。
「そうですね……。これはハイトさんの意見を採用します!」
ふふ。ハイトさんが積極的だ。
にやにやしてしまうのを抑えられないでいると、ハイトさんは心底嫌そうな視線を向けてきた。どうせまた、顔がうるさいとでも思っているんだろう。
「顔に全部出てるぞ」
「ひゃっ!?」
びっくりして変な声が出てしまった。
言われたことは想定内だったけれど、ハイトさんはにやりと口角を上げてこちらを見てきたのだ。
魔王然として微笑むのとは、また違う。
……はじめて感情の伴う表情を見たような気がする。
「ハイトさん」
「なんだ」
「口角を上げたら、パンがもっと売れるような気がしてきました」
顔に出ていただろうけれど、わざわざ口に出してみたら、ハイトさんはなんと虚を突かれたような表情になった。のも、束の間。
「……阿呆め」
ぷい、と顔を逸らしてしまう。
魔王でも照れるなんていうことがあるの?
うーん、珍しいものを見た。
「ごちそうさまでした」
「あ! ちょっと、シュバルツ。全部食べちゃったの?!」
「げっぷ」
いくら珍しくても美少女のげっぷというのは見たくなかった……。
これは魔法制御窯での試作だし、まぁいっか。
明日、ちゃんとパン窯で焼いたものをランさんに試食してもらおうっと!
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