16.王都からの小包とバニラビーンズ




「お届けものでーす」

「ありがとうございます」


 受け取ったのは、王都・ツィトローネからの小包。

 思ったより早く届いた。


「それは何ですか?」

「ふっふっふ。クリームパンのための秘密兵器です」


 15歳からの3年間、わたしは王都のパン屋で住み込み修業をしていた。

 王族や神殿にも献上しているような歴史のあるパン屋さん。大きなお店だったので、朝は陽が昇る前から、夜は空が白んでくるまで働かなきゃいけなかった。体力仕事だったし、休日もほとんどなかったし、とにかく大変だったけれどとっても楽しかった。

 【一番星】で使っている花酵母もそこから分けてもらったものである。


 ほんとうは王都まで行けたらよかったんだけど、エアトベーレとツィトローネは離れているのでわたしみたいな一般人はかんたんに移動できないのだ。


 前世でいうと、『大阪』と『東京』よりも離れているし、『新幹線』や『飛行機』なんて存在しないからね。

 ということで利用したのが、『宅配便』のようなもの。

 特殊な風魔法をベースにした、各都市の基地局に送受できるという配達システムだ。もちろん、詳しいことはわたしには分からないけれど、基地局からは人力で配達するから多少の日数はかかる。

 それでも『電報』ならぬ魔法制御の連絡報を使った翌日には届いた。

 忙しいだろうに無理させてしまったと思うと、ちょっと申し訳ない。


「お師匠さまのパン屋は王都にあるんです。遠いから行けないので、あるものを取り寄せてみました」

「それならば我が君の力を行使すればいいものを」

「いやいや、それはルール違反でしょう」


 シュバルツに返しておいて、ルール違反ってなんだろうとふと思う。

 小豆を買った帰りは送ってもらっちゃったし。


「うーん?」


 いや、でも、安易に魔王としての力を使わせてもらうのはよくない。わたしはただの人間なんだから、人間としての範囲で生きていきたいのだ。

 一応、移動魔法は人間の使える種類の魔法だからぎりぎりセーフということで。


「人間ならば我が君の力をありがたがると思っていましたが、やはりあなたは変わり者ですね」

「そういうひとたちがいたから世の中が混沌としたんだよね……?」


 その辺のことはわたしがこの世界に生まれる前のことなので文字でしか知らないけれど、かつて、魔王を信仰するひとたちによってつくられた秘密結社が世界中にあったらしい。魔王の力を借りて、世界をひそかに滅亡させようとしていたというのだ。

 魔王は純粋悪だと教わって育ってきたけれど、ハイトさんを見ているといまいちその辺りと結びつかない。荒い気性だったのを神殿封印で落ち着かせたとか、そんな経緯でもあるんだろうか……。


「何が届いたというのだ」

「わっ。ハイトさん!」


 急に話しかけられて大声を出してしまった。

 そんな歴史の存在、ハイトさんはわたしに向けて瞳でうるさいと語りかけてから、小包に視線を向けた。


 がさごそ。


 現れたのは緩衝材にくるまれた、藍色の細長い瓶。黒いラベルには銀色のインクでいろんな花の絵が描かれている。

 ずっしり重たい。

 落とさないように慎重に掲げてみせた。


「じゃじゃーん。花のリキュールでーす!」


 もちろん、目的はカスタードクリームの香りづけ。


「ハイトさんの一言を採用してみようと思いまして。王都の大神殿の庭に咲いているお花を使っているんだそうです」


 なかなかいいお値段なので、秘密兵器という訳である。


「ん? まだ何か入っているみたいですよ?」


 シュバルツが取り出したのは透きとおった黄金色の詰まった小瓶。


「わわわ! これは神殿の花のはちみつ……!」


 庶民ではとうてい買えない代物である。

 そして底には銀色の蝋で封のされた真っ白な封筒が入っていた。


〈親愛なるシュテルンへ


 【一番星】のよい評判はこちらにも届いています。

 あなたががんばっている姿が脳裏に浮かびます。

 リキュールだけではなくてはちみつもプレゼントしますので、これからもがんばってくださいね。

 王都へ来る機会があったら、必ず立ち寄ること。


 エェルデ・ツェーン・グロース〉


「お師匠さま……!」


 厳しくて、いつも怒られてばっかりいたけれど。

 うぅ。優しさが染みる……。


 ちりんちりん。


「あっ、いらっしゃいませ!」


 感激していたらお客さんが入ってきた。

 いけないいけない。

 今は営業時間中だから、このふたつは厨房に置いてこようっと。



「ということで本日も試作です。今日はおふたりにもがっつり手伝ってもらおうと思います」

「クリームパンがたくさんできるということなら大歓迎です」


「まず、ハイトさんにはカスタードクリームを何パターンか炊いてもらいます。昨日つくっているところは見ていただいたと思うので、まずは練習してみましょう」

「うむ」


 しゃかしゃかしゃかしゃか。


 カスタードクリームづくりって意外と体力仕事だから、力のあるひとが豪快にやってくれた方がいいのだ。

 一方で繊細な仕事はシュバルツにお願いする。


「じゃじゃーん」

「なんですか、その黒いひょろっとしたこよりのようなものは」

「これはバニラビーンズといって、花のリキュールにも負けない高級品です。銀と同じくらいの価値があります」


 実はこれも、奮発してみちゃったのである。

 普段はお安くないとはいえ、バニラオイルを使っているからねー。


 まな板シートの上にバニラビーンズを置く。それだけで、いい香りがしてくる。


「まず、ペティナイフでバニラビーンズを縦に割きます。それからナイフの背を使って、なかに入っている種をあますところなくかきだすように取り出してください」

「うっとりするような香りがする……」


 あっという間にバニラの濃厚な香りが厨房いっぱいに広がる。

 うーん、やっぱり本物は格が違う。


「そして種とさや、両方を牛乳に入れて加熱します。こうすることで牛乳にバニラの香りがついてくれます。さやは漉すときに取り除いてください」


 そして乾燥させたさやは砂糖に香りを移してバニラシュガーにしよう。

 冬に、これをシュトーレンに使うのもいいかな。

 とにかくお高いので、あますところなく使わないともったいない。


「バニラビーンズ入りとなし、それぞれ2回ずつカスタードクリームを炊いてください。さらにそれぞれを、花のリキュール入りとなしに分けて、4パターンのクリームをつくります」

「承知した」


 おぉっ。早くもハイトさんの抱えるボウルの中身が白っぽく空気を含んでいる。

 こうやって、人間でもできる仕事ならお願いしていこう。なんてったって弟子なんだから。


 さてさて。

 わたしは生地を4種類くらい仕込んでみようかな?

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