12.ふかふかフォカッチャ
ハイトさんには呆れられてしまったけれど、パン屋たるもの、他店のパンを食べたら研究せねばなるまい。
お店の方から、パン生地にじゃがいもを練り込んでるって教えてもらうことまでできたんだもん。これで再現できなければ人気パン屋の名がすたるってもんよ。
なんてテンションが上がっちゃうのは、ちょっとだけとはいえお昼からアルコールを飲んだせいかな。
「茹でたじゃがいもを練り込めばいいのかな?」
とりあえず帰り道の八百屋さんでじゃがいもは買ってきてある。
まずは泥を洗い流して、たっぷり水を張った片手鍋に放り込んだ。
お湯が沸騰してきたらじゃがいもに竹串がすっと刺さるようになるまで茹でていく。
たくさん茹でたから、今日の晩ご飯はポテトサラダもいいな。
マヨネーズをほんの少しだけ減らして、その代わりにお酢を入れてさっぱりとさせるのが好みだ。きゅうりと玉ねぎは薄く切って塩もみ。かりかりに焼いたベーコンがあるとなおいいし、ゆで卵を潰して入れるのもなかなか捨てがたい。
あ、そうだ。
こんなにじゃがいもがあるなら、そのうち『肉じゃが』に挑戦するのもいいよね。
前世では牛肉か豚肉かで地域差があるらしくて論争が起きていたりしたけれど、わたしはツナ入りが好きだ。肉じゃないけど。
どうして甘辛味ってあんなにほっとするんだろう。昆布と鰹節も買ったことだし、一度本格的に一番だしをとって和定食もつくってみたい。
なんて色々と妄想している内に、じゃがいもが茹であがる。
茹でこぼした後は根性の時間の始まりだ。
「あつっ! あっつー!」
熱々のじゃがいもの皮を、ひたすらに剥く、剥く、剥く。
指先が火傷しそうだ……。熱いというより痛い。
なんとか皮を剥いた熱々ほくほくのじゃがいもを、ボウルに入れて、しっかりとフォークで潰していく。
粗熱が取れた頃を見計らって、パン生地を仕込もう。
ひょこっ。
お店側から、シュバルツが顔を覗かせた。
「わたくしにも何か美味しい物を食べさせなさい」
「もうちょっと待ってくださったらフォカッチャが焼けますよ」
「人間のくせになんと非道な。あなたは我が君と共に美味しいものを食べてきたんでしょうが、わたくしはその場にいなかったのですよ?」
空腹はハイトさんとリンクしているのではなかったっけ……。
「すぐできるものを用意しますから。はいどうぞ」
ハイトさんにもつくってあげたオニオングラタンスープを出してあげる。
「ほぅ……」
シュバルツの頬が上気する。これでしばらくは大人しいだろう。
さぁ、パン生地の仕込み開始だ。
生地をつくるときに、粗熱のとれたじゃがいもも投入。
いつもよりべたべたするのはじゃがいものせいだろう。ひたすら捏ねてまとまった生地を発酵器へ入れる。
「そういえばハイトさんは?」
「はふはふ。我が君はお休みになっておられます」
「そ、それこそ、どこで……?」
「人間に教える訳にはいきません」
「オニオングラタンスープに焼いたベーコンのかたまり、ほしい?」
「我が君が眠りに入られるときは、精神体へと変化するのです」
ちょっと。第一従者のくせに裏切りが早すぎやしないか?
「精神体?」
「ベーコンを早く」
じゅわ〜。厚切りベーコンを乗せてあげると、シュバルツの猫目の瞳孔が開く。
「我が君は人間どもとは違う崇高な存在です。本来、肉体を持っていないのです。だから睡眠も必要はないのですが、ずっと実体でいるのもエネルギーの無駄だと考えておられます。契約主のあなたが呼べばすぐに輪郭をおつくりになるとは思いますが」
「いや、それは申し訳ないからしないけど」
そのなかにさらにシュバルツもいるとは、なんとも難しい話だ。
そもそも魔王っていったい何なんだろう。いや、これは哲学的な問いになっちゃうな。
「もぐもぐ。あぁ、なんと旨みの深いベーコンでしょう。焼き目はこんがりと香ばしく、ベーコンは噛めば噛むほど肉汁が溢れる……」
うっとりし始めたシュバルツを放っておいて、作業の続き。
発酵の済んだでろでろの生地に刺激を与えつつ休ませつつ。
大きな正方形の型に入れて、規則的にたくさん穴を開けるのだ。これで膨らみが抑えられて仕上がるのがフォカッチャ。
もう一度発酵器に入れたら、焼いていないベーコンの角切りを穴に入れてみようかな。
あ、でも、その前に。
すとすとすと。
肝心な材料を忘れていた。
玉ねぎを繊維に沿って薄切り、薄切り。これを載せなければ、わたしのつくりたいフォカッチャは完成しないのだ。
生地が型のなかでふっくらと育ってきたのを確認して、オリーブオイルをたっぷりと塗る。穴にはベーコンの角切りをしっかりと埋め込んで。
上にはどっさりと玉ねぎの薄切り。ほんの少しの岩塩。
さぁ、いってらっしゃい!
魔法制御窯へ入れて、あとは焼き上がるのを待つのみだ。
シュバルツは横で満足そうにしている。
「早く焼き上がりませんか?」
……と思いきや催促してきた。
魔法制御窯のなかでは、オリーブオイルの絡まった玉ねぎが、どんどんこんがりと焼けていく。
しっかりと焼き色がついたら取り出す。
「玉ねぎフォカッチャ、完成〜!」
「おぉお」
ぱちぱちぱち。
シュバルツが拍手してくれる。
オリーブオイルだけではなくてベーコンの脂もしっかりと玉ねぎやパンに染みこんでくれている。ほかほかと顔に届く湯気は玉ねぎとベーコンの香り。
少し粗熱がとれたところで、パン切りナイフで食べやすい大きさにカットする。オリーブオイルで手がべたべたするけれど、これもまた美味しさをそそる。
「はい、どうぞ。召し上がれ」
はふ。
しゃきしゃき。ふかふか。
「あぁ……オリーブオイルとベーコンで焼かれた玉ねぎのほどよい甘み……そしてパンは今までにないふかふか感があってさながらベッドのよう……ここで眠れたら朝になるまでにベッドがなくなってしまいそうです……」
「えーと、美味しいということだけはしっかり伝わってきました」
この上で寝たらべたべたになりそうだけど、そこまで気に入ってもらえたなら試作としては上出来だ。
はふはふ。
触っても分かるパンのやわらかさ。じゃがいもってすごいんだなー。それに、焼かれた玉ねぎってどうしてこんなに甘くなるんだろう。岩塩やベーコンの塩気とほどよく相まってくれている。
これもそのうちお店に出せるようにしよう。
今回はレストランだったけれど、余裕もできたし、勉強も兼ねて他のパン屋さんへもっと行けるといいな。
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