11.薔薇の男の正体
そしてランさんに連れてこられたのは、商店街の一等地。ふつうに生きていたら絶対に来ることのない高級レストラン。
ドレスコードがありそうなのに普段着で来てしまった。
大丈夫だろうか……。いや、でも、無理やり連れてこられたんだしわたしは悪くない。悪くないぞ。
ということで2階の個室に案内されたわたしたちである。
なんて座り心地のいい高そうな黒革のソファー。ぴかぴか磨かれた大理石のテーブル。きらきら煌めくシャンデリア。
うぅ。
すべてが高級そうでどうにも落ち着かない。
わたしとハイトさんの向かいに、ランさんが座る。手慣れているところを見ると、ランさんはこのお店の常連のようだ。
テーブルの上にはフォークもナイフもスプーンもきちんとセットされている。完全にこれはランチという名のフルコースじゃないか……。
緊張して息を呑むわたしとは対照的に、リラックスしているランさんがメニュー表を差し出してくる。
「ワインは好きかい? ここは何でも取り揃えているよ」
「の、飲みます……」
まずは繊細で高そうなグラスに細かい泡の昇るシャンパンが運ばれてきた。
ランさんは優雅にグラスを掲げる。
「僕たちの出逢いに乾杯」
すっきりとして飲みやすい、ジュースみたいなシャンパンだ。だけどこういうのはアルコール度数が強いだろうから気をつけないと。あと、絶対に安くない。
新鮮そうな野菜のサラダとフォカッチャも運ばれてくる。
高級店のフォカッチャ。気になるけれど、まずはランさんからいろいろと説明してもらわないと。
「あのっ、ランさん。わたしにも分かるように説明してほしいんですけど」
「僕の祖父が大神官のブレンネン・フンダート・ロトローゼだ、と言ったら、分かるかな?」
ランさんが微笑みを浮かべる。
ブレンネン大神官。
って、まさか……!
歴史の授業でいやというほど耳にした人名。試験では必ず回答欄に現れる有名人。この国の誰もが知っている、その名前が指す意味は。
「……魔王ドゥンケルハイトを神殿封印した、最強の炎使いですね」
「ご名答」
ふかふかのソファーにランさんが体を預ける。
「魔王を解放後、神殿が野放しにしておくと思ったかい? ひそかに監視してきたに決まっているだろう。そして、エアトベーレを拠点に決めたと判断したので、神殿側もこの街に神官を送りこむことにした。それが僕だ」
封印済みの魔王。
大神官の孫。
ちょっと待って。スケールが大きすぎる。最近のわたしの周り、方向性がおかしくないか?
「ただ、僕にはやる気がないんだ。神官になったのも一族の意向で、そもそも神殿にいられるような魔力がない。僕にはまったく魔法が使えないんだ。しかしブレンネンの孫だから神殿も僕をむげに扱うこともできない。この人事異動はていのいい厄介払いのようなものなのさ」
魔法が使えない、だって?
「そ、そんなきれいな紅い瞳をしているのに、ですか?」
「あぁ。深すぎて、底はかえって濁っているのではと言われた」
「……」
笑顔が薄っぺらい、と、思った。
ないのかな。ランさんには、執着心、みたいなもの。
わたしは強力な炎魔法が使えなかったから、ものすごく悔しかった。魔法の使える世界で生きられるなら、勇者になりたかったけれど。
「わざわざ君たちに話したのは理由がある。適当に働いて適当に報告するつもりだから、変な騒ぎを起こされたくないんだ。僕はこの街でだらだらと生活しようと思っている。面倒事を起こされて仕事を増やされても、困る」
「話は終わりか」
黙って聞いていたハイトさんが口を開いた。
「監視がついているのは知っていたが、まさかブレンネンの孫がこの街にくるとはな」
「僕だってまさか魔王と対面するなんて思っていなかったさ。子どもの頃、祖父からあなたのことはよく聞いていたよ」
「奴は元気にしているか?」
「さぁね? 僕みたいな下っ端の神官では、大神官にお目通りすることなんてかなわないからね。話したいことはすべて話した。今日は親睦を深めようと思ってランチに誘ったんだ。堪能してくれ」
ランさんがサラダを口に運ぶ。
わたしもずっと気になっていたフォカッチャを手に取る。大きく焼かれたものが真四角のてのひらサイズにカットされてかごに入っていた。
上にはスライスの玉ねぎ。オリーブオイルと岩塩もかかっている。
ふか。しゃき。
炒めたのと同じ状態になっている玉ねぎはこんがりと甘い。パンはふかふか、もちもち。こんな食感は初めてだ。卵やバターの風味は一切感じられないから、このふかふか感を出す為に、いったいどんな配合になっているんだろう。
「……貴様」
ハイトさんが残念そうに溜息を吐き出した。
「まさか、この者の話よりパンが気になっていたのではなかろうな」
「い、いやですねー。シュバルツみたいに思考を読まないでくださいよ」
「阿呆。顔に書いてあるわ」
そんなに食べたそうに見えていた!?
は、恥ずかしい。
ぷっ。
ランさんが口元に拳を当てて、吹き出した。
「なるほど。魔王の契約した人間は、世界の秘密よりパンに興味があるのか。これはまた平和な話だ」
「あ、あの、その」
「気に入ったよ。これから宜しく、シュテルン」
そう言って、ランさんはにっこりと微笑んでみせた。
いや、ちっともうれしくないんだけど……。
「余も貴様のことを気に入った」
「ハイトさん!?」
どうしたの、急に。
「魔力がないだと? 人間とはかくも面白いものだ。貴様の魔力は人間ごときが持つには強大すぎて、意識下で封印されているだけだ。時が来れば自ずと解放されるだろう」
「なんだって……?」
ランさんの瞳に明かな動揺が走る。
それを確認してハイトさんが続けた。
「そのときは貴様の祖父を上回る炎魔法の使い手となろう」
満足そうにハイトさんが微笑む様は魔王然としている。
瞳に闇色の光。
薄く微笑む妖艶さ。
雇用主だから危害は加えてこないと信じたいけれど、やっぱり魔王なのだと思わされるのだった。
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