2.魔王、パン作りを体験する




「パンを食べたことがないのに!? よく!? 働こうと思いましたね!! ……あっスミマセンデシタ」


 思わず叫んでしまったら案の定、魔王にぎろりと睨まれてしまった。 

 ちなみに魔王にも従者にも白いエプロンを貸し出してみたものの、見事に似合わない。

 諸々、心のなかだけでつっこむのは無理がある。


「それでも心に留めておけばいいものを」

「だから思考を読まないでくださいね? いや、もう、どうしてわたしなんかのところで働こうと思ったんですか……」


 もう溜め息しか出ない。いや、溜め息も出尽くした感はある。


「未経験者歓迎と書いていたくせに」

「あー、もう、おっしゃる通りです。じゃあ今日はパンづくりを体験してみましょう!!!」


 ということで本日は、やけくそ。

 休日返上してパンづくり体験なのである。


 大きく溜息を吐き出して、わたしは広い作業テーブルの大きな秤の上にボウルを載せた。足元の紙袋からスコップで小麦粉を掬う。


「パンはその白い粉からできているのか」

「えーとそこからですね。はい。小麦粉と、酵母と、塩と水さえあればシンプルなパンが焼けます。ということで」


 わたしは腕まくりをして、別のボウルに酵母のかたまりをちぎって入れる。このパン酵母は修業していたお店から種を分けてもらった秘伝の酵母で花からできている。

 シンプルなパンだと、ほんのり花のような香りがするのだ。


 そこへきちんと量ったぬるま湯を入れて、よーく混ぜる。

 溶けたら小麦粉の入ったボウルへ注ぎ、まずはボウルの中で両手を使い合わせていく。


 ねちゃ、ねちゃ。


「おぉ……」


 従者が興味深そうな声を漏らした。


 小麦粉が酵母水となじんできたら、塩も投入。


 こね、こね、こね。


 全体重をかけて、パン生地に圧力をかけていく。そうすると生地にだんだん弾力が生まれてくる。

 ごつごつだった見た目はつるんとなめらかになってくる。

 べちゃべちゃだった手触りも、しっとりと心地よく変わってくる。


「はい、これでパン生地ができあがりました。これを今から発酵させていきます」


 こね上がった生地はもうべったりと手にくっついたりはしてこない。

 軽く手をふいて、魔法制御されている発酵器へボウルを入れる。

 発酵器は、わたしの身長と同じくらいの高さ。密閉できる、扉が透明の棚のようなものだ。ほどよい温度と湿度を保つことができるので、パン生地がよく発酵してくれる。


 魔法制御というのは前世でいう『電気』の力みたいなもので、知識や魔力がなくても使えるようになっている。高位術者によって生み出されているらしいけれど詳しいことはわたしには分からない。

 ただ、おかげで魔力が強くなくても前世のような便利で快適な暮らしができる。魔法制御のなんとありがたいことよー。


「酵母がよーく働いてくれると、ふんわり膨らんで、いい香りがしてくるんですよ。しっかり発酵させることでパンはほんとうに美味しく仕上がるんです」


 ……はっ。

 思わず熱く語ってしまった。


 慌てて魔王を見ると、やっぱり能面。

 はい、そうですよね。人間の話なんてつまらなかったですよね。

 ところが魔王は顎に手をやって、小さく首を縦に振った。

 どうやら悪くないらしい。まぁ、今はわたしの方が雇い主だもんね! この流れで進めるしかない!


「さて、今のうちに、パン窯へ火を入れますね。昨日消しちゃったので」


 正確には、わたしの魔力では3日しかもたない、んだけど。

 回復させるまでにも時間を必要とするから、パン屋も営業が連続3日なのだ。


 だからちょっと不安ではあるけれど数時間くらいならなんとかなるだろう。


『『万物の神よ。シュテルン・アハト・クーヘンの名において、汝の御子の力を地上へ降りさせたまえ』』


 魔力を使うとき、わたしの赤茶色の瞳と右の掌が光る。


 ぽしゅっ。


「あぁあ〜。やっぱりだめかー!」


 ……右の掌から発されたのは、なんとも間抜けな煙のみ。

 しゃがみ込んでうずくまる。あぁ! 分かってはいたけれど!


「どうした」

「魔力が足りないんです。昨日までで使い切っちゃったから、また回復するまで時間がかかるので……。しかたないので、魔法制御窯を使いましょう」


 もしものときに備えて小型の魔法制御窯も一応持ってはいるのだ。


 あ、分かりやすくいうと、『電気オーブン』みたいなもの。


「ふん。そんなことか」

「……え?」

「○△×△○」


 すると魔王は左手をパン窯に翳して、わたしの耳では聞き取れない言葉を話した。


 ばふぉおっ!


「……!」


 炎と風が巻き起こり、厨房が明るくなる。

 なんと、地獄の業火という表現が適切なんじゃないかというくらいものすごい勢いの炎がパン窯で燃えさかっていた。


 いや、この世界に『地獄』という概念はないんだけど。

 いやだからそういう問題ではなくって。


「ちょ、ちょっと。あなた、封印済みの魔王なんじゃなかったの!?」

。しかし、これくらいは魔法の内に入らぬ」

「えええええ……」


 全然封印済みじゃないじゃん。現役じゃん。

 絶対に不可能だけど、神殿のお偉いさんたちを小一時間ほど問い詰めてやりたい。もっとちゃんと封印しなさいって。というか執行猶予なんてつけなくてよかったのに。


 ごうごうと唸る炎。わたしのものなんかより激しく強い炎。

 そうだよね。魔王なんだもん。


 だけどつまりきっと勇者クラスになればこれくらいふつうに操れるんだよね……。ちょっとしょんぼりしちゃうな。

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