3.魔王、初めてパンを食べる
「さて、これで発酵とやらを待てばいいのか?」
「そうですね……」
とはいえまだ時間に余裕はある。
しかたないのでわたしは魔王と会話を試みることにした。もちろん、距離は取りつつだ。
「ところで魔王は」
「ハイトだ」
「え?」
「特別に、余を名前で呼ぶことを許そう。ハイトと呼ぶがいい」
「……ハイトさまは」
「さま、は不要だ。貴様は雇用主なのだから」
えーと、雇用主のことを貴様とは呼ばないと思う。
「……ハイトさんは今おいくつなんですか」
「人間換算だと1026歳だ」
4桁。さすが、スケールが違う。
そして見た目的に1000歳引くとちょうどよさそう。人間としては26歳くらいでいいかな?
「封印されてからは27年が経つ」
「999歳で封印されたってことですね。その辺りは歴史で習いました。女勇者リーベさまの伝説」
「うむ」
勇者の話を出したら怒るかと思ったけれど、ハイトは神妙そうに頷いた。
「勇者は実に面白い魂の持ち主だった。あの者に封印されたのは、悪くないことだったと思っている」
「へぇ。恨んだりしていないんですね」
「うむ」
不思議な魔王だ。
まぁ、だからこそ、人間の小娘の下で働こうなんて思いついたのかもしれないけれど。
「ところで貴様、男性が苦手と言っていたが、大丈夫そうではないか」
「へ」
言われてみれば、体が震えていない。
「ほんとですね。きっと、ハイトさんが男性っていう概念じゃないからでしょうね」
ただしくは、人間ではないから、だろう。
話してみて理解できたこと。このひとはまちがいなく魔王なのだ。
人間の男性と違って、下心みたいなものはないだろうし、そういう対象で見てこないからという絶対的な安心感。
……それはそれで、解雇理由にできなくなって困るけれど。
ぴぴぴぴ。
タイミングよく、まるで電子音のようなアラームが鳴る。
「あっ。パンの発酵が完了しました。ここからは一緒に作業をしてみましょう」
ということでしっかりと手を泡立てた石鹸で洗って、消毒して、作業再開である。
大きく膨らんだパン生地。
うん、今日もかわいい!
ボウルからカードを使ってテーブルの上に取り出す。
ぱしぱし。
かるーく叩いてあげると、どんどん元気になってくれるのだ。
「……スライムみたいだな」
「分からなくもないですけど、やめてください」
そもそもスライムは透明だけどパン生地は不透明だ。
いや、そういう問題ではないんだけど。
それにしてもやわらかい手触り。いい感じに発酵があがっている。
だからこそ傷めないよう、生地はすぱすぱと切っていく。
「まずは生地を同じ重さになるように量っていきます。そして、丸めて休ませます」
丸めるのはかんたんなようで実はすっごく難しい。
ハイトさんがもたもたと苦戦している一方で、少女の姿をしたシュバルツはてきぱきとパン生地の表面をきれいに張らせていく。
「おぉっ。シュバルツは上手ですね!」
「ありがとうございます」
「待て。シュバルツは、とはどういうことだ」
「ハイトさんはまずここから修業が必要そうです」
「くそ。シュバルツは器用貧乏なのだ。余が不器用という訳ではないぞ」
「もちろんその通りでございます。我が君」
器用貧乏でいいのか、従者よ。
いちいちめんどくさいやり取りだな。
「はい。そして丸め直したら少し休ませて、今日はこのなかにチーズを包むものと、ハニーナッツを載せたものをつくっていきましょう」
発酵器と同じく魔法制御されている冷蔵庫から、ダイスカットされたチーズと、はちみつ漬けのナッツを取り出す。
ナッツはくるみ、カシューナッツ、アーモンドを酵母と同じ花のはちみつで漬けたものだ。これ、そのまま食べても美味しいし、バニラアイスやヨーグルトにかけても最高なのである。
「まず、生地はひっくり返してテーブルの上で手の大きさくらいに丸く広げます。そこにチーズをこれくらい、ぱらりと載せます」
「おぉ」
「そして生地を掌に載せて、利き手の指を使ってチーズを隠すように包みます」
「おぉ」
「最後に、生地の表面に小麦粉をつけてできあがりです」
「おぉお」
なお、反応しているのはすべてシュバルツである。
「ハニーナッツは、生地をそのまま手の大きさくらいに丸く伸ばします。そして膨らみすぎないようにフォークでぷすぷす穴を開けます」
「おぉ」
「そこにたっぷりとハニーナッツを載せてください」
「おぉお」
同じく反応はシュバルツのみ。
ハイトさんは能面のままだ。
もう、それがパターンだと思うことにしよう。
「では、やってみてください」
ふたりがおそるおそるパン生地に手を伸ばした。
「これはなかなか楽しいですね!」
器用貧乏ことシュバルツは次々と生地にチーズを包んでいき、また、伸ばした生地にハニーナッツを載せていく。めちゃくちゃ手際がいい。おまけに、楽しそうだ。
対してハイトさんは、丸め直しの時点で察していたものの、……うーん。
「ご安心ください、テルーさま。我が君の分までわたくしが二倍働けばいいことです」
「それ、そういう問題なの?」
もはや思考を読まれるツッコミにも対応できるようになってきた。
とりあえず生地はすべてできたし、もう一度発酵させることにしよう。
ふんわりと膨らんだパン生地。
どれを誰がつくったかは明らかだけど、まぁいっか。
「仕上げに、チーズを包んだものは、はさみで上をちょこんと十字に切ります。ハニーナッツは上に岩塩をぱらり」
そして10分ほど地獄の業火に焼かれれば——はい、焼き上がり!
こんがり焼けた見た目にも美味しそうなパンが焼き上がった。
かぐわしい焼きたてパンの香りが厨房に充満する。
この香りが、わたしはとっても、大好きだ。
「完成でーす!」
「おぉお」
「さぁ、食べてみてください」
ぱりっ。もちっ。じゅわ〜。
口のなかを火傷しないように、ふぅふぅ冷ましながら頬張る。
チーズパンは、香ばしいパンのなかに熱々チーズがとろ〜り。鼻を抜けていくチーズの香りはまるで天国へ誘ってくれるようだ。あぁ、罪深い。
がりがりっ。
ハニーナッツは上に乗っている程よい甘さのナッツと、シンプルなパンの組み合わせが完璧! 岩塩が味を引き締めつつも引き立てるといういい仕事をしてくれている。
「こんな……こんな美味しい食べ物が人間の世界に存在したとは……驚きです……」
シュバルツがとろんと恍惚の表情を浮かべている。
ハイトさんが26歳なら今のシュバルツは12歳くらいに見える。
美少女のとろけそうな顔というのは同じ女子としても破壊力がすごい。パンだけでそんな風になってくれるとはありがたいことだ。
「……」
一方で、ハイトさんはやっぱり無表情を貫いている。
それはもういいんだけど、美味しいのかまずいのかくらい感想はほしい。
「どうですか?」
すると、ハイトさんはわたしを見てきた。
髪の毛は銀色だけど、瞳の色は森のような深くて複雑な緑色をしている。玉虫色、という表現が近いだろう。
あの炎魔法はすごかったし、人間と違って瞳の色で使える魔法が変わってくる訳じゃないんだろうな。
「これが、パンという食べ物なのか」
「えぇと?」
僅かに口元に笑みを浮かべた。
「……悪くない」
ほっ。
どうやら口には合ったようだ。
まぁ、自分で生みだした地獄の業火で焼いているから、口には合いやすいよね。
あと、やっぱり、魔王って顔が整っている。
分類するならヘビ顔、ってやつだろうか。
基本が能面だから少しでも表情が変わると、芸術品みたいだ。生きる彫刻、観賞用の美形。
「世界を統べるべき王なのだから当然です」
「だからーっ、思考を、読むな!」
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