第24話 嫌われる覚悟②

そんな僕の想いが通じたのか、登美子さんはすっと膝を浮かせて正座から胡坐の体勢に切り替えると、大人の余裕を感じるような頬笑みを浮かべた。


「ありがと。健作のそういうところ、私は大好きだよ」


大好き、という言葉に思わずドキッとしてしまったが、恐らくそこに込められた意味は僕が狼狽するほどのものではないだろう。


小説を書いているからこそ日頃から感じるのだが、日本語というものはとても曖昧でふわふわしていて卑怯な言語だ。


教鞭をとっていた夏目漱石がアイラブユ―を日本語に訳す際「月が綺麗ですねとでも訳しておきなさい」と説明したという逸話があるが、まさにこのエピソードこそが日本語の曖昧さを物語っていると思う。


だから彼女の口から発せられた「大好き」の意味は、結局のところ彼女自身にしか分からない。もしかしたら、本人自身もその意味についてよく分かっていないかもしれない。

だけど一つだけはっきりしていることがある。

例えその言葉にどんな意味が含まれているとしても、それを僕に対して投げかけてくれる人はこの広い世界の中で彼女だけだということ。


そんな哲学めいたことを僕が考えているとは露も知らない登美子さんは、両手を後ろについて天井を見上げながら口を開く。


「健作は私がサクちゃんにノートを渡したのは自分のためだと思っているだろうけど、それは大きな間違いだよ」


「間違い?」

予想外の言葉に、僕は目を丸くした。


「そ、私はそこまでお節介な人間じゃないし、大人じゃない」


「29歳は立派な大人だと思うけど」


「年齢なんて関係ないよ。小学生の時点で大人になれるガキもいるし、80越えてもまだまだ子供のジジイもいる。これから社会に出ればアンタも痛感するよ。世の中ガキばっかだって」


29歳、という具体的な数字を出してしまったからか、割かし強めの力で首を絞めてくる登美子さん。

社会に出なくても、痛感したわ。世の中、ガキばっかだ。


僕が両手を上げて降参の意を示すと、登美子さんはゆっくりと力を弱め、首を掴んでいた手を僕の頬に移動させて優しく擦り始めた。


「単純に、意地悪してみたくなったんだよ。いっつも独りぼっちでパソコンやノートに向き合って物語を紡いでいる「私だけ」の健作が、「誰かの」健作になろうとしている。アンタのことを理解してあげれるのは、これまでもこれからもずっと私だけだと思ってたから、サクちゃんとの一件を聞いた時はびっくりしたし嫉妬した。だから、困らせようと思った」


感情がごっちゃになって歪む僕の顔を、登美子さんは変わらず撫で続ける。


「どう?私、子どもでしょ?」


自虐的な笑みを浮かべながら、あえて軽い口調で言う登美子さん。

けれど僕は、首を縦には振らなかった。

なぜならば、僕からすれば登美子さんは親を除けば僕にとって一番身近な大人だったから。

僕にとっての大人のイメージは、スーツを着てニコニコと愛想笑いを浮かべているものではなく、小さい子供に叱るものでもなく、とにかく自由でわがままで、けれどしっかりと自分の芯を持っていて常に自分らしくあろうとするイメージなのだ。


「子供だよ。私自身が言うんだもん。間違いない」


僕とは正反対の生き方をしている彼女は、きっと僕の数百倍は悩みが多く度重なる困難を打ち破ってきた強い人間だろう。

自分には不可能だと理解していながら、何度登美子さんのように生きられればと思ったかは分からない。

だからこそ、僕は彼女のことを憧れていると同時に苦手でもあるのだ。


「だけど、そろそろ私も大人にならなくちゃね」


登美子さんはぼそりとそう呟くと、頬から手を離し、思い切り立ち上がった。

そして自分の頬をぺちぺちと叩き、口角を上げる。


「それに29のババアがいつまで経ってもガキのままじゃ、18のアンタはどうしたって大人になんてなれないだろうからね」


登美子さんは自分のバッグからノートを取り出し、僕の懐に投げ込む。


それをキャッチした僕は、臭いものに蓋をするようにベッドの上に置いて視線を逸らす。


すると登美子さんは再びノートを手に取り、今度は強引に僕の懐へ押しんだ。


また意地悪しているのかなと思ったが、その表情は真剣そのものであった。


「あの時の言葉、撤回するよ。一人になんて、慣れなくていい。少なくとも今のアンタは、それを選ぶべきではない」


ノートを拒む僕の手を登美子さんは掴んで、強引に受け取らせる。


「まだまだ子供のアンタには分からないかもしれないけどね。人間関係っていうのは、優しくすれば好かれるとか、面白ければ人気になるとか、そんな単純なものじゃないの。自分が良かれと思ってとった行動が、時に相手を傷つけることにもなりえるし、逆に突き放した態度を取ったつもりが相手がより一層距離を詰めてくる場合もある」


「登美子さん、もう僕は―――」


「逃げるな。ここを逃したら、アンタは一生子供のままだよ」


諦めている。そう言おうとしたけれど、登美子さんの圧力に屈して口に出すことは出来なかった。


僕の戦意が削がれたことを確認して、登美子さんは再び口を開く。


「つまり、生身の人間はアンタが創作する登場人物みたいに、アンタが思うようには動かないし、考えてもいないってこと。18年間の付き合いのある私でさえも、アンタに隠してる部分は山のようにある」


「え」


「びっくりしたでしょ?アンタに見せてる中町登美子は、ただの氷山の一角でしかないのよ。勝手に知った気にならないで気持ち悪い」


「えぇ・・・」


「私ですらもこうなんだから、サクちゃんの事なんて何も知らないでしょ。あの子が何を考えていて、どうして怒ったのか、泣いたのか、どうせ何も分からないでしょ。もしくは、分かったつもりになって見当違いな捉え方をしているか。いずれにせよ、彼女の本心なんて東野健作が図ることなんて不可能な話よ。まずはそのことを自分の頭にしっかり入れておくこと」


「そのくらい、わきまえてるつもりですけど・・・」


「うるさい黙れ!!分かってないから今こうして教えてあげてるんだろうが。ガキだって、素直に人の話に耳を傾けられるぞ。もし理解出来なくても、それを表には決して出さずに、とりあえず頷いておけ。これ、社会を上手に生き抜くための知恵ね」


「はい」


「素直でよろしい」


登美子さんは満足そうに頷き、続けた。





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