第19話 三者面談②
最初はいつもの柔らかな表情でノートを受け取ったサクさんであるが、ページを捲るたびに段々と怪訝なものへと変わっていく。
眉を顰め、目は細め、唇は固く閉ざされる。
こんなに険しい表情を浮かべるサクさんを見るのは、初めてだった。
「ケンくん」
サクさんはパタンとノートを閉じると、ギロリと僕の方を睨みつける。
その瞳は、氷のように冷ややかで今さっきの登美子さんが可愛く見えてくるほどだった。
「これ、どういうこと?」
その声には、明らかに非難の色が含まれていた。
そのノートに書かれていたのは、いわば「僕ならこのように描く」という漫画のネームのようなものだった。
ネームとは、漫画を描く際のコマ割り、コマごとの構図、セリフ、キャラクターの配置などを大まかに表したものであり、簡単に言えば設計図のようなものだ。
一般の漫画業界では、まず漫画家がこのネームを編集者に見せて、それを修正しつつ進めてから最後に原稿に取り掛かる場合が多いらしい。
先ほど設計図のようなものと説明したが、漫画を描く上でネームはそれだけ役割を担っており、ネームで8割方作品の出来が決まると言っても過言ではない。
そして彼女の元の原稿がありながら、僕はまた別でその設計図を作っていた。
彼女の原稿を読んで「僕ならこうする」と思うだけでは飽き足らず、実際に形として残してみたくなったのだ。
それはあくまで僕の単なる好奇心から来る遊びのようなもので、このノートをサクさんに見せるつもりは1ミリも無かったし、逆に絶対に見られてはいけないとさえ思っていた。
僕のこの行いは、サクさんの原稿を否定しているのと同じことだ。
例えるならば店のマニュアルを全く無視して自己流で料理をして、お客さんに提供するようなものである。
そんなことをして、店の大将が怒らないはずがない。
しかしサクさんは怒っているというよりも、どこか悲しげな感情を抱いているように映った。
「そ、それは・・・」
助け舟を求めようと、僕は登美子さんに視線をやるが、彼女はそっぽを向いてどこか一点を見つめていた。
焚きつけるだけ焚きつけておいて、僕らに干渉する気はないらしい。
これで私の仕事は終わった。
「無」の境地に立ったような彼女の横顔が、そう告げていた。
その彼女のあまりの無責任さに、僕は軽い苛立ちさえも感じたが、とりあえずはこの状況をどうにかしようとサクさんの方を向き直る。
「サクさんの原稿がどれだけ優れているか自分の描いたやつと比較して、確かめたかった的な?」
少々無理のある言い訳に、サクさんはクスリともしなかった。
「嘘つき。コマの一つ一つの意味や効果とか、登場人物の表情とか、コマ外に細かく説明されてるし、何より話のテンポだったりセリフだったりが漫画用にしっかり練られているのが見て分かる。これ、ちょうど私が今描いてるところのネームだよね?」
「そうらしいね」
黙っている僕に代わって、登美子さんが答えた。
サクさんはもう一度ノートをパラパラと捲ると、軽くため息をついた。
「数ページ分読んだだけで分かる。私の原稿よりも、絶対こっちの方が良いじゃん。原作者だから当然なんだろうけど、私のよりも全然作品の魅力を引き出せてるし、漫画としての完成度が圧倒的に高い」
サクさんは少し間を空けて、再びノートを閉じた。そして、ギロリと僕を睨みつける。
「ねえ、どうしてこのノートに描かれたネームの存在を教えてくれなかったの?」
「そ、それは・・・単なる自己満足だし、サクさんの原稿の方が素晴らし――」
「バカにしないでよ!!!!!」
サクさんは悲鳴にも似た大きな声が店内に響き渡り、真っ赤に瞳を充血させながら縮こまる僕を見下ろした。その瞳からは、段々と涙の粒が浮かんでくる。
「今はそんな繕った言葉を聞きたいんじゃない。どうしてそれが分からないのかな?・・・別に私はケンくんを責めてる訳じゃない。ネームなんて、絶対ケンくんが描いた方が良いに決まってる。そんなこと、はじめから知ってたよ。だからね、ケンくん。私が今、ショックを受けているのは・・・」
ここでサクさんは手の平で顔を隠し、限界を迎えたのかいったんせき切ったら止まらなくなったみたいに、洋服の袖に涙をポロポロこぼして泣き崩れてしまった。
「私たち、コンビじゃん」
嗚咽を漏らしながら、サクさんはそう何度も繰り返す。
僕は頭が真っ白になって、何もいえずにただずっと彼女を見ていた。
そこで登美子さんの視線を感じたが、彼女は何を言う訳でも無く、僕がサクさんにそうするように、ひたすらに黙っていた。
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