第17話 ガンコなところ
「まあ、このくらいなら許してあげよう。会社でクビ寸前の仕事が出来ない設定なのは、納得いかないけど」
プロットを読み終えた登美子さんが、渋々といった表情で僕にノートを渡してくる。
「だってそこは物語の根幹に関わる設定ですから。恋も仕事もうまくいっていない主人公の成長を、ストーリーの軸としているので」
「分かってるわよ。ホント、創作に関わることになると昔から頑固なんだから」
登美子さんは、よいしょとベッドから起き上がると台所へ行ってコーヒーを作り始めた。
僕が実家から持ってきたウサギのイラストが描かれたマグカップは、小さい時に彼女がプレゼントしてくれたものだ。
当時まだ幼かった僕は「これ一万円もしたんだから大事に使ってね」という登美子さんの嘘を純粋に信じ込んで、これでジュースやらココアやらを飲むたびに高級な気分になって、洗う時も普通の食器の10倍は念入りに洗った。
それが百均で買った安物のマグカップだと知った時は、かなりショックを受けたものだが、何だかんだ愛着が湧いてしまって一人暮らしをする際に実家からわざわざ持ってくるほど今でも愛用している。
僕はベッドから腰を下ろし、数分前に新しく届いたサクさんの原稿を確認する。
彼女は作品を電子で描いているため、生の原稿がそのままファイルで送られてくる。
相変わらず僕の作品には勿体ないほどの画力であるが、やはり構成やコマ割りで気になる点がいくつかある。
思わずため息を漏らすと、水の入ったケトルを持った登美子さんが「どうかした?」と興味深そうに視線を向けてくる。
「何でもないです」
「何にもないのにため息が出るってことは、なかなかの末期よ。ソースは私」
「強く生きて下さい。登美子ちゃん」
「やかましいわ。で、何があったの?」
登美子さんはケトルの電源を入れると、駆け足でこちらに戻ってきて僕の隣に座った。
今までうっすらと部屋に漂っていた彼女の上品な香水の香りが、一層強くなる。
いずれにせよ、サクさんとのことを登美子さんにはきちんと話そうとは思っていたので、観念してネットに小説を投稿したところからサクさんとコンビを組むまでのいきさつをあくまで端的に彼女に説明した。
「ええええええ!!!?どうしてそんな面白いことを、真っ先に教えてくれなかったのよ!!」
隣人から苦情が来そうなレベルで驚きの声を上げた後、登美子さんは体を押し付けるようにして僕に迫った。
大方、僕の予想通りの反応だったが、肩にのしかかる柔らかい弾力だけは想定外の出来事で脳内パニックを起こしてしまう。
「と、登美子ちゃん・・・。そ、その、ボインが、、、当たってます」
「そんなことどうでもいいから、そのサクちゃんって子はどんな人なの?!」
「あ、はい。とても女性らしい、良いものをお持ちです」
「いやボインの話じゃなくて。人となりの話」
登美子さんに鋭く指摘され、我に返って頬が真っ赤に染まる。
お、恐るべきボインの破壊力。威力に違いはあれど、こんな核兵器のようなものを二つも保有している女性という生き物は恐ろしい。
非核三原則「(乳を)持たず、(彼女を)作らず、(部屋に)持ち込ませず」
やはりこの教えは、僕の平和を維持する上で大切なことだったようだ。
「僕と絡んでくれてる時点で良い人なのは分かるでしょう。外見も中身も非の打ちどころがなく、まさに物語に出てきそうなくらいの完璧な女の子ですよ」
「ふ~ん。で、そんな完璧美少女のサクちゃんのどこが不満なの?」
「ふ、不満なんて無いですよ!!」
ここでケトルがお湯を沸かしたことを告げ、登美子さんはマグカップにコーヒーを入れ始めた。
コーヒーを入れると言っても、あまりサーバーやペーパーフィルターなど、その辺の器具はないため、粉と砂糖とクリープをカップに適当な量ぶち込んでそのままお湯を注ぐという超手抜きの作成方法を取っているのだが。
登美子さんはマドラーでそれらをかき混ぜると、フーフーと冷ましてから慎重な様子で一口飲む。
てかあれ、僕の分は?
「健作、私を誰だと思ってるの?そんな嘘で誤魔化せるはずがないでしょ?」
コーヒーを飲んだ後、彼女は「ふう」と一息ついて、僕の方を見る。
「悩みっていうのは誰かに打ち明けた方が気が楽になるものよ。それにその悩みっていうのが人間関係によるものならば、アンタの引き出しから少ない経験と知識を取り出すよりも私に相談する方が解決の糸口が見つけられると思わない?アンタも知っての通り私、その手の経験値には自信があるの」
登美子さんは自信満々な表情を浮かべると、熱々のマグカップを差し出してきた。
別に答えを求めてる訳ではないのだが、こうなった以上彼女に話すのが自然の流れか。話を聞くだけ聞いてもらったら、綺麗に諦めもつくかも知れないし、あるいは自分の自惚れを咎めてくれるかもしれない。
僕は登美子さんに自分の想いを吐露する覚悟を固め、マグカップを受け取る。
彼女が口付けた反対側のところから、チビチビとコーヒーを飲んだ。
不味。
そのコーヒーは、明らかに砂糖もコーヒーもクリープも入れすぎていてもはや味が濃すぎて訳が分からなくなっていた。
そう言えば、この目の前にいる女性が味音痴であることを忘れていた。
この人は、基本味が濃ければ濃いほど何でも旨いと思っているのだ。
そんな馬鹿舌を持っているので、当然料理の腕も壊滅的である。
数年前、オムライスを作ってもらった時には、まだ半分以上あったうちのケチャップをたった二人分だけで空にしていった伝説も持っている。
ああ、また一つ、登美子さんが結婚できない理由を見つけてしまった。
僕はあまりに気の毒になり申し訳程度にその悪魔のようなコーヒーをもう一口飲んでから、無言でマグカップを返した。
すると登美子さんは「遠慮しなくていいのに」と口を尖らせた後、僕が口付けたカップの淵のところをあえて舌で舐めて、誘惑的な瞳でこちらを見てきた。
しかしすぐにいたずらっぽい笑みを浮かべると「どう?ドキドキした?」とにへらと笑った。
ごめんなさい、登美子さん。
あまりのコーヒーの不味さに、それどころじゃありませんでした。
心なしか口の中までひりひりとしてきたので、まだスムーズに口が動くうちに僕は自らの自惚れがちな贅沢な悩みを彼女に話し始めた。
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