第5話 結成
授業が終わって2時間後、僕は穴場のようなカフェで前と同じようにサクさんと向き合っていた。
二度目の来店とあって、小洒落たマスターも僕の顔を見るなりにこやかに挨拶してくれた。なんて、幸せなんだ・・・。
「ふう。どうしてあんなに拒絶するかなあ。ちょっと悲しくなったんですけど」
マスターの真摯な対応に幸福感を募らせていた僕とは対照的に、サクさんは不機嫌だった。
その鋭い視線に、僕は小刻みに何度も頭を下げる。
あの授業の後、僕は何とか逃げ出そうとした。
今日はあの授業で終わりだったが、次があると嘘をつき、サクさんから離れようとしたが「なら私も一緒に受ける」と聞かず、結局嘘を白状させられた。
大学を出る際に、トイレへ行くふりをして逃げ出そうとしたが、男子トイレの入り口まで付いてこられて、ただ便器を眺めるのみで終わった。
ここまで来る際も、隙を見て逃げ出そうと歩くペースを緩めたりしてあえて距離を空けようとしたが、恋人のような距離感でピタッと隣をキープされ、逃げるどころか思考がフリーズしてただドキドキするのみでここまで来てしまった。
さすがに彼女の方も僕の異変は察知していたらしく、今こうしてご機嫌斜めという訳なのである。
「いや、拒絶している訳ではなくて。単純に、僕なんかと関わってもいい事なんて何もないと思うので・・・」
「とか言いつつ、本当は私のこと嫌いなんじゃないですか?」
「そ、そんなことないです!!大好きです!!」
「だ、大好き・・・」
「ごめんなさい間違いました!!すいません調子に乗りました!!う、嘘です嘘!」
「嘘なんですか?!!」
「あ、いや、その・・」
何を言っているんだ僕は。
ほら、やっぱり僕なんかと絡んでもろくなことにならないでしょう。
サクさんも怒って顔が真っ赤だし、これ以上一緒にいても彼女にストレスを与えてしまうだけだ。
そう思い、黙って席を立とうとした瞬間、サクさんがテーブルから身を乗り出し、僕の腕を掴む。
「お願いだから、私の話が終わるまで、もう逃げないで下さい」
サクさんらしくない、冷ややかな口調。
僕はすっかり怖気づいてしまい、すとんと力が抜けて着席する。
サクさんは僕の腕を解放すると、持っていた大きめのバッグから数枚の紙を取り出して木製テーブルの中央に置いた。
タイミングを見計らったように、マスターが二人分のコーヒーを持ってきて、端に置いた。
「よ、読んでみて・・・下さい」
恥ずかしそうに身を縮こませながら、ボソッと呟くサクさん。
僕はなにかと思いながら数枚の紙を全て手に取り、それらをゆっくりと表にひっくり返す。
その紙の正体は、漫画の原稿だった。
1ページ目は降り頻る雪の中で、ベンチに座って哀しげな表情を浮かべている一人の女の子の一面。
その絵の下に、綺麗なデザインの文字フォントで『ホワイトブルーの恋結晶』という文字が記されていた。
僕が三か月掛けて書き上げた作品のタイトルだ。
そしてこの一面は、冒頭で描いたヒロインの初登場シーン。
心臓の鼓動が大きくなる。
「これは・・・」
サクさんは、僕の顔を見るなり、大きく頭を下げて「すいません」と謝った。
「実は1か月くらい前から、ケンさんの許可を取らずに勝手に描き始めていたんです。最初は自分の大好きな作品のストーリーをイラストにして視覚的に楽しみたいという自己満足だけのものでした。元々、絵は好きでしたし、漫画も大好きで、独学で基礎的な部分を勉強したりもしていたので、どうなるのかなと。そしたら、描いているうちに段々とこの作品に対する愛情が増していき、とうとう抑えられないところまで来てしまったんです。もう、この際だからはっきり言います。コンビニなりたいというのは、単純にただの私のワガママです。この作品に携わりたい、こんな素敵な物語を書く作者さんと携わりたい、もっともっと多くの人にこの作品を、東野ケンを知ってもらいたい。ケンさんにとっては迷惑極まりない話かもしれませんが、この想いを簡単に諦めることは出来ないんです!!!」
中盤辺りから、熱量そのままにサクさんは立ち上がって、鼻声になりながら訴える。
僕は最初の1ページをじっくりと眺めた後、次のページを見る。
まるで、夢のようだった。
自分の頭の中だけで描いた物語が、登場人物が、風景が、誰かの手によってこんなにも生き生きと動き、輝いていた。
冒頭の、大晦日の夜に高校の同級生だった主人公とヒロインが4年ぶりに再会するシーン。
こんなにも主人公はかつての初恋の相手に会えた喜びで目を細めていたのか。
対照的にヒロインは、そんな主人公に会っても絶望に満ち溢れた表情を浮かべていたのか。
この物語は、大学生活の4年間で一途にヒロインを想い続けた主人公と、その4年の間に悲劇に見舞われて心に深い傷を負ったヒロインの純愛ラブストーリー。
この物語の始まりを、象徴するかのようなシーンで今後の展開を暗示するようなこの二人の表情。
僕の力量不足もあり、再会シーンの二人の表情までは描写していないはずだ。
つまり、この物語をきちんと理解していないとこの表現は出来ない。
気付けば、涙がこぼれていた。
「だ、大丈夫ですか?!」と慌てるサクさん。
何に感動しているのかは分からない。
自分の脳内で描いた物語が、こうして絵となって彩られているからか。
サクさん自身のこの作品への溢れんほどの愛が伝わってきたからか。
あるいは、その両方か。
僕は最後のページを読み終わり、これらの原稿をそっとテーブルに置く。
けれど、一つだけはっきりしていることがある。
それは、もうこの作品は僕だけのものではないと言うことだ。
僕はマスターが入れてくれたコーヒーを手を取り、それを一気に飲み干す。
そして腕で涙を拭って、しっかりとサクさんの目を見て言った。
「あの。言っておきますけど僕、かなり面倒くさいですよ。今まで友達が出来たことが無くずっと独りで、クラスメイトとまともに会話したことも数えるくらいしかありませんし。誰かと協力だなんて、したこともないのでコミュニケーション能力0の僕は、きっと何度もサクさんを怒らせることになります」
サクさんは、黙って僕の話にうんうんと頷いてくれる。
僕の卑屈的な言葉には、きちんと首を横に振って。
そう、最初から分かってた。
この人は、僕を迷惑だなんて思ってないし、この先も思ったりしない。
僕にとっては初めての、僕と一緒に居ることを望んでくれた人なのだ。
その理由が、作品だろうが、作家としての僕だろうがそんなことはこの際関係ない。
僕はずっと彼女の事を考えるふりをして、本当はただ「独り」で居ることを自ら望んでいただけなのだ。そっちの方が、楽だから。
しかし僕は、この原稿を見て知ってしまった。
「独り」じゃくて、「二人」で創ることの素晴らしさを。
「独り」だけではみることの出来ない世界が、こんなにも美しいことを。
確かに、「独り」は楽だ。今までずっとそうして生きてきたから。
けれど、僕はもう知りたいと思ってしまっている。
彼女と「二人」で創るストーリーを。
「それでも良いなら、えっと、その・・・」
僕は原稿をサクさんに差し出す。
彼女はそれを受け取ると、優しい微笑みを浮かべながら僕の次の言葉を待つ。
コーヒーの匂いがする息を吐きだして、僕は姿勢を正す。
そして、緊張すらも味わいながらゆっくりと口を開いた。
「僕とコンビを組んでくれませんか」
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