ターハラッソー・イチローの合従策

カイ艦長

ターハラッソー・イチローの合従策

 ロシアがウクライナへついに侵攻!


 その一報を朝食しながら聞いた田原総一朗は、とっさに危機を抱いた。


 なにしろロシアは核兵器を保有する核大国であり、ウクライナはヨーロッパ最大級の原子力発電所を保有する国だからである。

 まかり間違えば原子力発電所が攻撃されてメルトダウンが発生するかもしれない。またロシアの為政者次第でいつ核ミサイルが撃ち込まれるかもわからない。

 このふたつの点において、世界初の戦争が今行なわれているのである。


 このままでは、いずれウクライナ地域が放射線で汚染される。

 福島第一原子力発電所事故は巨大津波によって引き起こされた、一種の自然災害かもしれない。だが今回の戦争は人が行なっているものであり、ウクライナが放射線まみれにされたら、それはロシア人がそうするのである。


 アメリカやイギリス、EUの首脳はおそらく核の反撃を恐れて派兵ができないだろう。

 それではウクライナが占領されるまで西側国家は指をくわえて見ているしかないのか。

 伝え聞くところでは、金融・経済封鎖を行なってロシアがギブアップするのを待つ戦略をとるという。


 それではダメなのだ。


 田原は老いてなお闊達である。

 金融・経済封鎖などという小さな政策では脅威は去らない。

 第一、それらが本当に効き始めるには最低でも二、三カ月はかかる。それまでウクライナが陥落しない保証などない。とくに食糧が不足し、電気・ガス・水道のライフラインをロシアに握られたら早晩お手上げである。


 田原はある秘策を携えて日本政府へ連絡のうえ、激戦のウクライナに隣接するポーランドへと緊急渡航した。




 田原はワルシャワ・ショパン空港に降り立つと、日本政府が手配したポーランドの外交官に出迎えられた。

 がっちりと握手を交わしたいところだが、あいにく今は新型コロナウイルス感染症が流行している。そこで肘タッチにとどめた。


「日本政府から派遣された、ジャーナリストの田原総一朗です」

「あなたがターハラッソー・イチローさんですね。わたくしヴィクトル・ブレジンスキーと申します」

「ずいぶんと日本語が達者ですね」

「大学時代に東京大学へ留学していました。大統領秘書官がお待ちしております。さっそく参りましょう、ターハラッソーさん」

「田原総一朗、なんだが」

「わかっておりますよ、ターハラッソーさん。ワハハハハ」


 どうやらわかっていないようなのだが、自信を持って言い返されるとぐうの音も出なかった。




「ようこそポーランドへ、ターハラッソー・イチローさん」

 ここでも肘タッチでの挨拶となった。


「あなたの役目は日本政府から外交筋で伺っております。通訳としてこのヴィクトルをお連れください。日本語も堪能ですし、東ヨーロッパの言語にも精通しております」


 ということは、ターハラッソーと呼ばれるのは、ヴィクトルのせいなのか。

 しかし名前の呼ばれ方など些細なことだ。今は核戦争を防ぐための迅速な行動こそが求められる。


 さっそく口火を切った。

「現状ヨーロッパやアメリカはウクライナひとりに戦わせている。いくら核をちらつかせられたからといってだらしなさすぎる! なぜこんなことになったんだ。ポーランドの公式見解が知りたい!」

 田原は語気を強めて問いただす。


 『朝まで生テレビ!』『激論!クロスファイア』で今なお健在な、田原特有の話術である。田原に煽られると、呼ばれた人物は本心をさらけ出す。それを引き出すため、周到に計算された話術なのだ。


「助けたいのはやまやまですが、相手は核をちらつかせています。へたに応援に駆けつけたら、今のロシアなら撃ちかねない」


「それは杞憂だ。第一、ドネツク、ルガンスクの親ロシア派武装集団が一方的に人民共和国と称した地域を国として承認するなんて国連憲章に違反している。そしてそれがウクライナに核を撃てない理由にもなっている」

「と申しますと?」

「つまりウクライナ東部がいくら人民共和国として独立できたとしても、ウクライナに核が撃ち込まれたら放射線は偏西風に乗って東、つまりドンバス地域に流れていく。風下にいるのだから、仮にウクライナを核攻撃したら、助けたはずのドネツク、ルガンスクを見殺しにするようなもの。それでは意味がないんだ!」


 ポーランドの大統領秘書官は思案しているようだ。


「しかし、わが国にミサイルを打ち込む可能性も──」

「それもない! そんなことをしたら、ロシアの口実だった『ドネツク、ルガンスクの独立のための特別軍事作戦』ではなくなってしまう! それにそんなことが起こればアメリカ、イギリス、フランスの核保有国が黙っていない。確実にクレムリンに向けて核ミサイルを発射する!」

「それでは第三次世界大戦が──」

「それも心配無用! もしロシアがウクライナや他国に核を撃ち込もうとしたら、頭の良い側近がいればその場で射殺する。少し鈍くても核の被害を目の当たりにしたらためらいもなく射殺する。つまりロシアは核に手をかけたら終わりなんだよ!」

「なるほど、そういう考えもできますね」


「それで私の、いや日本の提案なんだが」

「なにか打開策があると?」

「古代中国で秦という大国と戦うため、他の六国は利害を抜きにして手を組んだ例がある。蘇秦という人が作ったその同盟を『合従ガッショウ』というんだが。今ロシアを倒すためには、北欧のノルウェーからポーランド、モルドバに至るまで地図上で縦にびっしりと同盟を組むんだ。これでヨーロッパの盾ができる」

「それでロシアの西方拡大は防げると」

「それだけじゃない! ウクライナを武力占領したとしても、失地回復のための兵を派遣できる。ロシアの相手をしているのが東ヨーロッパの国々であり、その背後には西ヨーロッパ諸国がおり、兵を前線へと送り込んでくる。だから『合従』策は無法者に効くんだ!」


 熱を帯びた田原の説得が伝わったのか、大統領秘書官が黙り込んでいる。


 しばらくしてジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出した。

「あ、私です。大統領との面会許可をお願い致します。……はい、例の日本のターハラッソー氏の件についてです。……はい、かしこまりました。ではすぐにそちらへ伺います」


 大統領秘書官がスマートフォンを内ポケットにしまって、田原に向き直る。

「ターハラッソーさん、あなたの意見は正しいようだ。しかし時間的な猶予がほとんどない。これから直ちに大統領を説得してまいります」

「お願いします」




 再びワルシャワ・ショパン空港へやって来た田原とヴィクトル。

 大統領秘書官が空港まで送り届けてくれた。


「あなたの使命は重大です。早期に各国の承認を取り付けてください。そうしなければわれわれはウクライナを失ってしまいます。そこに住むウクライナ人は、わが国にも多数難民として流入しているのです」


 田原は険しい顔を崩さなかった。

「日本にできるのは、軍の派遣ではなく外交交渉だけ。今回は政府の動きが鈍く私が直接出てきたが。だから本来私の仕事じゃないんだ」

「それでも私たちのために足を運ばれた……」

「このまま第三次世界大戦が始まったんじゃ、おちおち老後も気軽に過ごせませんからね」

「ではまたいつか、お会いいたしましょう。ターハラッソーさん」

「田原総一朗ですよ」

「わかっております。ターハラッソーさん」

 大統領秘書官も至極真面目な顔をしている。これは言い間違えなんてしていない、という強い意志の現れだ。


 ここで名前の小競り合いに体力を使うのももったいない。

 もうポーランドでは「ターハラッソー」と呼ばれてもよいか。




 こうして東欧諸国を渡り歩き、合従策を成立させてロシアの覇権を挫いた第一の功労者として、東欧で「ターハラッソー・イチロー」の名は後世まで語り継がれることとなった。



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