「バイバイ、みんなのVtuber」

中田もな

「バイバイ、りりりん」

「――重大発表があります」

 画面越しのりりりんは、悲しそうに目を落とした。キャプチャの裏側にいる人も、きっと辛いのだろう。

「どうしたの?」

「なんか、元気ないね」

 生放送の書き込みが、心配の声でいっぱいになる。私はカップ麺を啜りながら、無表情で字面を眺めた。

「本当は……、こんなこと、言いたくなかった……」

 目頭を押さえながら、嗚咽を漏らすりりりん。泣いているように見えるのだから、最近のモーションは本当に凝っている。

「りりりん、泣かないで!」

「え、なに? 悪い報告なの?」

 Vtuberのまとめサイトでは、実況中継が繰り広げられている。それもそうだ。大手グループメンバーの重大発表となれば、ファンは注目せずにはいられない。

「これは引退発表www」

「てか、泣くならマイク切れ」

「は? 文句言うなら見んな」

 スレッドに紛れたアンチと、それを吊るす信者。高速で流れる掲示板は、あっという間に戦場と化した。

 長い髪を揺らしながら、肩を震わすりりりん。彼女が口を開くのを、推しのみんなが見守った。キーボードを叩くファンも、投げ銭組の常連も、そして私も。可愛い声が紡ぐ言葉を、推しのみんなが待っていた。


「私、りりりんは……、この度、Vtuberを引退します……!」


 ――滑らかに通り過ぎる時間が、一瞬の内に凍りついた。彼女のことが好きな人も、彼女のことが嫌いな人も、みんな等しく動きを止めた。

「みんなの温かいコメントを読んで、やっぱり辞めちゃダメだよねって、何度もなんども考えた……。だけどね……、もう、辛くなっちゃったの……」

 白い手で涙を拭いながら、りりりんは小さく話を続ける。はっとした信者たちは、すぐさま書き込みを開始した。

「そんな! 引退だなんて、突然すぎる!」

「え、なんで? りりりん、なんで?」

「もしかして、メンバーからのいじめ!?」

 りりりんは弱々しく首を振るばかりで、彼らの質問に答えようとしない。「個人的な事情で、引退することになった」、「メンバーたちは何も悪くない」。彼女はただ、そう言った。

「応援してくれたみんな、本当にありがとう……。これからも、メンバーをよろしくお願いします……」

 一方的に締めくくると、りりりんは放送を終えてしまった。もう二度と、表舞台に立つことはない。あの表情は、そう物語っていた。

「マジで引退発表だったわ……」

 緩やかに動き始めた掲示板に、黒い文字がぽとりと落ちた。それを見た私は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、カップ麺のスープを流しに捨てた。りりりんが大手とコラボした、激辛の類のラーメンだった。






「ねぇ、見た!? あんたの好きなりりりん、引退発表したんだって!!」

 トイレから帰って来ると、大学の友人からメッセージが届いていた。私は再びパソコンをつけ、スマホ片手に炭酸を飲んだ。

「うん、見た……。ショック過ぎて、吐きそう……」

 泣き顔のスタンプを送りながら、ネットの海に深く沈む。泣いても吐いてもいなかったが、あえて悲しそうなフリをした。

「マジで引退するの? あんなに人気だったのに?」

「りりりん、マジ泣きしてたよ……。あれはウソじゃないって……」

 ブラックホールのような真っ黒な背景に、血に濡れたような真っ赤なエンブレム。長ったらしいパスワードして、私は灰色のウェブに足を踏み入れた。


「今日、私の推しが死にました。協力してくれたみんな、本当にありがとう」

 ……数十秒と間を置かず、祝福の声が飛んでくる。りりりんがVtuber界から消えたことを、みんなも嬉しがってくれた。

「Vtuberを殺すの、これが初めてだったわ」

「これから増えると思うし、いい練習台になった」

 私は満面の笑みを浮かべながら、りりりんがプロデュースしたうさぎのぬいぐるみを抱き締めた。りりりんがVtuberとして注目されるようになってから、古参ファンの私とって、地獄のような日々が続いた。彼女が新規のファンに穢されていくのが、気持ち悪くてたまらなかった。

「表舞台から消えた今、私は本当の意味で、りりりんを愛することができます。りりりんがエロ板でネタにされたり、キモいアンチに粘着されたり……。そういうのが、心の底から嫌でした」

 重すぎる愛に溢れたこのサイトは、大好きな推しが穢れることのないように、みんなで殺してあげる世界。推しを行方不明にした管理人は、「最近は二次元が多いから、仕事がラクで助かる」と言っていた。

「辛かったな。オマエはよく頑張った」

 見知らぬ誰かにそう言われ、私の心は軽くなる。りりりんを殺すために、過去の素行を暴いた甲斐があった。彼女は昔、陰湿ないじめに加担していた。それを片手に、何度もなんども彼女を脅した。「引退しなければ、社会的に抹殺してやる」と。

「てかあいつ、マジでチョロかったよなwww 真っ黒すぎて、苦労しなかったわwww」

 外面の良い彼女は、簡単にVtuberとしての地位を捨てた。私は別に、彼女がいじめの首謀者だったとか、昔は絵に描いたようなDQNだったとか、そんなことはどうでも良かった。ただ、美しいままのりりりんで、天使のように死んでくれれば。


「ありがとう。私は一生、りりりんを愛し続けます」


 ――バイバイ、みんなのVtuber。みんなの推しを、私は殺した。

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「バイバイ、みんなのVtuber」 中田もな @Nakata-Mona

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