第2話 魔法少女に始まりの日(2)

「着いたけど……」


 午前零時手前。指定された住所に辿り着いた私は、目先の建物を見上げた。


「ここであってる……よね?」


 三階建ての廃ビル。看板も表札もないため、ここが指定の場所である確証が取れない。

 ……割れた窓。切れかけの電灯。張った蜘蛛の巣。ひび割れた外壁。色褪せた塗装。寂寥を象ったようだ。

 到底、人が住める環境とは思えない外観をしている。

 そもそもこの地域、海華わだか町自体が異質だ。駅に着いた瞬間から鼠色の霧が色濃く立ち込めていて、町にはこの黄金山こがねやま金融ビル以外にも、複数の廃ビル、廃屋で溢れかえっている。人の気配は全くと言っていいほどになく、取り壊し計画が何らかの要因で打ち切りになったのか、中途半端なあばら家が軒を連ねていた。海華の街並みはその名に反して華やかさに欠け、さながらゴーストタウンの様相を呈していた。

 最寄り駅から三駅にこのような場所があったとは驚きだ。心霊の類が出てきても不思議ではない雰囲気が漂っている。

 夏にしては幾らか冷たい風が足元を吹き付け、思わず身震いした。


「シャッターは閉まってるし、この階段から上がればいいのかな……」


 入口の左手側にある階段。その手すりに手を掛けた途端、錆びついていた手すりはがらがらと音を立てて崩れ落ちた。


「……」


 この階段、本当に上っても大丈夫なのだろうか。老朽化が進んだ建物に踏み入る勇気というのは、幽霊の有無以前のものだ。憑りつかれる以前に、建物の下敷きになってしまう可能性がある。下手したら明日には憑りつく側に回っているおそれがあるわけだ。


「まぁ、せっかく来たし」


 意を決して一歩を踏み出す。私は自分の命を軽んじているため、思ったより簡単に脚が動いてくれた。

 つかつかと階段を上がっていく。

 踏みしめてみれば案外足元は頑丈で、私のような小娘が乗ったところでびくともしなかった。

 導かれるように進み、屋上の扉前。

 半開きになった扉から、物憂げな後姿を覗き見た。


 ────月光、霧がかり。朧気に彼女の輪郭を映し出す。

 両に束ねられた撫子色の長髪が夜風に靡いて、ちりばめられたペリドットを想起させるメッシュが月明かりを吸って一層に煌めく。

 綺麗だと、見惚れていた。

 永遠とさえ思える刹那を経て、私は彼女に言葉を投げかけた。


「あ、あの」

「なっ! だ、誰ピコ!? いつの間に」


 私の声に一驚して、こちらへ振り返る彼女。

 独特な語尾、スーツ姿、公園で遭遇したのは間違いなく──

 ……いや、こんなに目立つ髪色ではなかったはずだ。あの時は何の特徴もない黒髪だったはず。そうでなければこの派手な外見が記憶に残っていないのは妙だ。

 そんな思惟を知ってか知らずか、彼女は驚くべき変化を見せた。


「あ。や、やべピコ」

「え……!」


 瞬間。彼女の派手な髪色が、まるで夜に紛れ込むかのように黒色へと変色した。

 その姿は間違いなく、公園で邂逅した彼女のものだった。


「な、なにかご用でしょうか? ピコ」

「い、いま、髪が……」

「何のことピコ?」

「色が一瞬で」

「何を言ってるのかわかりませんピコ」


 白を切り続ける彼女に埒が開かず、私は本題へと入ることにした。


「……ねえ、昨日公園でしていた話って勧誘?」

「? 何の話ピコ?」

「いや、魔法少女……がなんとかって……」

「魔法少女!?」


 魔法少女という響きがどこか照れくさく、次第に声が小さくなっていってしまう。それに被せ、食い入るように彼女は問いかけてきた。


「それっどこで、誰から聞いたピコ!?」

「え? だから昨日公園であなたに……」

「……昨日、公園……記憶はないピコだけど、その時はたぶんお酒が入っていたから……」


 私に背を向けぶつぶつと独り言を話す彼女。聞こえた部分を抜粋して要約すると、酔っ払っていたため覚えていない、という感じだろうか。確かに、公園でのやり取りはとても素面での行動とは思えなかった。


「なーんだ! そういうことなら早く言ってピコよ!」


 彼女は見るからに機嫌が良さそうに大口を開いて笑った後、懐から取り出した名刺を差し出した。


「昨日の私にどこまで聞いたかは分からないけど、一応自己紹介しておくピコ。当方、こういう者ピコ」


 ──魔法少女契約妖精、木下きのしたぴこぴ。

 お堅い様式とメルヘンの狭間に、軽くこめかみが痛んだ。


「私のことはぴこぴって呼び捨てしていいピコ。あなたの名前は何ていうピコ?」

「……忍憑しのつくあめ

「どこまでが苗字ピコ? あと何て呼べばいいピコ?」

「忍憑までが苗字だよ。私も、呼び捨てで飴でいい」


 名前の区切りを聞かれたのは初めてだ。酔っ払っていなくても、やはり彼女は少し変わり者な気がする。

 ぴこぴは感心そうにこくこくと頷くと、


「じゃあアメは、なんで魔法少女になろうと思ったピコか?」


 そう質問をしてきた。


「え? 別になろうと思ってないけど……」

「え?」


 沈黙。

 ややあって、ぴこぴは動揺を全身で露わにした。


「ど、どいうことピコ!? じゃあなんでこんな時間にこんなところまで来たピコか? 冷やかしピコ!?」

「いや……退屈だったから」

「ほ、ほんとに冷やかしだったピコ!」

「冷やかしって聞こえが悪いな……別にやらないって言ってるわけじゃないよ」

「どっちピコ!?」

「楽しそうだったらやろうかなって」


 実際、その程度の心構えでここに来ている。

 楽しそうだと思ったことはやってみて、楽しくなさそうなことは極力やらない。単純明快で我儘な生き方をしていると自分でも思う。もう少し歳を重ねたら、それが通用しなくなることも分かる。だからこそ今は、まだそんな心理構造で動いていたいのだ。


「まあ……私も無理強いはしたくないピコ。アメが私の話を聞いて、ちょっとでも興味が湧いたらでいいピコ」


 思ったよりすんなりと私の言い分を聞き入れたぴこぴは、何故だか暗い顔をしている気がした。

 少しばつが悪くなって、私は率直な質問を投げかけてみた。


「そもそも魔法少女って何するの?」

「いろいろだけど、基本的には人助けピコ。魔法の力で困ってる人たちの問題を解決してあげるピコ」

「へえ」


 面倒くさそうだ。人助けとかする柄じゃないし。


「めんどくさそうとか柄じゃないとか思ってそうピコね」

「すご、お見通しだ」

「とーぜんピコ。アメは人助けとかしたことないだろうから知らないだろうけど、結構楽しいピコよ。感謝されると気分がいいピコ」

「へえ」

「……興味無さそうピコね。だったらこういうのはどうピコ」


 ぴこぴがその場でくるりと回ると、先ほどとは逆に、地味な黒髪が派手な撫子色へと変色した。


「おお、それ凄い」

「でしょピコ! これが魔法ピコ。まあ本来の色がこっちだから、これは魔法を解いた状態なんだけどねピコ」


 私の素直な感想にえへへと照れるぴこぴ。やはり綺麗な髪色をしている。


「他の魔法は?」

「残念ながら他の魔法はできないピコ。私は魔力を提供する側だから、魔法を行使するのは契約した魔法少女の役割ピコ。アメが魔法少女になったら、実際に色々試してみるといいピコよ」

「ぴこぴ、プレゼン上手だね。ちょっとなってみようかなって思っちゃった」

「ありがとピコ!」


 ぴこぴの笑顔に倣って、ハート型のアホ毛がぴこぴこと嬉しそうに動いている。犬猫とその尻尾が脳裏にちらつく。何とも愛らしい姿に思わず笑みがこぼれた。

 はっとして、隠すように咳を払う。


「……こほん、他には何かある? 魔法少女のアピールポイント」

「かわいい衣装が着られるピコ!」

「うーん……他の子だったら揺らぐのかもしれないけど、私は別にかな。そういうの似合わないから」

「そんなことないピコ! アメはかわいいからきっと似合うピコよ!」

「あ、ありがと……ピコ」


 思わぬ力説に若干照れてしまった。とっさの照れ隠しで真似た語尾で余計に顔が熱くなる。


「正直アピールできるのはそれくらいピコ。魔法に関する詳細なあれこれは契約しないと教えられないピコ。守秘義務ってやつピコね」

「なるほど。いいよ」

「えっ」

「契約するよ。どうやるの?」

「ほっほんとピコか?」

「うん」


 予想外といった反応のぴこぴ。なんだかんだ言って私は柄じゃないから断ると思っていたのだろうか。

 断る理由なんてない。今までの話で十分に興味をそそられているのだから。


 御伽噺。創作物。夢の産物。空想であると思い込んでいた存在。

 それを目の前にして心躍らないほど、私はまだ大人じゃない。

 この高鳴りは、魔法に心華やぐ少女のものに変わりなかった。

 間違いなく私は──魔法少女に興味がある。


「じゃ、じゃあさっそくこの契約書に──……」


 ──瞬間、ぴこぴの足元が崩れ落ち、彼女の姿が視界から消えた。

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