電子レンジが温めるもの

筋肉痛隊長

電子レンジが温めるもの

 大学に入って二年目、夏が近付いても俺はボッチだ。

 一人でいることの気楽さに加え、去年はオンライン授業だったのがいけなかった。このままだとゼミに参加するまで誰とも口をきかない日が続きそうだ。


 まぁそれも悪くない。人は群れると「我が群れこそ世界の中心」と勘違いする。電子レンジのターンテーブルがごとく狭い世界をグルグル回るのだ。

 それが男女二人なら尚のこと、レベル3記憶処理を懇願したくなるような思い出を作ることになる。人はそれを二者の愚行と呼ぶ。

 などという僻みはともかく、もうすぐ夜十時。さすがに腹が減ってきた。


 ピーッと電子レンジが温め終了のお知らせを発する。

 一人暮らしの部屋には大きすぎる音だ。世の中ままならないことだらけでため息が出た。


 温めたのは学校帰りにコンビニで買ったカレーライスだ。普段なら学食か帰り道の安食堂で済ますが、今日はあまり食欲がなかったのだ。

 さっさと食べて寝よう。


 レンジの扉を開けると、中に入っていたのはマンゴープリンだった。


「熱っ」


 いや、ハート型の容器に入ったマンゴー臭の湯気を立てる液体だった。

 こんなものを買った記憶も、温めた記憶もない。てか俺のカレーどこ行った?

 取り出したオレンジ色の液体をどうしたものかと流しに持って行くと、スマホから聞き慣れない通知音が聞こえた。


宮北六花みやきた りっか:あんたほんとに竹田真人たけだ まこと


 通知をタップすると開いたアプリにメッセージが表示された。

 確かに俺は竹田真人だが、「本物か?」と問われたのは初めてだ。

 それよりなにより、相手の名前には見覚えがあった。


竹田真人:そっちが宮北六花ご本人なら、俺も本人だろうな。


宮北六花:私が三年前に引っ越した国はどこ?


竹田真人:台北


宮北六花:台湾よ。まぁ台北に住んでるけど。


 宮北は高校二年の時に親の仕事の都合で台湾へ引っ越した、元クラスメートだ。高校時代からボッチを嗜んでいた俺はあまり話したこともなかった。

 突然のことに、さっきのマンゴー液やカレーの行方がどうでもよくなってくる。いや、そっちの方が大事なんだが。


宮北六花:そっちにマンゴープリン届いてない? こっちにはコンビニのカレーがあるんだけど。


 メッセージと一緒に届いた画像は確かに俺が買ったのと同じカレーだ。俺が温めた時と同じ状態で、俺のと同じ型式のレンジに収まっている。そういやレンジは台湾メーカーの製品だった。


 カレーが無事温まったのなら俺としては安心――いやいや、いろいろと辻褄が合わない。

 フィッシング詐欺という単語が頭に浮かんだ。


竹田真人:どうして俺だと?


宮北六花:このレンジの連携アプリよ。『竹田真人様に送付が完了しました』って通知があって。


 俺はうちの黒い電子レンジを改めて見た。こいつは最新型で、アプリからレシピを選んで下拵えした食材を入れると調理してくれる、優れものだ。使ったことは無い。

 そんなアプリを律儀に入れるものか、と思ったが俺のスマホにも入っていた。進学して一人暮らしする時に母親が入れたのだ。


 宮北とやりとりしているメッセージもそのアプリの機能だった。そもそも俺は宮北と連絡先を交換するような仲じゃなかったのだ。

 個人情報という単語が頭に浮かぶ。

 だが最大の謎は。


竹田真人:なぜマンゴープリンを温めた? 宗教か?


宮北六花:今大事なのはどうしてレンジの中身が入れ替わったか、でしょ。ここ台湾なのよ? そっちは……そっちはどこ?


竹田真人:東京だ。距離の問題じゃないぞ、レンジの中身が入れ替わること自体、どうかしてる。


宮北六花:確かにそうね……どうする、これ?


竹田真人:危険かもしれない。捨てた方がいいだろう。


宮北六花:そうじゃなくてお客様センターとか警察に電話……あ、カレーなら食べたわよ。消費期限は大丈夫だったし。久しぶりの日本の味だったわ。


 なんて奴だ。

 マンゴープリンをレンジで温めた理由もわかった。宮北は業務用の大きいのから切り出して、かわいい器に入れ溶かすために温めたそうだ。冷やせば固まるというのでラップをかけて冷蔵庫にしまった。


宮北六花:やっぱりこのことは当分二人の秘密ってことで。SNSとかにあげるのも禁止。誰も信じないと思うけど。


竹田真人:構わないが電子レンジを使えないのは不便だな。


宮北六花:それさ、検証したいから何か今温めてみて。


 そう言われて俺は冷凍の白身魚フライを温めた。タルタルソースが内蔵されていてうまいやつだ。

 今度は消える瞬間を見ようと、俺はレンジの中をスマホで撮影しながら一分三十秒待った。


竹田真人:普通にできたわ。


宮北六花:やっぱりね。私も竹田に言う前にミルク温めたけど、消えなかったわ。今度は三分後、同時に温めるわよ。念のため一分以上ね。


 三分後と言われてもだ。もう食べ物がなかった。

 仕方ないので目に付いたバナナを皿に乗せて放り込む。時間ギリギリだった。


宮北六花:あのさ……なんでバナナなのよ?


竹田真人:食い物は溶けたマンゴープリン、さっき温めたフライ、そのバナナしかなかった。マンゴープリンを返却した方がよかったか?


宮北六花:お気に入りの器だったけど返却もつまんないから進呈するわ。あ、バナナねっちょりして意外とおいしい。胡椒餅フージャオピンも食べてみて。捨てるなよ!


 バナナって加熱しても食えるのか……。

 バナナの代わりにレンジに現れたのは、ゴマのかかったパンのようなものだった。これがさっきまで台湾にあったのだと思うと腰が引ける。思い切って一口。

 薄いパン生地の中に角切り肉とネギが詰まっていた。胡椒の辛みと独特なスパイスの香りが強い。見た目ほど味は濃くなかった。


竹田真人:うまいな。肉が挽肉じゃないところがいい。食い物なかったから助かった。


宮北六花:同時にレンジを使うと入れ替わるみたいね。じゃあ私寝るから、明日は夜十時ちょうどに一分以上温めること。メニューは任せるからなんか日本っぽくておいしいもの!


竹田真人:まだやるのか?


宮北六花:今週両親いないから大丈夫。おやすみ、秘密は守るように!


 押し切られてしまった。

 俺は冷蔵庫から銀河高原ビールを出して白身魚フライを流し込み、歯を磨いてベッドに潜った。


 目をつぶると頭が現実に追いついてくる。

 不思議な体験、で済まされない事案だ。二人の秘密なんて甘酸っぱい言葉が出てくるシーンじゃない。

 そうわかっちゃいるが、「こんなことも起きるよな」と納得している自分もいた。


 それに。宮北には「入れ替わり自体が謎だ」と言ったが、「俺と宮北のレンジでだけ発生した」ことも引っ掛かっていた。よそで同じ現象が起きていなそうなのは「レンジ 入れ替わり」で検索してみたのでほぼほぼ確かだろう。


「今日、両親いないから……なんてな」


 俺と宮北の間に、そんな甘い関係は発生しない。




   ***




 高校一年の頃、俺は写真部に入った。部員は俺一人で、なぜ廃部にならなかったのかは知らない。父のお下がりで今時35mmフィルム式の高級カメラを持っていた、というだけで俺に写真の才能は無かった。


 俺にはいい写真とダメな写真の区別がつかなかったのだ。正確には、すごくいい写真とダメな写真はわかる。しかし、そこそこにいい写真だけを並べると、その中のどれが一番いい写真なのかわからなかった。


 そこそこ止まりの俺が上を目指すには、そこそこ同士の優劣とその根拠を見抜くだけの眼力が必要だった。つまりセンスが無かったのだ。

 それでも物理準備室内の暗室で一人になれるのは魅力で、だらだらと続けていた。帰宅部ならぬ、お一人様部だったのだ。


 放課後はカメラを持って校内をうろつくのが俺の『部活動』だった。

 そのルーティーンは高二になっても変わらない。その日は夕方近くに、西日が差し込む無人の教室を撮ろうと思っていた。自分の教室に入り、ファインダーを覗きながらアングルを考える。


 窓を背にして光を利用しようと思った時、開いた窓の外を眺めている生徒に気付いた。宮北だ。向こうもまだ気付いていない。


 普段この時間は無人なのに、何をしているんだ。

 ちょっとイラついて、無言で様子をうかがう。

 宮北の頬を涙が伝っていた。

 微動だにせず、俯かず、声も出さずに泣いている。


 なぜかは自分でもわからない。俺は無意識にシャッターを切っていた。

 宮北は当然気付いてこちらを向く。俺は目が合うのを恐れて逃げ出した。




   ***




 翌日の夜十時。昨日のことはすべて俺の妄想で、実は結構重篤な病気なんじゃないかと考えなくもなかった。

 それでも丁度の時間にコンビニで買った麻婆丼の温めをスタートする。スマホの通知音が鳴った時に思い出したが、向こうは台湾にいるのだ。麻婆丼はないだろう……。


宮北六花:塩辛くて香り控えめな味、これぞ日本の味だわ。送ったのはどう?


 俺のレンジに届いたのはケチャップのかかったオムレツ、茶色い豆腐かこんにゃくが入った赤いスープ、一口サイズの揚げドーナツだった。


 オムレツは蚵仔煎オアチェンというらしい。牡蠣が入っていて、ケチャップに見えたソースはケチャップ入りのスイートチリソースだった。

 プルプルの牡蠣とパリパリに焼けた片栗粉で、こってりした味に変化がでる。うまい。


宮北六花:猪血湯ヂューシュエタンは豚の血を固めたもので、スープはいろいろあるけどそれは辛いやつ。おいしいでしょ!


 豚の血と聞いてギョっとしたが火は通っているので大丈夫だろう。それ自体はほぼ無味無臭でこんにゃくに近い歯ごたえだった。スープの香りが臭み消しになっているのかもしれない。

 赤い油が浮いたスープは見た目ほど辛くなかった。薄味だが五味がバランス良く主張していて香り高い。セロリらしき香味が効いていて、体にしみこむような滋味だ。豚の血から出た出汁なのか、旨味が強かった。


竹田真人:豪華なもの買ってきてくれたのに悪いな、麻婆丼で。


宮北六花:値段は変わらないわよ? 夜市イェシーで買ってるから。遅い時間じゃないとお店が少ないんだけど。


 夜市で検索すると縁日の屋台みたいなのが台湾では毎晩開いているようだ。レストランなどは比較的早く閉まるらしく、そこから夜市の時間だという。

 だから十時を指定してきたわけか。台湾との時差は一時間だから今向こうは九時半だ。


竹田真人:屋台か。言葉、よく身に付いたな。


宮北六花:すっごく勉強したからね。夜市に行くのも言葉の勉強がてら。家族以外に日本語打つの久しぶりだから、ちゃんと日本語になってるか自信ない……竹田は東京の大学行ったんだ? 二年生?


竹田真人:ああ。宮北は台北の大学なのか?


宮北六花:うん、外国人枠なんだけどね。お陰で日本の同級生とはあっという間に疎遠になっちゃったわ。竹田と違ってボッチじゃないけどね、あは♡


竹田真人:余計なお世話すぎる。


宮北六花:こっちの大学受けたのは後悔してないわ。みんなズバズバ言うから私に合ってるのよ。やせ我慢しなくていいって快適♪


竹田真人:やっぱりお前の日本語はおかしい。我慢という日本語の意味を忘れただろう?


 揚げドーナツはQQ蚕キューキューダンというらしい。サツマイモとタピオカ粉でできていて、外はカリカリ、中はモチモチだった。


宮北六花:QQってモチモチみたいな表現なのよ。あんたはデザート寄越さないの?


竹田真人:マンゴープリンなら固まってたから今朝食べたな。


宮北六花:レンジで溶けるからいらないわよ……




   ***




 また、謝りそびれた。


 高校生の頃の宮北は一見清楚な美人だが、気の強そうな目は飾りじゃなかった。

 口を開けばずけずけ言う。口を開く前に手が出る足が出る。残念美人だったと言っていい。


 だが曲がったことを嫌う性格で、男女問わず人気はあったと思う。つまり俺には縁の無い人種だった。

 泣いていたのは修羅場かいじめかと不安になったが、翌日のクラスでは平然と男子を蹴飛ばしていた。何も言われないので俺だとわからなかったのだろうと思っていた。俺は当時からそのくらい影が薄いと自負している。


 その放課後、俺は顧問である中年の物理教師に挨拶すると暗室に籠もった。昨日撮ったフィルムを全暗黒で現像し、暗室灯をつけて一番いい四つ切り印画紙に焼き付ける。写真部で焼き付けできるのはモノクロ写真だけだ。


 露光した印画紙を適温にした現像液に浸す。印画紙にじわっと像が浮かび上がる。

 宮北のポートレートは控えめに言って、鳥肌が立つほどの傑作だった。


 光だ。涙もまつげも、そよ風を受けた髪も、半逆光に溶けていくようだ。

 泣いているのに宮北の顔はどこも崩れていない。弛緩も緊張もないからだ。

 無表情ではないが悲しそうでも辛そうでもない。怒りも嬉しさも感じない。

 ただ純粋に涙を流す、少し大人びた少女だ。

 強さと脆さを合せ持つ女の子だ。


 センスの無い俺が奇跡の一枚、『すごくいい写真』に手を掛けた。

 俺はその事実に興奮し、叫びたくなるのを堪えた。高揚感と訳のわからない不安も感じていた。


 隠し撮りみたいなものなので当然公表はできない。たまにここで眺めてニヤニヤすることにしよう。

 俺は乾燥した宮北のポートレートを、作品入れにしている印画紙の空き箱にしまい込んだ。



 傑作誕生の興奮もすっかり収まった一ヶ月後、顧問からあの写真がコンクールで特選受賞、つまり優勝したことを告げられた。

 顧問は勝手に俺の作品入れを漁り、応募していたのだ。ご丁寧に『光に溶ける』というタイトルまで勝手に付けて。俺が付けても同じになったとは思うが。


 上機嫌な顧問の話を、俺は冷水を浴びせられた気分で聞いた。

 表彰は断れず、学生コンクールにしてはそれなりの賞金が入った。後日校長室に呼ばれて新聞の取材を受けたり、写真雑誌から副賞にレンズをもらったりする間、俺は上の空だった。


 東京での表彰式の日、コンクールの展示会場で年上のイケメンを連れた宮北に出くわしたのだ。

 謝らなきゃと思った。だが彼氏連れなら邪魔しちゃいかん、まして俺はカノジョの泣き顔を盗撮したHENTAIだ。彼氏も怒っているかもしれない。リア充氏ね。


 取り乱す俺は宮北と目が合った。カレシ氏は笑顔でニヤニヤしている。鈍器……その辺に汚れてもいい鈍器はないか。

 つまり俺は余計に混乱し、宮北は顔を真っ赤にして逃げていった。俺が宮北に謝りそびれた最初の日だった。


 所詮は『お一人様部』が優勝しただけ。学校で騒ぎになることはなかったが、泣いてる女の子を隠し撮りしたクズという陰口はたまに耳まで届いた。陰口もまったくの事実だと理不尽に感じないものだ。


 学校では平然としている宮北に、謝りそびれる日が続く。

 今日こそ詫びて賞金とネガを差し出そう、そう決心した日。


 宮北は学校に来なかった。


 担任が今朝の便で引っ越したことを残念そうに告げる。本人の希望で伏せていたとも。親しいクラスメートは知っていたふうではあった。

 謝るチャンスを失った俺は写真部を退部した。


 その後今日まで俺がファインダーを覗くことはなく、写真はメモ代わり、という認識に変わった。

 三年間、あの時の高揚感と不安を感じたことはなかった。


 原理はともかく、電子レンジは俺にチャンスをくれたのだ。

 宮北は「今週両親いないから」と言った。

 なら明日は金曜日、本当に最後のチャンスだ。


 俺は明日、絶対に謝る。




   ***




 夜十時。ゴーっと音を立てながら、電子レンジが皿に移した弁当を温めている。今日は居酒屋のテイクアウトでちょっといい弁当を買ってきた。だからレンジ対応容器ではないのだ。無論デザートも付けた。


 レンジ内部はパンチングに遮られてよく見えない。わかったのは庫内ランプの光が揺らぎ、その光に溶けるように俺の弁当が薄れる、ということくらいだ。

 今日も温め完了のブザーがなった時には入れ替わっていた。


宮北六花:よしよし、今日は豪華じゃない。あ、スフレしぼんでる……これは冷蔵庫ね。


 コンビニスイーツで人気だというスフレの乗ったプリンを送ったのだ。マンゴープリンと違って溶けないらしいし。


 俺が受け取ったのはホットドッグとつみれスープ、それにちまきだ。うまそうだけど普通っぽいメニューだ、と思いつつホットドッグにかじりついた。


竹田真人:このホットドッグ、パンじゃないのか。おもしろいな。


宮北六花:大腸包小腸ダーチャンパオシャオチャンね。大腸で包んだ小腸、もち米の腸詰めで挟んだ台湾ソーセージ。名前も味付けも独特でおいしいでしょ!


 ソーセージ自体も香辛料が効いていてうまい。一緒に挟まれた野菜にも味が付いている。これが脂のしみこんだもち米と混ざって癖になる味だ。大学の近くで売っていたら常食する。どっちの腸詰めも焼いてあるから香ばしい。


 魚丸湯ユーワンタンというつみれスープは香り高く優しい味だ。大腸包小腸のようなインパクトはないが、これも毎日食べたくなる。この組み合わせ、最強では?


宮北六花:お弁当もおいしい! 鶏の西京焼きと鮭ハラスも素敵だけど、酒粕入りの厚焼き卵なんて初めて食べたわ。

 キュウリの和え物とか細部にこだわってるところが懐かしくてうれしい! あとたこさんウインナー♡


竹田真人:口に合ったようだな。近所の居酒屋で作ってもらったんだ。


宮北六花:竹田も酒を飲める歳になったかーwww


竹田真人:同い年だろ。


宮北六花:台湾は十八歳から飲めるのよ! ね、肉粽バーツァン食べる前にさ。ちょっとお酒飲もうよ、金曜だし!

 検証したいこともあるのよね♡


 今更何を検証するのかと思うが、言われた通りにする。

 カップに水を入れてレンジに入れ、半解凍で10秒に設定した。このレンジの最低出力かつ最短時間だ。スタート後9秒で『とりけし』を押す。


宮北六花:このレンジ、もう一度『とりけし』押さないと残り秒数消えないのよね。じゃあ中身入れ替えて!


 カップの水をビールと入れ替えるのだ。俺はプルタブを開けた銀河高原ビールを入れた。宮北はビールも俺と交換するつもりなのだ。

 だがレンジの中身が交換されるのは「二人が同時に使った時」だ。一秒なんてどうタイミングを合わせるつもりだろう?


宮北六花:じゃあビデオ通話しよ。このアプリでできるから。


 その手があったか……いやビデオいらなくね? あとどうして電子レンジのアプリで通話できるんだよ?

 謝るなら口頭で、という電子レンジの配慮か?


『聞こえる? 見えてる? うわっ、竹田だ! 全然変わってない!』


「ああ……そっちも相変わらずだな」


 宮北ってこういう声だったか、とドキリとした。俺もそれなりに大人になったと思うが、画面の宮北は長かった髪をばっさり切って、モデルのようなかっこよさだ。

 うちの電子レンジは俺の謝罪のハードルをどこまで上げる気だろう。


『せーの!』


 宮北の掛け声でレンジを再開するとすぐにブザーが鳴る。缶ビールを入れた俺のレンジに緑の瓶ビールが入っていた。成功だ。


『爆発しなくてよかったわ。じゃあ乾杯!』


「乾杯」


『このビール初めて……あ、日本に帰ってないから当たり前か』


「台湾ビールか。苦みが少なくて軽いな。肉粽バーツァンに合う」


 具だくさんの肉粽は俺が気付いただけでも豚角煮・栗・ピーナツ・卵・椎茸が入っていた。

 日本の粽(おこわのやつ)よりも味が濃い。スパイスも効いていて酒が進む味だ。日本にもある料理を食べてわかったが、日本人は苦手と言われる八角の香り、どうやら俺は好きなようだ。ところで。


「しかしお前、その格好は薄着すぎないか?」


『なによ、いやらしいわね。こっちは蒸し暑いのよ、もう真夏なんだから』


 宮北の服は布面積が少ないだけでなく、生地も薄そうだ。目のやり場に困る。いや、見なきゃいいだけなんだが。


 宮北が二本目にマンゴービールなるものを取り出した頃には、酒も入って会話が弾んだ。

 台北は運転の荒いバイクが多いこと。酒飲みが少なくて父親も飲まなくなったこと。外食文化で始めは頑張っていた母親も料理をしなくなったこと。

 男が優しいこと。大学に高校の制服を着ていくイベントがあったこと。日本の制服は人気だったこと、等々。


 会話というか宮北が一方的にしゃべっていた。まぁ俺と違って、うまくやってるわけだ。


『あの日はね。私、先輩に告白してフラれたのよ』


「あの日?」


『あんたに泣き顔さらした日』


「……!」


『女子に人気のある、テニス部の先輩だったんだけど。私は当たりが強くて苦手なんだってさ』


 名前は覚えていないが、当時テニス部の三年に『モテ男先輩』というコードネーム持ちがいた記憶はあった。

 じゃあ展示会場に連れてきた男とはその後に付き合いだしたのか。言われてみると顔の系統は似ている、というかグレードアップしていた気がする。ああいうのが宮北の好みなわけだ。


『あの頃には転校決まってたのに、私もどうしたかったのかね。自分でも覚えてないのよ。さすがに写真撮られたのはびっくりしたけど、誰もいないと思ってたから』


「……」


『竹田陰薄すぎウケるー、禿げるぞー……ちょっと、なんか言いなさいよ! 私ばっかりしゃべってるじゃない』


「……あの時は本当に悪かった。写真をコンクールに出したことも、ずっと謝りたかった。ごめんなさい」


 ようやく言えたが。

 三年越しだ、さぞかしスッキリするだろうと思っていたのに、そうでもない。余計に宮北の顔が見られなくなった。

 俺はどうして、あの時すぐに謝れなかったのだろう? そもそも俺は宮北に許して欲しいのだろうか? なんのために?


『あんた大丈夫? ひどい顔してるわ』


「許してもらえるだろうか。本当はあの写真で受け取った賞金も宮北に――」


『いらないわよ、そんなの。許すも何も……あんたがいい写真撮ったからコンクールに出していいかって、あの物理の先生に聞かれたのよ』


「えっ!?」


『だからわざわざ東京まで展示見に行ったんじゃない。あんたキョドってたけど』


「あのクソ顧問……!」


『まぁ、いい写真だったわね。フラれたてホヤホヤなのに、私ってあんなにきれいだったんだって自信持てたわ。日本に私のきれいな姿も残せたしね』


「宮北……さん。つかぬ事を伺いますが」


『キモい』


「んんっ……展示に連れてきてた人は誰だ?」


『兄貴よ。六歳上で写真部のOB。若手トップのカメラマンで、あのコンクールの審査員やってたんだけど知らなかったの? 物理の先生の教え子よ』


「まじかよ……忌々しいのはあのクソ顧問かっ」


 宮北は「言葉遣い」と言いながら、心底おかしそうに笑っている。

 俺は何かあの教師に恨まれるようなことでもしただろうか?

 そうするともう一つ疑問が残る。


「展示会場で俺を見た宮北が走って出て行ったのは、なんだったんだ?」


『それは……そんなことあったかしら?』


「ああ、丁度そんな顔で逃げていったな」


 酒のせいか赤い顔の宮北はカメラを、俺を睨んだ。

 何本飲んでるんだよ、てか随分とストックしてるなマンゴービール。


『兄貴が……あんたの写真は好きな人を見る目線だとか、変なこと言ったからよっ! カメラマンが作品作りのために被写体に惚れ込むなんて、当たり前のことなんだからねっ!?』


「酔っ払ってんのか?」


『酔ってないわよ……あ、ようやく笑ったわね』


 確かに俺は笑っていた。笑わないと恥ずかしくて仕方なかった。

 あの写真を見た時の不安の正体にようやく気付いたのだ。写真一枚で見抜くとは、さすがプロのカメラマンだと思う。


 あの日、教室でシャッターを切る瞬間――俺は確かに恋をした。

 宮北六花に恋をしたんだ。


 それを謝ると恋を自覚してしまうから、無意識に抵抗していた。写真を見ると不安になった。謝ってもスッキリしなかった。

 なんとも厄介なお一人様じゃないか。

 俺はちゃぶ台の空き瓶を片付けながら立ち上がる。


「宮北、検証しよう。飲食物以外も送れるのか知りたい」


『どうしたの、急に? 私だって恥ずかしいんだから、急に元気にならないでよね』


「大事にしていたものを贈るよ」



 ビールと同じ方法で送ったのは、未だ捨てられず東京まで持ってきた宮北のポートレートとそのネガだった。


『やっぱり私美人だわぁ。でも持っててくれていいのに』


 引き替えに宮北から送られたのは台湾のガイドブックだった。『行きたいところ』というマークがある。見所の多い国のようだ。残念ながら現在観光での入国不可とあるが、待てばいい。

 なんせ俺はコンクールの賞金の使い道を決めるのに、三年もかかったのだ。


「それ大事な写真なんだ。だから必ず返してもらいに行くぞ」




(完)

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