最先端のお婆さんを推し活していた。

イノナかノかワズ

最先端のお婆さんを推し活していた

 

 今思うと、あれは一つの推し活だったのではないだろうか。

 ふと、私はそう思った。


 あれは十五年前だったか。ちょうどリンゴのスマートフォンが上陸する前だったと思う。

 当時、ガラケーを持っている高校生が多かったわけではない。それは確かだったと思う。そして私立の女子高校に通っていたためか、ガラケーを持っている子はクラスの半分もいなかった。

 パソコンを使う子はクラスに一人か、二人か、その程度だったし、動画配信サービスを見ている子なんて学校にいたかどうか。

 そんな時代で私は高校一年生だった。


 小学生の時、私はイジメられていた。身体的なイジメではなかったが、シカトはもちろんの事、陰口を言われたり、ノートを破かれたり。そういうことがあった。

 だからか、中学生の時私は必死に周りに溶け込もうとした。


 けど、受験の際、同郷の人が誰もいない高校に行きたいと思った。バカな人が、人をイジメるのが楽しいと感じる頭のおかしな人がいない高校に行きたいと思った。

 だから、周囲に溶け込もうとした私は、それを破り、必死になって勉強した。

 周りの誰もが受験、受験といいながらも必死になっていなかった。机に張り付いていたのは、中学生の頭からずっと机に張り付いている子だけだった。


 中学三年生から机に張り付いた私はやっぱりイジメられた。それがさらにモチベーションとなった。

 やっぱり周りと違うことをしているとイジメられるんだと。勉強しているとイジメられるんだと。

 なら勉強していることが当たり前の学校に行きたいと、とても強い思いだった。


 そして私は頭のいい私立の女子高に行くことになった。


 けど、どんなに頭が良くてみんなが勉強していても、私はイジメられた。

 裏切られた思いだった。


 裏切られた思いだったけど、そのイジメは小学生や中学生に受けたものより生易しかった。

 シカトされる。掃除を押し付けられる。見せてくれとノートを奪われる。図書委員の仕事を押し付けられる。

 そんなものだった。


 ……そういうのを今でも許しているわけではないけれども、感謝はした。

 図書委員仕事を押し付けられたおかげで私は、あのお婆さんに出会ったのだから。


 

 その私立の高校の図書室は、ちょっと周りとは違っていた。朝の七時から開いていたのだ。

 その図書室には自習スペースが設けられていたこともあり、図書委員の誰かがカギを開け、図書室にいなければならなかった。

 本来は二週間に一日、その担当周りだったのだが、イジメの件と重なって私は毎日、七時前に学校に行って図書室のカギを開け、貸し返却するところでずっと座っていた。


 運がいいことに、私は朝早く起きるのが苦手ではなく、毎日毎日早起きして自分でお弁当を作り、電車に揺られていた。

 受験期に読書の趣味もあったため、静寂に包まれた朝の図書室で本を読むのも存外悪くはなかった。


 そうして梅雨の時期に入った頃だろうか。

 この頃になってくると、電車でどういう人がどの時間のどの車両に乗るかがおおまか把握できるようになった。女性専用車両がない時間帯だったのもあり、自衛はしておくべきだったからだ。

 そうして、私はとある時間のとある決まった電車の車両に乗ることに決めた。


 その車両にそのお婆さんはいた。


 最初見たときはとても印象的だった。

 そのお婆さんは革ジャンを着ていてサングラスをかけていたからだ。後ろで纏めた長い白髪に、ピンと背筋を伸ばし正しく椅子に座る。凛としていて、存在感があった。


 けど何よりも目を引いたのは手に持っていたリンゴのスマホ。そしてそこから伸びるイヤホン。


 電車が駅に停まり、シーンと静まれば微かに聞こえてくる今時流行っていた音楽。少しだけリズムかるに肩を揺らしていた。


 本当に驚いた。

 まず、スマホというものを知らなかった。日本には上陸していなかったからだ。

 だから最初は音楽プレイヤーだと思った。テレビのCMや電気屋さんでも見たことのない音楽プレイヤー。


 一日、二日、三日。毎日、同じ時間にそのお婆さんはいて、いつもシャンと背筋を伸ばし、スマホを手に、イヤホンを耳に差していた。

 

 そのお婆さんを知ってから一週間、ついに私はその音楽プレイヤーが気になりすぎて父が持っていたデスクトップパソコンを借りて、三日かけてそれを調べた。


 そして知った。

 日本のめぼしいサイトはあらかた探し終え、もしかしたら海外のかも、と調べていたら案の定。

 英語の記事でお婆さんが手に持っていたそれと同じ写真を見つけた。

 勉強はできる方で、通っていた学校は英語教育にも力を入れていたため、その記事の内容を私は読めた。

 それがネットに繋ぐことが容易となった携帯電話だと知った。日本では発売されていない未来の携帯電話だと知った。


 その時、私はただただ単純にすごいと思った。私とは、いや一般人とは住む世界が違うすごいお婆さんなのだと思った。

 だって日本で手に入らない未来の機械を手に持っていたのだ。よほどの金持ちで、海外に行ける人なのだろう、とぼんやり思った。

 みんなとは全くもって違うことを堂々と為す、普通の人ではないと思った。

 そう思った。


 そういう思いを抱きながら、私はお婆さんが乗るその時間の電車の車両に乗っていた。

 乗っていたのだが、私は少し気になった。

 日本では手に入らないその機械がとても気になっていた。


 二日、三日、一週間も立てば、私はお婆さんの近くに座っていた。二人分離れたところに座っていた。

 チラリチラリと本を読むふりをしながら盗み見をしていた。


 それが二週間ほど続き、七月の頭に差し掛かった頃。

 そのお婆さんが私に話しかけてきた。


 今になっては、その話しかけてきた内容は覚えていない。たぶん、毎朝こんな早い時間に学校に行くのかしら? とかそんな質問だった気がする。

 けど、それから私はそのお婆さんと話した。

 

 早朝のたった二十分ほどの会話だったが、それでもその会話は新鮮にあふれていた。

 海外で起こっている事。日本で起こっている事。

 特にお婆さんはインターネットに詳しかった。Cコードなどを操りアプリを作るのはもちろんの事、2が付くインターネット掲示板やこれから小説の市場を変えるだろうネット小説サイト、動画配信サービスの事、SNSの事。

 これから変わる未来。政治。社会。概念。


 いろいろな将来を語り、その可能性や欠点、どうやって改善していくかを、自ら実践し、研究し、考察をしていた。

 今に思えば、彼女のいう通りになっていたことが多数あった。

 

 例えば暗号資産。

 高校二年生の終わりだったか。彼女が興奮した様子で私に教えてくれた。ブロックチェーンというものが誕生したと。その技術の素晴らしさを語り、その未来を謳っていた。

 いつしか、それが基盤となって新たな金融資産ができあがるのだと、彼女は興奮しながら語っていた。


 例えばボーカロイド。

 高校一年生の二学期はじめ。九月一日だったか。

 その日の彼女もとても興奮していた。

 これからは新時代が訪れると。プロも素人も関係ない。作る意思がある人が、歌を作ることができるのだと。プロダクションなど特定の会社に所属する必要はないと。

 これから絶対に伸びる二つの動画配信サービスが後押しして、数年後には、近い未来にはボカロを専門とした個人の作曲家が現れ、彼らが音楽業界を変えるのだとも言っていた。

 機械が歌うからこそ、人がそれを真似して歌い、そこから新たな歌手が生まれるのだと。


 熱く熱く一週間にわたって語っていた。いや、それどころか自分で曲を作り、投稿していた。

 実際に彼女のいう通りになった。彼女の作ったボカロは今も聞いている。


 それ以外にも彼女は色々と新しいものに手を出していた。

 見た目は六十歳くらいだったが、彼女は九十歳を超えており、なのに新しいものに取り組み、未来を語っていた。

 未来を今からでも作ろうとしていた。


 そんなお婆さんに私は憧憬を抱いた。

 また、年なぞ気にせず生きる彼女を応援できないかと、父から譲り受けたデスクトップパソコンを使ってインターネットのアカウントを作り、彼女のSNS、書いた小説、投稿した動画や音楽、ブログ、まぁ色々を応援した。

 もちろん、私だとはわからないように。


 実際、お婆さんは今、私を応援してくれる子がいるのよ、と嬉しそうに語っていた。

 それが嬉しくて、ネットのアカウントでは彼女と積極的に交流を取った。電車では私は聞き役に徹していたからだ。

 その反動もあったんだと思う。


 それだけじゃなかった。

 ネットでお婆さんのアカウントなどを広めたり、新たにできたファンと語り合ったり、いろいろとした。


 そうやって月日が流れ、高校二年生の頭になった頃。

 次第に私はお婆さんに影響され、新しいものに取り組むようになった。周りとは違くたっていい。いじめられたっていい。

 楽しそうに今を楽しみ、未来を語りたいと思いたくなった。


 いろいろやった。パソコン、ボカロ、イラスト、小説、アニメ、漫画、金融、海外の最新機器、科学。高校生でありながら会社を作ったりした。

 お婆さんに影響された部分も多くあったが、それでもお婆さんのように色々なことを学び、励み、楽しんだ。

 学校ではハブられて途中で退学し、それでも高校認定をとって、大学にいって、世界に出て……


 そして今、私は楽しく生きている。新たなことを学ぶことを忘れずに生きている。お婆さんにはなれないけれど、お婆さんのようになりたいと思っている。

 数年前に亡くなってしまったけれど、私は彼女のことを機会があればどんな人にも広めている。



 たぶん、これも推し活なんだと思う。 

 

 






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