シスター・セイントジャベリンの敬虔なる無双伝説

赤だしお味噌

セイントジャベリン

 剣と魔法の時代。


 戦争の主役は弓兵の集団と、完全武装の騎士。そしてそれを粉砕する重装騎兵からなる戦列が基本となる世界のお話。


 アシロ帝国――。


 かの国は、現皇帝がいよいよ老齢に差し掛かると領土的野心をむき出しにして周辺国に対する侵攻を開始。元より軍事大国であったアシロ帝国は破竹の勢いで属国を増やしていくことになる。


 アシロ帝国は周辺国からの非難には耳も貸さず、前述の基本戦術グループに巨大な魔獣や、ゴーレムまでも兵器として導入する、などという禁じ手にまで打って出て、大陸各地に終わりの見えない戦火をまき散らしているのだった。


 ――ここは、同大陸に存在するエウロパ共和国。


 アシロ帝国と国境を接する、辺境の街マイア。


 マイアは“ぬかるみ”の街として知られ、冬には大人の身長を越える雪が降り積もり、春には雪解けによって平野が泥まみれになる。そのために、まともな農耕が成立しにくいという貧しい土地であった。


 そんな住みにくい地に、どこからか移り住んできたのがマイアの先祖たち。彼らは代々、この厳しい土地を開墾かいこんし、長い年月をかけて、やっとのことで文明と呼べる価値ある都市を築き上げてみせたのだ。それがマイアの街だった。


 派手さのない質実剛健な街並みは、この地に住む人々の誇りでもあった。


 マイアの民は貧しくも平和で、厳しい自然の中で手を取り合いたくましく生きている。


 そんな辺境の街にさえも、アシロ帝国の魔の手が伸びようとしていた――。


 中央広場に近い、さびれた教会の中にて。


 外では、武器を手にした男たちの慌ただしいがなり声が響いていた。金属のこすれる音に、馬の声。戦いが迫っているのだ。彼らの顔には怯えと興奮が入り混じっていた。


 対照的に、礼拝堂は静かだ。


 マイアの民は、未来を切り開くのは人の手であると信ずる強い人種だったのだ。さすがは何世代にもわたり過酷な自然環境と格闘し続けた者たちの子孫であると言えよう。この危機に及んで祈りに運命を託す者は、マイアにはいなかった。


 彼女をのぞいては。


 割れた窓。飛び散ったステンドグラス。吹き抜ける戦争の風。


 そんな中で一人、ひざまずき祈りを捧げる敬虔な巫女シスター


 彼女の名をレイ=セオンヌという。


 ここはド・ロッキー教会。


 彼女が祈る神のシンボルは、ブラックバードと呼ばれる黒鉄の怪鳥。翼から火を噴き、流れ星よりも早く雲の上を駆けたという伝説が聖典に残されている。


「――神さま……」


 レイは目を閉じて、ブラックバードの偶像にこうべをたれた。


「どうか、憐れなわたくしどもをお導きください。この世に存在しない国境線という幻想を巡って殺し合う愚かなわたくしどもを。歴史などという、どこの誰が作ったのかも分からない幼稚なおとぎ話のためにののしり合うわたくしどもを。身の丈に合わぬ欲望に心を焦がすアコギなわたくしどもを。犯した罪を恐れ、来たるべき罰を塗りつぶすために新たな罪を塗り重ねる救いがたいわたくしどもを。神さま、どうか迷えるわたくしどもに、真の平和と平等につながる道しるべをお示しください……」


 彼女はこの教会に残された最後の聖職者だった。他の者どもは皆、迫り来る戦いの気配を前に逃げ出してしまっていたのだ。


「――神さま、どうか……」


 その時、彼女の脳に直接語りかける声があった。


『レイ=セオンヌよ』


 その途端、外から聞こえていた喧噪がさぁっと遠のいた。教会の時間が静止したのだ。


「はっ……どなた?」


 レイは息を呑み、きょろきょろと周囲を見渡したが、誰も見当たらなかった。


『私はマーチン。あなたのなげきに遣わされたド・ロッキー教の守護天使です』


「神さま……まさか、本当に……?」


 口元を手で押さえ、感動で悲鳴を上げそうになる自分を抑え込んだレイ。


 そうして涙ぐむ彼女に対して、慈しむように声をかける姿の見えない何者か。


『レイよ、あなたの純真な祈りは我々の元に届きました。しかし、あなたの願いを聞き届け、わたくしが力を貸すためには、あなた自身の覚悟を確認せねばなりません。それは己の手を血に染める修羅の道に身を投じることになるでしょう。それでも、レイ……あなたは敵をたおす力をわたくしに求めますか?』


 レイは平和と平等を願ったのであって、敵を斃す力は求めていなかったのだが、湧き上がる使命感と胸おどる期待感に身を任せて、彼女はうやうやしく首肯しゅこうした。


「はい」


『レイよ、あなたには人の業を焼き尽くす炎を肩に担ぎ上げる力がありますか?』


 炎を肩に担ぐ、という表現が意味するところを彼女は理解できなかったが、聖職者は体力勝負である。毎日、祈りとサーキット・トレーニングを欠かさないレイには、並の男よりも筋肉がついている自信があった。


「はい。私はマイアでもよおされるアトラス・ストーン大会で優勝した経験もございます。たとえそれが私の身を焦がす灼熱の劫火であっても担ぎ上げてみせましょう」


『アトラス・ストーン大会?』


力石ちからいしと呼ばれる重さ数百kgを超える岩石を持ち上げる大会です。泥濘でいねいとの戦いともいえる農耕をこなすマイアの人々にとっては、腰の強さはもっとも大事なセックスアピールであり、甲斐性のあかしなのです。若い男性が腰の強さと体幹の仕上がり具合を大胆に見せつけ、適齢期の女性がそれを見ていろいろ想像し、将来の伴侶を探す。そういう実用的なお祭りです」


『ほ、ほう……その細身で数百kgを……――というか、あなたは女性ではないのですか? なぜ参加者側に……?』


 守護天使マーチンはやや面食らったように咳払いした。


『おほん……ではレイ、次の質問です。あなたに、無慈悲な神のいかずちを下す覚悟はありますか? 手加減のできない力です。この時代においては少々オーバーキルになる可能性もあり、いかずちで焼かれた敵の無残な姿を見れば、それは一生あなたを苦しめることになるやも知れません』


 レイは箱入り娘ではない。


 小さな頃は男顔負けで殴り合いのケンカもしたし、大人になってからもした。気に入らない奴ならば、貴族でも関係なく神の名のもとにぶちのめした。聖職者という立場が彼女を守ってくれていた。彼女がシスターをこころざした理由のひとつである。


 ――話の通じない悪漢は暴力をもってして屈服させる必要がある。


 彼女は常々つねづねそう考えていた。レイは淑女しゅくじょの皮をかぶったオオカミ系女子なのだ。


「はい。セクハラをする男性信者をどつき回すのには慣れています。たとえそれが王族であったとしても私の鉄拳はひるみません。この身が地獄に落ちようとも、悪を滅ぼすことにためらいはございません。オーバーキル上等」


『……あれ? ちょっと人選を……』


 マーチンは逡巡してから、続けた。


『――男まさりで結構です。わたくしの力を受け取る資格としては十分。そう考えましょう。うん……では最後に、これが一番大事なことです。よく熟慮して答えてください』


「はい」


『神のいかずちは無から生み出されるものではありません。運用にあたっては戦費が必要となります。あなたに、一撃1000万ゴールドの重苦じゅうくを背負う覚悟はありますか?』


「一撃1000万ゴールド……」


 その金額の重みに、レイの綺麗な喉が鳴った。ちょっとエリートな人間が一年に稼ぐ金とほぼ同等であった。


『敵を打ち砕くために、すべてをドブに捨てる覚悟が必要です。この力を振るう限り、この先あなたが裕福になることはありえません。修羅の道に足を突っ込むかどうか。ここが分水嶺ぶんすいれい。よく考えて答えてください。断っても構いませんよ』


 ――だが平気だろう。


 レイは瞬時に脳内そろばんをはじいた。


 レイがちょっと薄着で有力者の前に出て、小切手をちらつかせれば、彼らは0を二桁も三桁も多く書き込んだ。男の信者はカモ。とくに金持ちの中年ほどよい。色目と軽いボディータッチの合わせ技で金額は青天井だ。彼らはいくらでも寄付金を詰む。目薬など使おうものなら1000万なんてちょろい。彼女は確信を持ってうなずいた。


「はい。どうか、非力な私に守護天使マーチンさまの力をお貸しください」


『私の目に狂いはなかった……?』


 疑問符を隠せない声でマーチンは告げた。


『――よくぞ三つの誓いを立てました。では、レイ=セオンヌ。あなたに守護天使マーチンの祝福を与えます。これよりあなたは貴賤きせんなき平和と平等の伝道師を名乗りなさい』


「ありがとうございます」


『それでは、わたくしの力の一端を授けます。受け取りなさい』


 正面の割れた窓から光芒が落ちた。


 レイが見上げる光の奥から、静かに舞い降りてきたのは、一本の筒。


 うぐいす色をしたそれは太くて、硬くて、そして大きかった。


 レイの繊細な指先がちょこんとそれに触れると、やけどをしたかと思うほど熱く感じた。


「これは……」


 大筒は彼女の両腕に収まった。ごんぶとの大筒だ。ごちゃごちゃっと四角い箱や取っ手がついており、筒の本体にはFGM-148という記号が刻まれていた。その刻印が意味するところをレイは理解できなかったが、それが聖刻であることは明らかであった。すさまじい力の波動を感じるのだ。


『それは〈セイントジャベリン〉。すべての戦車を過去のものにする神のいかずちです』


「感謝いたします。しかし……戦車、とは?」


 レイはセイントジャベリンを小高い双丘の谷間にいだき、コトリと首を倒した。このあざとさは生来のものだ。


『歩兵にとって不倶戴天ふぐたいてんの敵です。見つけ次第、撃破しましょう』


「撃破いたします」


 マーチンの厳粛げんしゅくたるお告げに、レイは盲目的に頭をたれた。戦車は見つけ次第、撃破しなくてはならない。


『同じローンチ・ユニットからスティンガー・ミサイルも発射できます。そのセイントジャベリンを使えば、頭上を飛ぶヘリのみならず、油断して低空飛行してくる爆撃機も食ってしまえます』


「感謝いたします。しかし……ヘリや爆撃機、とは?」


 セイントジャベリンに頬ずりしたレイに、マーチンが告げる。


『手の届かぬところから歩兵をなぶり殺しにする卑怯者のことです。彼らは、まさか歩兵が反撃してくるとは思っていません。油断しています。空に音を聞いたらぶっ放して撃墜しましょう』


「ぶっ放して撃墜いたします」


 怒れるマーチンのお告げに、レイは目を輝かせた。有利な立場に油断する相手の足をすくって泥を舐めさせてやることの、なんと胸のすくことか。ヘリや爆撃機は音が聞こえ次第、撃墜しなくてはならない。


『神のいかずち――すなわちセイントジャベリンのミサイルは音速に近い速度で飛翔し、2500m遠方まで数秒で届きます。赤外線放射温度計の画像解析による自律シーカーが、打ちっぱなしを可能にしました。撃ったらすぐに物陰に退避しなさい。ミサイルはエンジンの熱のみならず人間も追跡できます。騎兵だろうがドラゴンだろうが逃しません。ゴーレムでさえ内部に熱源があります。あんなウスノロ、決して外しません。ゴーレムを見たらカモだと思え。トップアタックモードで脳天をかち割って差し上げなさい。成形炸薬タンデム弾頭はいかなる装甲をも貫き焼き尽くすでしょう。75cmの鉄板もぶち抜けます。セイントジャベリンの前では、いかなる伝説の鎧もゴミくず同然‼ 巨人さえもが木偶の坊‼ 国民一人ひとりがジャベリンを持てば、もうそんな国、誰も侵略したくなくなるのですよッ⁉ これって究極の世界平和なのでは⁉』


 熱っぽく早口で語るマーチンの声を、レイは一言一句いちごんいっく逃さず脳に刻み込んでいく。意味は分からなくとも、それが世界を変える預言であることは確信できた。


『はぁ……はぁ……最後に。セイントジャベリンはどこからでも撃てますが、後ろに人がいないことを確認して撃ちなさい。室内から発射する場合は、可能な限り一人で運用すること』


「理解しました、守護天使マーチンさま」


『よろしい。それでは……さぁ、立ち上がりなさい。シスター』


 ゴトリ……。


 肩に担いだセイントジャベリンは重たかったが、湧き上がる使命感を胸に両足を踏ん張ったレイの立ち姿は“さま”になっていた。


『リロードについて教えます――ささげなさい、争いの元になるものをすべて。唱えなさい、立ちふさがるものをことごとく打ち破るいかずちの名を』


 レイは思い出していた。この教会の司祭が寄付金をちょろまかして私腹を肥やし、せっせとため込んだ1000万ゴールドの存在を。なお、彼は戦争前のスパイ調査によって汚職が発覚が発覚し、着の身着のまま逃亡。金は人知れず地下にごっそりと残されている。


「――人々の業を食らいつくし、この手に来たれHEATヒート


 レイが祈りの言葉を口にした、その時。


 ジャラジャラと景気のいい音がどこからともなく聞こえ、彼女の肩に乗ったセイントジャベリンの重みがズシリと増した。地下にあった薄汚れた金がどこか神の国へと消え去り、そのかわりに、つるっとしたやじりが筒の中に収まった。


『講習は以上です。レイよ、あなたは今日から戦車は絶対殺すマンになるのです』


つつしんでお受けいたします」


 教会を包み込んでいた静寂のカーテンが消え去った。


 外から、いくさの不穏な気配が忍び込んでくる。


『――それでは行きなさい、レイ……侵略者どもに死を』


「侵略者どもに死を」


 レイ=セオンヌはこの日、セイントジャベリンの巫女に目覚めたのである。




 ◇⚡◇




 マイアの街は、水堀と低い城壁に囲われただけの軍事的には脆弱な都市であった。


 今の正門は閉ざされており、壁の上では弓兵が並んで不安そうに外を監視している。


 そんなマイア防御兵と橋を挟んで、攻撃準備を済ませたアシロ帝国兵が待機していた。数百人規模の軍勢だ。


 ピリピリと一触即発の空気だったが、水堀の上を泳ぐガチョウがなんとも言えない場違いな牧歌的雰囲気を漂わせている。クァォーン……クァォーン……。ガチョウはガーガーとは鳴かないのだ。


「――ふむ。こちらから先制攻撃する必要がありますね。まずは補給線を確保しなくては……」


 レイは開戦直前のコンバットフィールドを横目に歩き、地形や敵の構成を頭にしっかり叩き込んだ。


 こうして敵情視察を終えた彼女は、颯爽と足を運んで領主の館へと向かった。


 レイは館に到着すると、玄関戸を叩いた。


 戦争に関して重要な話があること告げると、対応した使用人は、ごんぶとな大筒を肩に担いだシスターの登場に多少鼻白はなじろんだものの、すぐに彼女を大きなダイニングルームに通した。


 大きな部屋に人が集まり、会議が行われていた。


 しかしそれは言い争いとしか思えない代物しろものだった。


 即時降伏派と徹底抗戦派。


 その間に挟まれ、領主はげっそりと心労の色が濃い。


 ゴトリ。レイは部屋のすみでうぐいす色の筒を足元に置くと、まずは神妙に会議の行方ゆくえに耳を傾けることにした。


「――あんたら、こういうときのために毎年高い税をおら達から徴収してるんじゃないのか! いざ敵がやって来たら戦いもせずに降伏するだなんて、よくそんなことを、ぬけぬけと――」


 抗戦派とおぼしきひとりが声を上げた。手がぼろぼろの農夫だ。


「勝てもしない戦いで働き手を失えば、この街は次の冬を越せないんだぞ! こちらの兵力は100。訓練されてはいるが、実戦経験はとぼしく、しかもその多くは働き盛りの男たちばかりだ! それに対して相手は正規兵500! ここに至るまでに、いくつもの街を攻略してきた猛者だ! 攻め手と守り手という点を考慮しても、数日ともたない!」


 降伏派であろうひとりが、もっともらしいことを言った。立派な服を着た男だ。


「この街には冬越しの食料があるし、水は元から豊富だ! 跳ね橋を上げて籠城すれば――」


「無理だ無理だ! 奴らグリフォン兵まで持ってきてる。空から門を制圧されれば、一気になだれ込まれておしまいだ――」


「隣町は降伏するまで無差別攻撃を受けたって――」


「連中は住民を避難させるための人道回廊を作ってくれるって言ってたじゃないか! それを使えば――」


「馬鹿言うな! それは罠だ! あいつら、そうって住民を壁の外におびき出してまとめて狩っちまうつもりなのさ……そうやって隣の街は女子供も殺されたって! このあいだの行商が言ってたぞ! もう戦うしかねぇんだよッ!」


「ひでぇ……」


「おのれアシロ帝国め、仁義にもとる……」


「ご先祖たちが開拓した、俺たちの宝物。マイアの街を、あんな無法者に明け渡して、俺たちはまたジプシーの暮らしに戻れってのか!」


「命あっての物種じゃないのか! 生きてさえいれば、またどこでもやり直せるだろう!」


「そういってご先祖がたどり着いた地が、このぬかるみの地だろう! いまさらどこへ行けって言うんだ! 当てがあるなら言ってみろ! この先、生きているかも死んでいるのかも分からない難民の暮らしを何世代にもわたって続けるくらいなら――」


「――もういい……よせッ‼」


 領主の一喝で、紛糾は収まった。


 彼はゆっくりと深呼吸して続ける。


「議論は出尽くした。全員が納得できる答えはない。私の曾祖父も、この地に逃れてきたジプシーの一人。皆の気持ちは理解しているつもりだ。そして私が、ここマイアの領主。あとはこの私が決める。すべての責任は私が負う。どのような結論になっても、私は皆と一緒だ。どうか私を信じて欲しい……」


「キャラハンさま……」


 誰かが領主の名を口ずさみ、それきり全員が黙りこくってしまう。


「お取り込み中、失礼します」


 機を逃さず、レイが人垣ひとがきを押しのけて前に出た。


「シスター……」


 あからさまに、うんざりと頭を振った領主キャラハン。


「申し訳ないが、神は嘘つきだ。ド・ロッキー教会は、マイアの再三にわたる応援要請を無視した。もはや祈りは不要。我々はこの街と運命を共にする。あなたも逃げるとよい。あの腐った神父のように。だが安心されよ、シスター・レイ。私はあなたの献身が本物であることを承知している。首都方面までは案内人をつけるが、かわりに、どうか一人でも多くの子供を連れて……」


「神のお告げを聞きました」


 レイの思いがけないひと言に、きょとんとなったキャラハン。


 次第にざわつき始めるダイニングルーム。


「なんと……」


「それは本当であろうか?」


「い、いつ? いったい、どのような?」


「――よせ、皆のもの」


 キャラハンが手を上げ、代表してレイに問いかける。


「神のお告げ、と言われたか?」


「はい」


「それはどのようなお告げであったのか。この街を捨てよという話か、それとも玉砕せよという命令か。神は、我々に再起の地を準備してくださるのか。はたまた、あなたに死者のとむらいを命ぜられたのか。いずれのようなお告げであったとせよ、私の腹はもう決まっている。会議の邪魔だ。お引き取り願おう」


「敵の頭上に、神のいかずちが下ります」


「……」


 キャラハンは一瞬だけ息を呑み、しかし首を振った。


「……世迷い言を。そのような嘘をれ回るようであれば、拘束する。兵の士気に関わることだ。それが嫌であれば、黙って立ち去られよ」


 キャラハンは不快そうに手を振ったが、しかしレイも引き下がらない。


「言い方を間違えました……敵の頭上に、神のいかずちを下します」


「いかずちを、下す……? 誰が?」


「このわたくしが――」


 そこで自分自身の大きな胸に手を置き、よっこいしょと大筒を担ぎ上げてみせたレイ。


「守護天使マーチンさまにかわって敵の戦列を粉砕してみせましょう」


「……いったい、何を言っておられる……」


 キャラハンだけではない。レイの言葉の意味をそのままに受け取ったものは一人もいなかった。


 そこで彼女は、例のうぐいす色のブツをよく見えるようにして宣言した。


「――これこそが、ド・ロッキー教会の守護天使マーチンさまよりたまわった神のいかずち。その名をセイントジャベリンといいます」


「せ、セイントジャベリン……」


 装填済みセイントジャベリンの無骨な存在感に圧倒され、全員がぽかんと口を開けた。


「なんと、その奇想天外な筒で敵を討ち果たすと」


「はい」


「どのようにして」


「祈りを捧げます」


 はぁ……と嘆息が渦巻いた。


 教会関係者が祈りを求める場合、それは大抵がろくでもないことだからだ。金か、盲信か。レイもまたそういったたぐいの人間だと、全員が思った。


 キャラハンをのぞいては。


 彼の脳は、この期に及んでまだ思考を放棄せずに可能性を探り続けていたのだ。それは、この過酷な土地で代々、住民の命を預かり続けてきた者が宿す領主としての胆力であったのかも知れない。


「――その神のいかずちは、街の外でたむろするアシロ帝国正規兵を相手にして十分な力があるのか?」


「りょ、領主。まさか本気にしては――?」


 キャラハンの隣に立っていた男が割り込んだ。彼はマイア防衛をつかさどる防衛隊長だ。戦いの“いろは”を知る彼にとって、レイの言う神のいかずちなどは、夢見がちな子供のごとに過ぎなかった。


 しかしキャラハンは真剣な表情を崩さない。真摯しんしな眼差しだった。子供の戯れ言にすら可能性を探りたいという気概を感じる。


 そこでレイは豊かな胸を張り、語気を強めた。


「――先ほど視察して参りましたが、外に待機しているのはアシロ帝国バタリオンタクティカルグループ一個戦力。セイントジャベリンの力があれば、私ひとりでもBTG10個を同時に相手取っても押し返すファイアーパワーを提供できます」


「ば、馬鹿な……」絶句した防衛隊長。


「ド・ロッキー教の精密誘導兵器を甘く見てはなりません。しかし、誠に申し上げにくいのですが今、ジャベリンは一発しかないのです。さすがにたった一発では、あの軍を追い払うには足りないのです」


「どうすれば?」


 キャラハンはテーブルの上で両手を組んで、レイの言葉に耳を傾けた。


「寄付金が必要です」


「また金か……」


「一発1000万ほど頂戴できれば」


「たっか」


 思わず仰け反り、椅子の上でひっくり返りかけたキャラハン。


「まとめ買いすればディスカウントが効いて一発800万ゴールドとお得です」


「えぇ……いや、しかし、それにしてもたか……」


「神のいかずちが一発800万であればお安いかと」


「くぅ、しかし……もう少し、まからんのか?」(まかる:安くしての意)


「びた一文、まかりません」


「むむむ……ちなみに、全部で何発必要であろうか?」


「先ほど見た感触だと、敵を殲滅せんめつするには60発もあれば十分でしょう」


「60発……約5億ゴールドか……」


 マイアはそもそも貧しい都市だ。いくら領主といえども5億は大金。おいそれと支払える金額ではなかった。


 しばしの沈黙。


「……!」


 突如、ゴンッ! という音がした。


 領主が額をテーブルに打ち付けた音だ。彼は両手をきつく握り、歯を食いしばっていた。


「キャラハンさま……⁉」


「――分かった……」


 テーブルに向かって彼がうめくと、どよめきが起こった。


「領主!」


 誰かが前に出て、彼の肩を揺らした。


「我々はもう、さんざんド・ロッキー教会に上納したではありませんか! このに及んで、まだ役にも立たない教会の威光にすがるのですか⁉ それが人の身ひとつでこの地をたがやし、子を増やしてきた質実剛健で知られるマイアの領主ですか⁉」


「そうではない……」


 キャラハンは顔を上げ、まっすぐにレイを見つめた。彼女の、超然として何を考えているか分からない瞳の深みに吸い込まれていくようだった。


「――シスター・レイは、確かにド・ロッキー教会の巫女だが、彼女は自ら軽犯罪者をしょっぴき、賞金首が街に紛れ込めばこれを取り押さえて賞金を未亡人の会に寄付し、人攫ひとさらいが出れば真っ先に追い詰めてリバーブローで血反吐をはかせる正義の徒。子供たちにド・ロッキー教の教えや、読み書きを教えると同時に身体を鍛えることの重要性を説き、まぁ、得体えたいの知れない白い粉をなめさせるのは、さすがにどうかと思ったが……」


「あれはプロテインです」


「そ、そうか……とにかく、きちんと戦闘訓練を終えた子供らにはプロテインとパンを分け与える敬虔な人物。それでいて彼女自身は、もうずっと教会の隙間風やまぬ一角で寒さに凍えながら寝起きすることに文句ひとつ言わない。あの嘘つきな、いんちき神父とは違う」


 部屋がしんっ……となった。


 キャラハンは確かに尊敬すべき人物であった。


 彼は住民の顔と名前を一人ひとり覚え、誰よりもしっかりと彼らの生活を見てきた。その事を周囲の幹部らも承知していた。キャラハンが語ったレイ=セオンヌ評は、少なくともマイアの街においては誰よりも正確だろう。


「シスター。あなたがそう言うなら、きっとそうなのだろう。私はあなたが嘘をついたためしがないことを知っている。だから、ここにいる全員に誓ってはもらえないだろうか。必ずアシロ帝国の乱暴者どもを追い返すと」


「私は、そのためにここに参りました。守護天使マーチンの名において、そして私の全力をして、みなさまを救うことをお約束いたします」


 ピシッと敬礼したレイ。


「シスター、私はあなたの高潔こうけつを信じる」


 キャラハンは立ち上がって声のボリュームを上げた。異論は出なかった。


「この館にある財はすべて寄付する……ただし、あなたにだ。強欲な教会にではない」


 そう言ってから、キャラハンの肩が自信なさげに落ちた。


「もっとも、それでも5億はないのだが……」


「いかほど」


「現金で2億ゴールドある。今すぐにでも使ってくれ」


 約20発。レイの要求に半分も満たない。


 ――だが、これでいい。


 もともと数字を盛って話したことだ。


 レイは、20発でもなんとかなりそうだという感触を得ていた。敵は500人規模のBTG。効果的に使う必要はあるだろうが、イケる。


「かしこまりました。補給線の確保にご協力いただき、ありがとうございます。領主さま」


 レイは美しい淑女の礼を披露した。


 体幹の強さだろうか。彼女は重そうな大筒をかついだまま、ふらつきもしなかった。


「――このわたくし、貴賤なき平和と平等の伝道師たるレイ=セオンヌが。セイントジャベリンの御力みちからを、とくとご覧に入れましょう」




 ◇⚡◇




 レイは正門上から顔を出した。


 高い位置から敵の陣容を俯瞰ふかんする。


 騎兵が50。歩兵が400。魔獣が50。ゴーレム5の混合編成だ。魔法使いは見当たらなかった。辺境の街ごときに高価な魔法使いは動員は不要とでも判断されたのだろうか。


「――その慢心が、命取りですよ……」


 笑いをかみ殺したレイ。


 まるで草をみ油断するウサギの背を取った肉食獣のごとき残酷さがのぞいたが、それは一瞬のことだった。誰にも見られてはいない。


 レイは立ち上がって、遠くからでもよく見えるよう両手を広げた。


「アシロ帝国の兵隊さま――」


「……なんだ……」


 野営する兵達の注目が集まった。彼らに問いかける。


「なぜゆえにマイアの街を襲うのですか? 迂回しなさい。実りの少ないこの地をわざわざ襲う必要はないでしょう」


 すると馬に跨がった指揮官風の男が前に出てきて、橋を挟んで彼女と対峙した。


「――シスター。ここはぬかるみの地を踏破するために重要な中継点だからだ。屋根、食い物、酒、女。そして、その壁の向こうに貯め込んだ金が我々をうるおしてくれる」


「屋根に食い物、酒、女。そしてお金ですか……はぁ……」


 思わず嘆息をついたレイ。古来より争いの元となってきたキーワードのオンパレードだったからだ。


 ――敵をたおすことに、わずかばかりの迷いがあったのも事実。


 しかし実際にアシロ帝国兵の顔を見て、レイの腹は決まった。


 ミサで語る聖職者さながらの語り口で警告する。


「マイアの街にある宿や食い物、酒、女。そしてお金は、汗を流したマイアのたみ自身のものです。今すぐに引き返しなさい。この街は守護天使マーチンさまの加護を得たのです。もし私の警告に耳を貸さず、なおもその場に留まり、戦いの意思を見せるのであれば、あなた方の頭上に神のいかずちが落ちるでしょう」


 彼女の透き通った声は青空によく通った。


 しかし返ってきたのは濁声だみごえと嘲笑だった。


「ねーちゃんが遊んでくれるなら、遊んでくれた分だけ、その街の連中は生き延びられるぜ‼」


「一日か? 二日か? まぁ、大事な信者を減らさないように、せいぜいがんばんなぁ‼」


「ぶっ壊れたら、それでおしまいだからなぁッ‼」


 ゲラゲラと笑い合うアシロ帝国兵たちに、レイもまた冷笑を返した。


「――警告はしましたよ……」


 レイは腰壁に隠しておいたセイントジャベリンを取り上げた。


 大筒の先端からは、太陽の光を受けて一種異様な光沢をギラリと放つ弾頭が頭を出している。


「そうしましたら……領主さまに代わって、わたくしレイ=セオンヌがここに宣戦布告いたします。アシロ帝国の者どもよ、神の怒りに触れて己の罪を悔いるといい。せめて、安らかな死が訪れるようにと――」


「なに……?」


 指揮官は耳を疑ったように眉をひそめた。


 同時に、彼女から言いようのない不穏な雰囲気を感じ取ったのか、彼は早足に本陣に戻っていった。


 ――いかにセイントジャベリンをもってしても、数の差は脅威だ。距離を詰められるのも良くない。セオリーどおり、初手で指揮官を始末して敵の出鼻をくじく必要があった。


 腰を落として片膝を突き、射撃姿勢を取る。


 すると身体にフィットする長いワンピースの臀部でんぶがみっちりと丸みを帯びて膨らみ、スカートの下から黒いタイツに包まれた健脚がスラリとのぞいてしまうのだが、レイは気にしなかった。


「――おお偉大なる守護天使マーチンよ」


 レイがセイントジャベリンを肩に構え、四角い箱――コマンドローンチユニットと呼ばれる情報モニターをのぞき込む。


不遜ふそんな敵を打ち破る、なんじの御力をこの手に授けたまへ」


 すると大筒の発射口が、自然と斜め上に向いた。


「壁に隠れようとも、どれだけ速く走ろうとも、決して逃さず敵の喉元を貫く恐るべき槍を――」


 四角いモニターにはズーム映像が流れている。


 先ほどからレイに向けて下卑た笑いを浮かべているアシロ帝国兵の間抜け面が、はっきりと見えた。ケツを丸出しにしているものもいたし、腰を振って見せているものもいた。神のいかずちを前に、愚かしい挑発であった。今、彼らに許される態度は恐れおののき、額を土にこすり付けて許しを請うことのみであるというのに。


 レイはセイントジャベリンを上下左右に動かして、彼らの中からさきほどの指揮官をクロスヘアの中心にとらえる。


「竜の吐く火よりも熱く、雷神の槌よりも激しく、月の女神が放つ矢よりも速く、敵を焼き尽くす汝の雷光を――」


 画像が黒と緑の熱画像に切り替わった。クロスヘア中心に目的の指揮官の影を捕らえ続けると、やがてトラックゲートと呼ばれる明滅する四角形領域が集束し、聖なる印ロックオンが灯った。


「我が祈り、聞き届けたまへ――」


 はやる気持ちを抑え、発射スイッチに指をかけたレイ。


 彼女は最後に祈りの言葉を唱える。


「――――フォックス・ツー」


 レイの祈りが届くと同時に、ミサイルは点火した。


 ボシュッ!


 と、一瞬だけ筒が後ろから火を吐いた。


 勢いよく前方に飛び出した巨大なやじり。それは初め、ただのつるっとした円筒形であったが、すぐにボディーから無数のナイフがジャキジャキと飛び出して凶悪な姿に変貌した。


 全員の顔がぎょっとなった。


 ところが、それはすぐに空中で沈黙。


 力なくレイの目の前で落下をし始めた。その姿は、あたかも下手くそな射手が放った弱々しい矢が自分の足元に落ちていくかのような頼りなさだった。


 ――失敗。不発。撃ちそんじ。


 そんな間抜けな単語が次々と思い浮かぶ様子に、アシロ帝国兵から爆笑が起こるかと思われた、その矢先。


 二段目のロケットモーターが火を噴いた。


 ゴーゴーと地上に吹き付ける熱風がレイの長いスカートをバタバタとめくり上げる。


 瞬時に息を吹き返したジャベリンミサイルは、光の矢と化した。


 轟音と共に目にも留まらぬ加速を見せた一条の光が、一直線に白煙を引いて敵陣へと吸い込まれていく――。


 次の瞬間、


 カッ‼


 と、敵陣の土手っ腹にまばゆい閃光が走った。


 ほとんど同時に、爆然と膨らんだ鈍色にびいろの烈風が周囲の敵兵を蹴散らした。


 中には木の上まで吹き飛んだものすらいた。まるで、ぬいぐるみを放り投げたかのように四肢を力なく放り出して、くるくると回転しながら。


 少しだけ遅れて、レイの元にも爆音が届いた。それは彼女の髪を揺らし、内臓が一回だけ持ち上がるほどの圧力波をともなっていた。


「ひえぇぇぇ……」


 レイの隣で盾を構えていた青年が腰を抜かしている。敵前に出るという彼女の警護を買って出た、勇気ある若者だ。


 ――それもそのはず。


 土煙が収まってきて明らかになった爆心地は、誰も想像がつかない惨状だった。


 正面から直撃を受けた敵指揮官は、乗っていた馬ごと粉微塵こなみじんに消し飛んでいた。周辺には彼が装着していた甲冑の欠片が飛び散っているだけである。血糊すら残されていない。


 着弾地面には放射状に焼け焦げた土がのぞいており、周囲の敵兵も、ほとんどが再起不能なレベルで大怪我を負っていた。


 もちろんこれは終わりではない。


 これは始まりに過ぎないのだ――。


 レイは目にかかった髪の毛をうっとうしそうに指で掻き上げると、気を引き締めて再装填の祈りを捧げた。


「――標的タンガー撃破ダウン。リロード……」


 セイントジャベリンがマイアの財源をジャラジャラとたいらげていく音。その心地よい音色が彼女の鼓膜をくすぐった。背筋がゾクゾクした。


 まもなくレイの肩にずっしりと重みが戻る。


「うっ……」


 人々の血税が詰まった重量に、さしものレイも小さくうめいた。


「――でも……まだまだ!」


 アシロ帝国兵は何が起こったのか理解できておらず、逃げるという選択肢にたどり着いていない。どうしていいか分からずに、その場でうろたえるばかりだ。いの一番に指揮官をった甲斐があった。このチャンスを逃す手はない。


 今、狙うべきはゴーレムや魔獣ではない。数の多い歩兵だ。可能な限り数を減らし、彼らの心に恐怖を刻み込んでやる必要があった。一度傾いた士気は、やがて津波となって番狂わせジャイアント・キリングを起こすだろう。


 レイは歩兵の密度が高い箇所に目星をつけた。


「フォックスツー」


 無慈悲な祈りに応え、神のいかずちは飛んだ。


 ミサイルは瞬時にして人口密集地帯のど真ん中に着弾。けたたましい音を立ててはじけ飛び、数十名の敵兵を巻き込んでそれを無力化した。


 そこで、ようやく帝国兵側に組織だった動きが見られた。


 ゴーレムが手に持った石の盾を構え、前に出て壁を作った。対魔法使い戦を想定したフォーメーションだろう。質量の塊であるゴーレムの壁で、高火力をしのぎながら前進するつもりだ。


 いかにセイントジャベリンとて、盾を構えたゴーレムを破壊するためには、最低でも二発は必要となる。マイア住民の人生が詰まった1000万だ。無駄にするわけにはいかなかった。


「――トップアタックモード……」


 レイが力強くそう念じると、セイントジャベリンが持つ力の一端が解放された。


 レイはこれまでと同じように、ゴーレムをCLUでロックオンした。だが彼女が放つ次の一撃に、間違いなく敵は度肝どぎもを抜かれることになるだろう。期待ですこしよだれが落ちた。


「フォックスツー」


 レイの殺意あふれる祈りと共に、ミサイルが轟然と吹け上がる。


 飛び出した鋼鉄の鏃は、ゴーレムに向けてまっすぐ飛翔した。


 帝国兵が固唾を呑んで見守る先で、ゴーレムの盾とレイのミサイルが激突する。正面からの真っ向勝負。そう思われた。


 ところが、そんな大方おおかたの予想を裏切り、ミサイルは突如カクンと軌道を変えたかと思うと青空に向かってホップアップ。急上昇して明後日の方向へと飛んでいってしまった。


 それは誤射にも見えた。


 アシロ帝国の兵も、マイアの民も、全員がほうけたように口を開けて太陽に向かって飛び去る光点を見上げていた。


 そんな彼らの見つめる先で、事件は起きた。


 急転直下。白煙が、軌道の頂点で再びカクンと急ターンを決めたのだ。


 すると明滅する光点は急降下を開始し、今度は落下の勢いを乗せて地上に向けて突入してくる。


 ゴウゴウと雷鳴を轟かせ、天空から迫り来るミサイルの絵面は、まさしく悪を打ち砕く神のいかずちそのもの。


 ――断罪の鉄槌が下る。


 そのド迫力にすくみ上がるアシロ帝国兵の面々。


「――あっ!」


 誰かが指を差した。


 いかずちが、ゴーレムの脳天を直撃したからだ。


 成形炸薬弾からモンロー・ノイマン効果によって吹き出した超高速噴流メタルジェットは、石のボディーをやすやすと貫通し、ゴーレムの中心にあるコアを破壊すると、そのまま内側から岩の塊を引きちぎって粉砕。


 内部から急膨張する爆風で勢いよく飛び散ったゴーレムの破片が、後ろに隠れていた歩兵らに突き刺さり、崩れた瓦礫が彼らを押し潰した。


 キーン……という耳鳴りが収まってくると、その奥から男どもの悲鳴が届いた。二次被害はレイが想定した以上の戦果を上げていた。


「タンガーダウン。リロード……」


「シスター! 空から‼」


 隣にいた青年が指差して叫んだ。


 グリフォンが空中で旋回し、勢いをつけている。突撃してくるつもりだろう。


「――スティンガーモード……」


 レイは慌てずに別の力をセイントジャベリンにプログラムした。


 マッハで飛ぶ戦闘機に比べれば、グリフォンの急降下など止まって見えるほどだ。


「フォックスツー」


 CLUモニターに捕らえたグリフォンは光の矢に貫かれ、赤い肉片となって青い空に飛び散った。


 それを機に、今度は弓兵の反撃がきた。


 ストストスト……。


 彼らの矢はまだ射程外でほとんど届いていなかったが、それでも数本の矢がレイの近くに突き立った。


「危ない、シスター! 下がって!」


 青年は盾を構え、身をていして飛来する矢からレイを守った。


「ありがとうございます。失礼ですがお名前は?」


 レイが再装填しながら聞くと、彼は「トリバーズです!」と元気よく答えた。


 そんなトリバーズの肩に手を置き、レイが指示を出す。


「トリバーズさま、ありがとうございます。厚かましいお願いですが、どうかそのまま……」


「は、はい……!」


 不意に首元にかかった吐息の熱に、トリバーズが耳を赤くした、次の瞬間。


「フォックスツー」


「ぎゃー」


 トリバーズが構える盾の陰から放たれた神のいかずち。


 目の前で点火されたロケットモーターの爆炎に驚き、彼は思わず悲鳴を上げた。


 こうして弓兵集団の鼻っ面に叩き込まれたミサイルが、死体の山を作った。


「ひ、ひぃ……」


 散らばった無残なしかばね。それを踏み越えて近づくことをためらい、弓兵の足が止まった。


 弓兵隊が射程内に接近することを許さない。


 接近阻止アンチアクセス領域拒否エリアディナイアルと呼ばれる未来を先取りした戦術であった。


「く、くそ……!」


「なんだこりゃぁあ……ッ‼」


 こうしてマイアの郊外に積み上がっていくのは、主人を失った装備の数々。ちりぢりになった四肢。飛び散る臓物。元がなんであったかなど言うまでもない。そして砕け散ったゴーレムの破片。オーバーキルされた仲間の無残な様子が、敵兵の戦意をいちじるしく削いでいった。


「――後退! こうたーーーーい‼」


 依然として鳴り止まぬ雷鳴に、馬たちも恐慌状態におちいった。騎兵隊は機能不全に。アシロ帝国兵は大きく後退せざるを得なくなった。


 こうしてセイントジャベリンを撃ちまくり、首尾よく敵の攪乱かくらんに成功したレイはにんまりとえびす顔。いい笑顔だった。


 もっとも、彼女は同時に弾切れを察知していた。リロードの祈りにもかかわらず肩が軽いままだったのだ。


 一時休戦。ひとまず正門から降りて、彼女は広場に帰還した。


 そこで領主が待っていたのだが、彼の顔色は優れない。


「どうかなさいましたか?」


「悔しいが……もう金庫が底をついた」


 まだ10発程度。先ほどの話では20発はいけるはずだが少なすぎる。まだまだ暴れ足りないレイは眉をひそめた。


「いったいなにが?」


「すまない……今朝がた、街の会計責任者が館の金庫をひとつ開け、持てるだけ金を持ち逃げしていたのだ……」


 両手に拳を作り、羞恥しゅうちくやしさををにじませるキャラハン。


「もうこれ以上、シスターをサポートすることはできない……」


「それは困りました。まだ敵は殲滅していないのですが……」


 レイは唇に指を当てて正門の向こうを振り返った。


 アシロ帝国兵が完全撤退する様子は見えなかった。指揮を受け継いだと思われる副官らしき人物は後退と叫んでいた。体勢を整えてから再度攻めてくるのは間違いない。


「彼らはまたやって来るでしょう。ゴーレムも、グリフォンもまだ残っています」


 敵残存兵力は300ほど。怒り狂った彼らが次に仕掛けてくるときは、猛攻だろう。


「寄付金がなければ、次の攻勢は止められません」


「そうか……いや、ここまでくれば……」


「そうですとも!」守備隊長が気を吐いた。


「我々が命をかけて戦えば、残った帝国兵ごとき……!」


「正規兵300対、農民兵100では勝負になりません」


 レイは冷徹に言った。それが彼らのためでもあったからだ。


 広場が沈黙した。


「悔しいですが、今のうちに街を放棄して逃げることを進言します」


 静まり返った広場に、レイの容赦ない提案が響いた。


 それは完璧な正論であった。彼女は、なによりも住民の命を大切に考えていたのである。


 ほとんどの人はうつむき、その意見に消極的な賛成を示した。


 ところが、それに異を唱える男性が現れる。


「――お、おらの家!」


 彼は衆人環視の中でレイにひざまずき、彼女の手を取ってすがった。


「おらの家なら、どうだ⁉ 1000万の価値があるかは、分からんが……」


 彼の言わんとすることを、レイも理解した。


 彼女は逡巡し、困った風に首を倒した。


「――よろしいので?」


「このまま奴らに乗っ取られるくらいなら‼ 使ってくれ‼」


「……現物でも可能かも知れませんが……しかしどうでしょうか……うーん……?」


 ひと通り悩んでから、レイは「うんっ」と一度だけ力強くうなずき、とりあえず試してみることにした。


「ちょっと失礼」


 近くの城壁の上から、ひょいっと顔を出した。ちょうどいい塩梅で、数騎の斥候が様子見に来ているのが目に入った。


 間髪を容れず、彼女は祈った。


「フォックスツー」


 いかずちは飛んだ。男性の家を吸い取って。


 ミサイルは集結しつつあった騎兵隊のど真ん中に突き刺さった。直撃を免れた馬も混乱状態に陥り、騎士は振り落とされるなどして骨折した。這々ほうほうていで足を引きずって戻っていく斥候兵たち。これにりて、もう当分の間は近づいてもこないだろう。


 満足いく戦果を確認し、彼女はしめしめと壁の後ろに引っ込んだ。


 レイが広場に戻ると、家の提供を申し出た男の家屋――先祖代々のあばら屋は消滅していた。綺麗さっぱりと。家財を残して消えていた。彼の家は青空に轟く爆音となって散ったのだ。


「あなたの献身は神に届きました――金銭でなくても、いけそうですね」


 ニコッと、影を含んだ微笑み。


「――お、俺も!」


「あたしも!」


「わしのも!」


 一連のやり取りを見守っていた人々から、続々と声が上がり始めた。それはヒステリックな熱狂を呼び、もはや街中の人が家を差し出したようなものだった。


「ですが……」


 さすがのレイも、住む家を根こそぎ刈り取るような焦土作戦に近い戦略に、罪悪感を覚えるのだ。彼女の脳内で天使と悪魔が争っている。


「分かった」


 そんな中、領主キャラハンも感化されたように前に出た。


「シスター・レイ、私の屋敷をすべて使ってくれ! 評価額で一億はくだらないはずだ‼」


「わぉ」


 太っ腹な提案に、つい舌なめずりしかけたレイだったが、彼女の魅惑的な胸には良心が残っていた。脳内天使にたしなめられて間一髪。厳粛げんしゅくに口を引き結んでみせた。


「おほん……しかしそれでは、みなさんが冬に住むところがなくなってしまいます」


「構うものか! 私は腹をくくったぞ。ご先祖が血のにじむような努力の末に築き上げたこの街を、あのような狼藉者どもに力尽くで奪われるくらいならば‼」


「奴らに目にものを見せてやってくれ、シスター‼」


「マイアの力、使ってくれ‼」


「アシロ帝国兵を地獄に送り返してやれ‼」


「ぶっ殺せー、シスター‼」


「やっちまえッ‼」


 こうして心強い補給線を得たレイは百人力。セイントジャベリンに、マイアの街に染み込んだ血と汗と涙の結晶が結集してくるのを感じていた。街に住む人々全員の熱意と、そして殺意が彼女の背中を押している。


「――分かりました。ではみなさまの財産をお預かりいたします。どうかこの私にお任せください」


 深呼吸し、うぐいす色の大筒を掲げ上げたレイ。


「――侵略者どもに死を‼」


「「「侵略者どもに死を‼」」」


 物騒な声援が応えた。


 こののち、マイア史に残る乾坤一擲けんこんいってきの反攻作戦は、こうして始まった。




 ◇⚡◇




 アシロ帝国兵は翌朝に再集結した。


 今度は、どこから調達したのかバリスタ(巨大な弓矢、攻城兵器)を引きずり、昨日よりも遠い場所に陣取ってマイアの正門に対峙していた。


 ゴーレムには木製の傘が装着され、セイントジャベリンの攻撃に対策を打ってきた。彼らもただの狼藉ろうぜき者というわけではなかったのだ。


 しかしアシロ帝国兵はいくつかの致命的な間違いを犯している。


 ひとつ。昨日の戦闘距離は約500m。セイントジャベリンの射程距離は2500mだ。多少距離を取ったからとて、状況はまったく好転していなかった。セイントジャベリンは彼らの常識をはるかに上回る決戦兵器だったのだ。


 ふたつ。バリスタなど足の遅い固定兵器など、ただのまとに過ぎなかった。開戦後すぐにちりすであろう。その矢がマイアに届くことはない。


 みっつ。ゴーレムの傘など、意味がない。なぜならセイントジャベリンのタンデム弾頭は戦車の爆発反応装甲に対応するために二段構えとなっているからだ。


 レイに容赦するつもりはなかった。


 昨日、警告を馬鹿にされたことにまだ怒っているのだ。レイは根に持つタイプだった。


 対策を施してホッと一安心。そんな表情を浮かべている、あの敵兵を絶望に叩き落としてやったときに、彼らがどのような顔をするのか想像するだけでいろいろな部位がうずいてしまうのだ。彼女は自分の口元がだらしなく緩むのを感じていた。


「――フォックスツー」


 二日目の戦いも、彼女から戦端を切った。


 一発目でバリスタを真っ先に撃破。


 すかさずゴーレムが前に出て壁を作ったが、これもトップアタックモードで瓦礫がれきと帰して射線を確保。奥に残っていたバリスタを徹底的に叩いた。


 その間に騎兵が散開し、クロスボウを手に突撃してきた。上空からはグリフォンが同時突撃してくる。とにかく真っ先にレイを討ち取るべく、捨て身の作戦だ。


 それを見た彼女は、城壁の上を走った。


 走りながらも、まずは空中のグリフォンを冷静に、そして確実に迎撃していく。百発百中であった。セイントジャベリンが誇る打ちっぱなしファイアー・アンド・フォガットがなせる業であった。


 弾切れの心配はなかった。今や、彼女の後ろには千人のパトロンがついているのだから。


 レイのセイントジャベリンがうなりを上げた。 


 ミサイルの乱れ撃ちは、恐慌をきたした騎兵隊を非情にも焼き尽くし、やがてその矛先は遠方の歩兵部隊にも届き始めた。


 絶え間なく着弾する神のいかずち。


 その恐怖に当てられて、もはやアシロ帝国のBTGは部隊としての行動が取れなくなっていた。武器を捨てて逃げ惑うのみ。


「攻め時ですね……」


 そんな敵の様子を見て、レイは正門の上からパルクール然と飛び降りて戦場に出た。


 ズシン。着地と同時に砂埃が上がり、装填済みセイントジャベリンおよそ20kgの衝撃が、彼女の肩と腰と膝を容赦なくあっした。


 レイはその衝撃に踏ん張って耐えた。


 彼女の目的は逃げる敵のけつを蹴り上げることだ。非道というなかれ。それが戦争の常なのだから。


 侵略者の心に恐怖と畏怖を刻み込み、二度とこの地を踏みたくないと思わせてやる。レイはその熱い思いを胸に秘め、決然と立った。威風堂々たる立ち姿であった。


 シスター服の長いすそが邪魔だった。


 ビリリッ。レイは躊躇ちゅうちょなくスカートを引きちぎって深いスリットを入れると、すぐに達者な足で戦場を駆け始めた。


 駆け抜けながらバスンバスン撃ちまくっていく。数秒ごとに1000万が溶けていく悪夢。だが、もはや誰ひとりそんなことは気にしていなかった。一騎当千。戦神といっても過言ではない獅子しし奮迅ふんじんの活躍と、スカートのスリットからチラチラと見えるガーターベルトの紐、そしてたくましくキレた大腿筋に、マイアの誰しもが心酔していた。


「す、すごい……」


 レイの勇姿を見て、青年トリバーズが感嘆の声をこぼした。


 ――美しい。


 彼は、恍惚こうこつとした顔で乱れるレイの横顔を見て、心の底からそう思った。


 トリバーズがレイの美貌に見蕩みとれていたその時。一部の帝国兵が反転して物陰に身を潜めつつ、レイに接近を試みていることに、彼は気がついた。


「――俺たちも行こう‼ シスターに任せているだけじゃだめだろう、みんな‼」


 トリバーズの声に、奮い立つマイアの人々。


「シスターに続けぇぇえええええ‼」


「シスター・レイを守れ‼」


 正門を開け放ち、打って出た防衛隊。


 こうして掃討戦が始まった。


 それは戦いと呼べるものではなかった。


 いつ自分が狙われるかも分からない恐怖の中で、アシロ帝国兵は振り返ることもできず、次々と背中を討たれた。


 巻き起こる爆音の嵐に、軍馬もついに泡を吹いて倒れた。図体のデカい魔獣はミサイルの格好の的だった。ゴーレムの装甲は意味をなさず、空を飛ぶものは音速で飛来するいかずちに焼かれて丸焦げとなった。


 移動式ミサイル発射台と化したレイの周囲を、マイアの人々が守っていた。武装した兵のみならず、農具を構えた老人や、幼子を背負った女性の姿もそこには見られた。


 ――かくして、戦いは終結した。


 侵略者は壊滅し、生き残った帝国兵も武器をかなぐり捨てて遁走とんそう。これ以上追う必要はない。ぬかるみの地は、彼らを容赦なく食らい尽くすだろう。


 あとには焼けた土と、くすぶる木々。そして勝ちどきを上げるマイアの人々が、夕暮れの中に残されていた。


「勝った」


 レイが満足して振り返ると、そこには更地が広がっていた。


 香ばしい匂いが漂う中、家はひとつも残っておらず、街を囲っていた壁や正門すらも消え去り、マイアの街並みがあるべき場所には、ぽつぽつと価値の低い家財が残されているだけだった。あとガチョウ。


 勝利の代償は決して安くはなかったのだ。


「――みんな、すまない……」


 領主キャラハンが住民の前で崩れ落ちるように膝を突いた。


「マイアの街も、私の代でおしまいだ……必死に守ってきたつもりだったが、力及ばなかった。このような結果になったことを、許して欲しい……」


 しかしそんな嗚咽おえつまじりの懺悔に対する住民の反応は、歓声であった。


 汗と泥に汚れて、皆が一様いちように良い笑顔だった。


「キャラハンさま、命あっての物種ですぞ」


 降伏派だった男がそう言って、意気消沈したキャラハンを立ち上がらせた。


「我々は勝利しました!」


 抗戦派だった男がそう言って、ふらつくキャラハンの肩を支えた。


 青年トリバーズが、更地の中で両手を広げて大声でわめいた。


「こうして住める土地も畑も、農具も、当座をしのぐ食料も家財も残っているじゃないですか! これからまた、みんなで力を合わせてもう一度やっていけばいいんですよ!」


「みんな……」


 キャラハンは感動に打ち震えていた。自身が許されたことにではない。マイアの人々の前向きさと、生きることへのひたむきさを見せつけられたからだ。


「――ありがとう。明日から、マイアの街を再出発させよう。しばらくは苦しい生活が続くかも知れない。でも、どうか皆の力をもう一度私に貸してはくれまいか」


 拍手が彼を迎えた。


 キャラハンの人徳が、住民の心を結びつけていたことに疑いの余地はない。マイアの街はすぐに立ち上がるだろう。しかも前よりも強く、立派になって。


 そこには富めるも貧するもなく、身分すらもない。真の平和と平等が広がっていた。


 レイは少し離れた場所で、かつて教会であった瓦礫に腰掛けていた。


 セイントジャベリンの点検を行いながら彼らの様子を眺めていると、彼女の胸に、ほっこりと温かいものが満ちてくるのを感じた。


 それは、ミサイルを思う存分、撃ちまくったことによる出し切った感なのか、はたまた人情にんじょうに触れて胸を打たれたことによるのかは、彼女自身にも分からなかった。


 ――よくがんばりましたね、レイ。でも少しやり過ぎですよ。その調子では、あなたの通ったあとには焼け野原しか残らないでしょう……自重じちょうなさい……。


 そんな守護天使マーチンの不安げな声が、聞こえたような気がした。


「シスター、あなたには感謝してもしきれない恩ができてしまった」


 キャラハンはレイに歩み寄って手を差し伸べた。


「どうかこのマイアの街に残って、また我々と共に歩んではもらえないだろうか。ここに、あなたの功績を讃えて新しい教会を立てたいと思うのだ」


「感謝いたします。しかしどうか、その労力は街の再建にお役立てください」


「それでは――」


「わたくしは行きます」


 セイントジャベリンについたすすを綺麗さっぱり拭き取って、レイは立ち上がった。


「まだ、この乱れた世界には、争いの中で平和と平等を求める人々が私を待っています。私は彼らの声に応えなければなりません。それが守護天使マーチンさまに立てた誓いです」


「そうか……」


 キャラハンは残念そうにうなずいたが、彼にはレイがそう言うであろうことは分かっていた。


「ならばせめて、これを」


「これは?」


「水と食料だ。こんなものしか残っていなくて申し訳ないが、隣町までは足りるはずだ。せめて馬が残っていれば……」


「ありがとうございます。これで十分です」


 レイはニッコリと笑った。


 彼女は、遠巻きに見守っていたマイアの人々に深くお辞儀をし、きびすを返した。


 夕陽が沈む方角へ向かい歩み去るレイ=セオンヌ。その大きな背中を、姿が見えなくなるまでマイアの人々は黙って見送ったという。


 ――のちに、マイアの中央広場には、セイントジャベリンを赤子のようにして胸に抱くシスターの像と、彼女の肩に乗ったブラックバードの像が、愛と平和、そして力の象徴として作られたのだそうだ。


 家も無く、食料も乏しく、酒もない。住民は総丸ぼうず状態。攻めるべき戦略的価値をほとんど失ったマイアの街は、当分の間、戦火をのがれることになる。


 行け行け、レイ=セオンヌ。ごんぶとな大筒を担いで大陸行脚あんぎゃ


 ゴーゴー、シスター・セイントジャベリン。各地で神の威光を見せつけ、争いの元を食い尽くすのだ。


 悲しみしか生まぬ暴力を、それを圧倒する暴力で塗りつぶして世界に貴賤なき平和と平等をもたらすために――。


 シスター・セイントジャベリンの伝説が今、始まった。




(完)

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シスター・セイントジャベリンの敬虔なる無双伝説 赤だしお味噌 @graycat

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