人間よ、供物を差し出せ

伊崎夢玖

第1話

我は猫。

至って普通の猫である。

名前は……たくさんあって、よく分からない。

ある家では「ミケ」、別の家では「チロ」。

ほかにもいろいろ呼ばれていて、本当の自分の名前が何なのか分からない。

ぶっちゃけ、そんなことはどうでもいい。

人間という生き物は我にとって最高の下僕である。


今日という日は、ここ最近で1番最高な1日だった。

我の活動は朝日が昇ると共に始まる。

主な寝床として使っているのは公園の遊具の中。

ここは雨風を凌げるし、侵入者の心配もない。

実に安心して寝られる。

寝起き一番に伸びをして、体をほぐしてから寝床を後にする。

すると、今朝は若い男がベンチという物に座って項垂れていた。

『この世の全てに絶望した…』みたいな顔をしていて、纏っている雰囲気も穏やかな物ではなかった。

心配になった我は、若い男に近づいた。


「…にゃーん?」(どうしたのだ?若い男よ)

「…俺のそばにいてくれるのは猫くらいか…」

「にゃにゃ?」(とりあえず、元気を出せ)

「俺の話を聞いてくれるか?」


男が何を言っているのか我には分からなかったが、何か悲しいことがあったのだけは分かった。

少しでも力になりたくて、ただ足元に座り、男の顔を伺いながら話が終わるのを待った。

すると、男は憑き物が落ちたようにパァと明るい顔になり「ありがとう」と言い残し、その場を去っていった。

『言いたいことだけ言って、去っていく』

人間のこの行動だけは理解できない。

まぁ、そんなことは正直どうでもいい。

人間相手に気を遣ったら、眠くなった。

寝床に戻ってもうひと眠りしようと思った矢先、先程の男がガサガサとなる袋を片手に戻ってきた。


「にゃ?」(まだ用か?)

「お前にいい物やるよ」

「にゃーん?」(いい物?)


男が袋から取り出したのはおやつだった。

しかも、猫界隈で噂になっている、とびきり美味いマグロ風味のおやつ。

こいつを貰えるなら、気を遣っただけの価値はある。

仕方ないから、もらってやる。

やっぱり何度食べても美味い。

最高だ。

匂いに釣られて他の猫も公園にやってきたが、これは我の物だ。

誰にも譲る気はない。

あたりを威嚇しながら、おやつを完食する。


「にゃ!」(馳走になった!)

「じゃぁ、またな」


男はそう言うと、どこかへ去っていった。

きっと自分の寝床に戻ったのだろう。

我も気を遣ったのと、お腹がいっぱいなのとで、眠気が最高潮に達していた。

寝床に戻って、しばし仮眠を取ることにした。


どれだけ時間が経ったのだろう?

周りが騒がしい。

寝床から顔を上げると、子供がわんさかいた。

これはまずい。

子供という生き物は加減を知らない。

我にとっては天敵に等しい。

気配を感じ取りながら、子供の目を盗んで公園を後にする。


公園を出たら、まずは我を「ミケ」と呼ぶ家に向かう。

そこでカリカリのご飯を食べるのが習慣だ。

いつものルートを通って、家に到着する。

裏に回って、扉を二回叩く。

これは、ここでしか通用しない我が来た合図。

ガチャリと音がして、扉が開いた先にいたのはこの家の女で、お母さんと呼ばれる人間だ。


「今日は遅かったのね」

「にゃにゃ」(仕方ないのだ。許せ)

「ご飯の準備できてるわよ」

「にゃ」(早よ出せ)


我の前に出された皿にはてんこ盛りのカリカリ。

我の好みはどちらかというと、カリカリよりは柔らかいご飯の方が好きだ。

だけど、この家で食べるカリカリは格別だ。

なぜなのか、我は知らない。

別に知りたいとも思わない。

美味ければ、それでいいのだから。

無心に食べ続け、皿を空にする。


「もう食べたの?早いわね」

「にゃ」(うまかった)

「あら、そう?お腹空いてたのね」

「にゃにゃ」(そうではない。勘違いするな)

「じゃぁ、今日は特別にこれあげるわね」


お母さんが取り出したのは、公園で男がくれたものと同じおやつだった。

2回も食べられるなんて…。

夢かと思って床に頭を打ち付けてみたが、痛い。

これは現実だ。

こんな夢みたいな現実があっていいのだろうか?

多少怖いと思いながら、おやつに罪はない。

我はしっかり完食した。


「にゃにゃ」(じゃぁ、またな)

「はい。お粗末様でした」


我のモットーとして、貰った分だけの愛嬌は振りまく。

これさえしっかりしておけば、人間は次もいい物をくれる。

満腹になったし、今日はもう疲れた。

寝床に戻ってもう寝たい。

うつらうつらしながら、公園に向かっていると聞き覚えのある声がだんだん近づいてきた。


「チロ!」


いつもカリカリご飯の家の次に行く家の娘だった。

この娘、とにかく騒がしく、落ち着いて食事することもできない。

我はこの娘が苦手だ。


「チロ!うち、おいでよ!」

「にゃ!」(行かぬわ!)

「こら!大人しくして!抱っこできないじゃん」

「にゃにゃにゃ!」(勝手に抱くな!触るな!娘!)


娘の腕から逃げようとした時、つい爪を出してしまった。

ガリッと嫌な感触がしたと思ったら、案の定娘の手を引っかいてしまった。

涙目でこちらを見る娘。


「ママに内緒でこれ持ってきたのに…」


そう言って背負っていたカバンから取り出したのは、本日3回目の魅惑のおやつ。

(ダメだ。負けるな、我…)

しかし、思いとは裏腹に、無意識に娘の引っかいてしまった傷を舐め、おやつを強請っていた。

本当におやつというものはよくない。


「チロ、これ好きだもんね」

「にゃ」(当たり前だ)

「ママには内緒ね」

「にゃ」(もちろんだ)


2人だけの内緒の話をして、我は3回目のおやつを食べた。

気付けば、日も暮れて、周りには誰もいなかった。

さすがに今日は朝からいろいろありずぎて疲れた。

さっさと寝床に戻って、早く眠りにつきたい。

それにしても、人間というものは猫である我によく尽くしてくれる、本当によくできた下僕である。

これからも我に供物を与えるがよい。

見返りにたまには愛嬌を振りまいてやる。

それがお前たちの楽しみのひとつなのを我は知っている。

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人間よ、供物を差し出せ 伊崎夢玖 @mkmk_69

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