03 DAY76

 身体中が痛い。

 しこたま酒を飲んだはずだが、体が痛いだけで、寝る前に感じた頭の痛みはない。ベッドに横たわっているわけでもない。辺りが真っ暗だ。態勢から、座っているのがわかるし、狭苦しく感じる辺り、〈アリゲイル〉に乗ったままなのだろう。

 〈アリゲイル〉はオペレーターの秘匿性を高めるために、外部からコックピットを電子的に開けられないように細工されている。そのため、装甲を取り外して、中身を剥き出しにするしか方法はなく、一度篭って仕舞えば、解体以外に方法がない。今もここに取り残されている辺り、自然と出てくるのを待っているのだろう。

 俺は、モニターを作動させて、どこにいるのかを把握しようとする。目が順応してきたのか、薄らと計器類が見えだしたので、起動させる。てっきり外に置いてきぼりかとも思ったが、回収機に倉庫まで運び込まれたのだろう。辺りには誰もいない。ただ、静寂が場を支配している。

 だんだんと感覚が自分に返ってくると嗅覚に独特な刺激を感じてしまう。あっちで1日をいつものように過ごし、こっちも一日過ごす。あっちでの夢がここなら、ここでの夢はあっちにあたる。

 意識がはっきりし始めると次は、ひどい悪寒に見舞われる。あっちの世界でも目覚めた瞬間に感じた、妙なベタつきと同じだ。汗が噴き出て、それがそのまま乾いたのだろう。結局、どちらもやることは変わらないのだろう。シャワーを浴びたいという気にさせてくる。

 ハッチを開けて、こっそりと外に出る。足が地面につくと妙な違和感に襲われる。さっきまで、宙吊りのような形で固定されていたからだろう。偏っていた血の巡りに健康さが戻ってくる感覚がする。そして、それが同時に恨めしく思う。健康である、ということは生きていることに他ならない。じんわりと暑くなる足の裏に生の脈動を感じ取れてしまうことがあまりにも辛い。

 長時間座っていたため、歩くと膝がポキポキとなり始める。軽い脱水症状に陥っているのだろうか、頭がクラクラとする。

 格納庫の中も、そして、自室へとつながる廊下も閑散として、ただ、静寂がそこにあった。俺は壁にもたれるように歩み続け、自室に着くなり、冷蔵庫の中に用意してある水を場所も考えずに頭からかぶる。どこか生き返った気分になる。ある程度肉体はリンクしているが、それ以上に精神が統合されているため、精神的な疲れはどちらの世界でも大して変わらない。事実上、睡眠という欲求を剥奪されているようなものだ。ただ、向こうの世界で体は眠っているため、肉体的な疲労はなんだかんだでとれていく。取れたとしても、それが精神には一切関係ない。緊迫した毎日を過ごしていれば、精神はすり減るに決まっている。

 シャワーの水と共に一日分の汗が洗い出されている気がしなくもない。それでも、どこか、体の奥底に染みついた油と汗が次から次へとあふれ出てくる。気持ちが悪い。〈アリゲイル〉のオペレーターにはその特殊な事情から個人の部屋が当てられ、シャワールームすら与えられているが、それでも、体を洗う方法は限られる。目の前に無造作に置かれている石鹸はグリセリンをふんだんに使われたシンプルな石鹸が一つ置かれているだけだ。戦場で、ボディソープなんて言うぜいたく品は存在しない。買っておいてもいいのだろうが、荷物がかさばると考えると、非効率でしかない。

 ずっとシャワーを浴び続けるわけにもいかないので、ある程度して切り上げると、どこかすっきりとした気分になった。数着用意されている作業服にそでを通すと、そのまま部屋の外に出る。本来なら、そのまま〈アリゲイル〉の格納庫に行って、訓練の準備や整備なんかを行うべきだが、そのまま反対側に歩いて、彼女が時々来る、あの見晴らしのいいスポットへと向かうことにした。誰にも会いたくなかった、というのもあり、最初に思い浮かんだのが、そこしかないあたり、俺はこの要塞の中身のほとんどを知らないのだな、と理解せざる得なかった。おそらく、機密情報の扱い方としては正しいのだろう。各兵士には、必要最低限の情報で十分だ。Need to know、この原則がある限り、例え敵の捕虜となっても確たる情報は得られない。例えば、俺が今、まっすぐに外へと向かってはいるが、そのほかの通路を曲がったとしても、どこに何があるのか知ることはない。この基地のどこかに大佐の部屋や、歩兵部隊の隊長たちの部屋があるだろうさ、指揮所もどこかにあるのだろう。だが、俺は知らない。それほどまでにこの、ぜーロウ要塞の情報は隠匿されている。一度は失陥した土地のはずで、敵側もここらの地図や、この要塞の構造を把握しているはずだが、間違いなく作り替えられているだろう。まさしく迷路だ。誰もが目的地へと一直線に向かっていく。無駄はどこにもない。そこが一つの問題でもあるが、必要最低限しかこの要塞の内部を知らないために、それ以上のところへと向かうと、戻れなくなる可能性が出てくる。それに、適当にふらついて、MPなんかに見つかると怒られるだけでは済まされないだろうな。今頃全員訓練を開始しているだろうから、合わせる顔すらない。

 あまりにも重たい防火扉を手前に引くと、それまで密閉された空間に、一気に新鮮な空気が入り込んできた。しかし、その空気の中に何か、どんよりとしたものが混じっていることにすぐに気が付いてしまう。

 ゆっくりと体を外へと乗り出して、そのまま、重たい防火扉を閉める。

 最低限の安全性が確保されているこの場所は、前に、彼女と話していこう何度か、通っていた。訓練終わりの寝るまでのちょっとした時間を利用してここに来ていた。彼女もそれを見越してかその時間には決まって、煙草を吸ってまっていた。いろいろなことを話した。ほとんどが俺が現実と言っている世界について。

 ただ、今日は違った。いつもとは違う時間、さらに言えば、今頃仲間たちは訓練しているからだろうから、こっちに来ないだろう。

 そう考えると、何か異常なまでの孤独感と眩暈に襲われてしまう。人殺しという道徳的破綻。そしてそこから来る罪苦。道徳的真人間を自称するつもりはないが、しかし、多くの人はそういった、最低限の倫理を備えているだろう。

 でも、この景色から眺めていると、実は、自分含め、道徳的な人は、案外少ないのではないか、そんな気がしてならない。人が世界について語るとき、それは世界について語っていない。どこまで行っても、自分が見る、認識される世界でしかない。その裏側で、認識されていない、認識することは可能でも、それを選択的にしていない場所では、目の前で動く人の数の数千万倍存在する。彼らを指して、俺は、彼ら全員が道徳的な人と言えるだろうか。その数千万倍の人たちが皆不道徳者とは言えないが、しかし、道徳者とも言えないだろうに。そう考えると、道徳的な人はおそらくほとんどいないのかもしれない。もしかしたら、道徳というのは、その時々の「言い訳」としてしか機能していないのかもしれない。

 そこまで考えて俺は首を横に振る。

 これこそ、俺にとっての「言い訳」となってしまう。

 道徳的な人は、その道徳性ゆえに、人たりえるのなら、不道徳な存在者は、人ではない。だから、殺してもいい。

 そんな論理の破綻をふんだんに入れ込んだ「言い訳」が頭の中で構成されていく。

 俺が殺した人が、不道徳な存在者だと言える根拠などあるものか。俺が撃った人の中で、もしかしたら、誰もまだ殺したことのない人もいたのかもしれない。死という誰にも等しくやってくる、この世の中で唯一平等な現象。その死に方には千差万別はあれど、死という現象そのものは避けることはない。そんな死を与えたことのない人もいたのではないのだろうか。武器を手に取ってしまった者たちはその瞬間、死を覚悟しなければならないだろうが、それはただ、与える側の境地であって、奪われる側ではないだろう。誰も、死ぬために戦場に行く人なんて、ほとんどいないだろう。

「だから?」

 急に後ろから話しかけられて、俺はびっくりしてしまう。心臓が跳ね上がり、そのまま、柵から落ちそうになるが、どうやらそれはただの錯覚だったようだ。

「だから、何? 戦場に出たからには、奪い、奪われる場です。兵士とは、そういうものです」

 そういって、俺が、誰かを認識する前に、いや、誰かはわかっているが、俺の孟獲が彼女を捉える前に、俺をひっぱたく。

 いつの間にか、俺は口に出していたのだろう。思考とはそういう物なのかもしれない。一気に俺は孤独から引き戻される。

「だから、なんだというのですか? あなたはもうすでに、武器を手に取り、引き金を引いた人間です。私はね、今日、君に、選択を与えに来ました」

「選択?」

 太陽の陰に入った彼女は深々とかぶった軍帽と元から黒い軍服が相まって影が人の形をかたどったように見えてしまう。

「ええ、選択。今日、訓練を受けないのは別にかまいません。もとより、昨日の戦闘に参加した隊員には一日休むように言伝ていますから。

 君には二つの選択肢があります。一つ、もう、これ以上戦わない。すべてを投げ捨てて、いつ終わるかもわからない戦争の中で、ただひたすらに逃げ惑うだけ。次に目を覚ましたら、もしかしたら、すでに敵地になっているかもしれないなか、ただ、死を待つだけ。

 二つ、このまま戦い続ける。生かし、殺し続けたぶん、自分がどこかで死ぬまで。勝つまで。負けるまで。敵も味方もすべての魂を背負って生き続ける。

 どっちにする? 逃げる? 戦う?」

 俺は自分の拳を力を込めて握ってしまう。ふつふつとその要求に怒りがわいてくる。この理不尽な要求。でも、その要求が本当はこの戦場では一切理不尽ではなく、むしろ、向き合うべき業なのだと、理解してしまう。

「卑怯だな……」

「ふふ、卑怯ですか。そうですね、卑怯なら、卑怯らしくこの選択を迫ります。もう、わかっているのでしょ?」

 俺はつい、顔を背けてしまう。わかっている。後者を選ばなければならない。逃げられない。ここで逃げてしまえば、俺は多分もう二度と何にも立ち向かえない。多分、人が行うことの中で、最も重いことを行い、それに対する態度を示さなくてはならない。その選択を迫られている。彼女の目にはどうしてもこう言っているようにしか見えない。戦士なら立ち向かえ。そうとしか思えない。

「俺にはもう、引き金を引き続けるしかない、と?」

「そうはいっていないよ。でも、君はもう引き金を引いてしまった人だよ。私も、あなたも、あなたの仲間も、ここにいる人たちも、みんな、戦争で、戦場で、引き金を仕方ないと言って引いた人たちなんだよ。その、罪からは逃れられないよ。影と同じだよ。ずっと付きまとってくる。さて、もう一度聞くよ。君は、影から勝てない勝負を挑む? それとも、それがそこにあるように、それと向き合う?」

 壁にもたれかかっていた彼女は、俺の方に向きなおして、帽子の奥から鋭く俺を見つめる。とても静かだった。空気が止まり、ただゆっくりと雲が流れていく。この刹那の間に俺の思考はぐるぐると同じところをめぐり続ける。

「向き合うことが、贖罪だと、大佐はそう言いたいんですね」

「そう。君にとっての贖罪。この経験はね、誰もが味わうわけじゃない。天性の才能を持った殺し屋はこの、命の重みを理解しない。でも、君は違うでしょ? 赤い血を流す魂を持った人を撃つことの重みを君は知った。ドリーマーの特徴の一つにね、この重みを理解しない人たちが多いんだよ。初めて会ったときに言ったよね? ここは、リアルなのか、アンリアルなのか。ドリーマーが戦い続けるのか。彼らはその罪の重みを知りながら、リアルから切り離そうとする。これまでに来たドリーマーが〈アリゲイル〉に乗れなくなる理由はここにあるよ」

「罪に耐え切れなくなる。精神の摩耗ですか?」

 彼女は首を縦に振る。

「そう、精神の摩耗。精神は人間が思うほどに強くない。使えば摩耗する。でも、君も多分理解しているように、君たちは寝るたびに、ここにやってきて、そして、寝るたびに向こうへと帰る。リアルの連続。精神が休まることなく、戦場に出続ける。ロードス軍もそれは重々承知しています。でも、彼らも君達ドリーマーをアンリアルな存在と見ている。じゃなかったら、リアルとアンリアルの違いを設ける必要はないよ」

「じゃあ、俺がここで、もう一度立ち向かうことを選んだ時、俺は軍に使いつぶされる、ということなんですね」

 軍隊とはそういう物だろう。彼らにとって、敵も、俺たちドリーマーも、異界の存在でしかない。皮肉なものだ。彼らは異界者との戦争に、ここに元からいる人たちだけで戦いたいだろう。

「あなたが、これから軍人でいるのなら。でも、ただ、使いつぶさないように、あなた方にはそれ相応の階級を与えます。おそらく、大尉に昇格するでしょう。前線指揮官として活動してもらいます。後々部隊編成も決定するでしょう。あなたにはその素質が、能力があると考えています。さて、どうしますか?」

 目深くかぶった帽子を軽く持ち上げて彼女はもうすでに答えがわかっているかのよにニッと笑って見せた。すでに見透かされていることが分かって腹立たしくもあり、俺の覚悟もその程度だと思い知らされた。

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悪夢の最果てで、私はあなたを待つ。 初瀬みちる @Shokun

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