「オシカツ」ってなんなのよ?

緋雪

「オシカツ」?

 夕飯の支度をしていると、次女の真美まみが帰ってきた。スマホで誰かと喋りながら。ぽいっと鞄をソファの上に置いて、冷蔵庫から冷えたコーヒー牛乳を手に取り、ストローを刺して一口飲んで、またソファに座って話している。


「あはは。バカじゃん、そいつー。え?え?誰推しだったの?うぇー。マジで?あはははは。そんなんまでいくー。やっば!」


…さっきからずっと聞いてるけど、宇宙人語だらけで、解読不能。どうでもいいけど、部屋で話しなさいよ。うるさいし。着替えてきて、手伝おうかという気にはならないの、あんたは、もう。


 身振り手振りで、制服を着替えてこいと伝える。

「はいはい。んーん。こっちのはいはい。うちのママンヌがお着替えしてこいってー。部屋行くわ。いやいやいや、フランス?貴族だわ。あはははは。」


しばらくして、真美が、ドンドンドンドンと二階から降りてきた。手には相変わらずスマホを持ったままだが、宇宙人との交信は終わったらしい。


「ママンヌ、あたしのカフェラテどこやった?」

「コーヒー牛乳?」

「か、ふぇ、ら、て。コーヒー牛乳とか、銭湯ですか。」

いや、思いっきりコーヒー牛乳って書いてあったけどね、さっきのパックに。

「冷蔵庫にもどしたんじゃない?」

「ははは。あったわ。ちゃんとしてんじゃん、あたし。」


「あんたさぁ、電話しながら帰ってくるのやめなさい。お隣とかに丸聞こえでしょ?電話一回切って、帰って、ちゃんと着替えてから…」

「ねえ、ママンヌ、誰推し?」

真美の耳は時々一方通行になる。

「え?何よそれ?」

「いや、だから、誰推してんの?」

「押す?誰も押してないけど?」

なんなのよ?どういう意味よ?私が誰を押すの?何のために?


「大体ねえ、『ママンヌ』って何なの?ちゃんと『お母さん』って呼びなさい。誰かに聞かれたら恥ずかしいでしょ。」

「なんで〜?いいじゃん、『ママンヌ』可愛いじゃん。フランス貴族っぽくて〜。」


 全く、どう育てたら、こんなに馬鹿みたいな子ができるのかしら。

「ユリは?」

「『お姉ちゃん』くらいつけなさいよ。バイトお休みって言ってたから、もう帰ってくるんじゃない?」

そう言っている所へ、長女のユリが帰ってきた。

 ユリは、真美と違って大人しい子だ。成績もずっといい。そんな一見全く正反対の姉妹は、実は物凄く仲がいい。


「ユリおかえり〜。ね、ね、ね、ユリ、ユリ、ユリ、ちょっと待ってて、待っててね!」

真実がまたドンドンドンと自分の部屋に行き、ドドドドドッと降りてきた。片手に何か持っている。

「ユリにプレゼントがありま〜す。」

派手に声をあげる真美とは正反対に、

「何?プレゼント?」

落ち着いた声で返すユリ。

「じゃじゃーん。」

「あ~っ!!カルルンのティッシュケースじゃん!!えー、ヤバいー。どうしたのー?どこで手に入れたー?」

「ふふふ。友達がさ、抽選で当たったんだってー。だけどその子、別の子推しなんだよねー。で、いらんわ。っていうからさ、あー、まてまて、それ、うちの姉ちゃんの推しだからちょうだい、ちょうだい。ってもらってきた。」

「うわ〜、真美、ありがとー。ヤバっ。可愛い〜。ヤバいね〜。」


…料理をしながら、後ろで真美が増えたかと思った。


 二人に食事をテーブルに運ばせながら、真美がユリにプレゼントした物を見る。クマのような狸のような、猫のような、白くて丸いキャラクターの、もこもこしたボックスティッシュカバー。そう言えば、ユリの部屋は、このキャラクターだらけだ。

「ユリはこのキャラクターが好きなのねえ。」

私が言うと、ユリが答える前に、

「これはぁ、サプリメイツシリーズの、カルルンね。ユリはカルルン推しなのさ。紗絵羅さえらはパオラ推しだから、要らんって言うからさ、もらってきたんだよね〜。」

「へぇ。紗絵羅ちゃんって子、パオラ推しなんだ。パオラ可愛いよね~。」

「ね〜。」


 全く、全く話が見えないのは、私だけかしら?もう高校生の話なんかについていける歳でもないか。

 そう思っていると、夫が帰ってきた。

「おかえりなさい。随分早いわね、今日は。」

「ああ、近所のお客さんとこで終わりだったから、直帰させてもらったんだ。」

「丁度よかったわ。これからご飯にしようと思って。用意するわね。」

「ああ、頼む。」

そう言うと、夫は娘たちのところへ行く。


「賑やかだな。今日のテーマはなんですか、お嬢様たち。」

「パパンヌ、先に着替えてきなよー。怪獣ママンヌに怒られるから。」

「はいはい、了解。」

 

「ねえ、パパンヌの推しって誰?誰?」

自分から着替えてこいと言いながら、引き止める真美。

「推し…ねえ。」

「お父さん、何気にアイドル好きだったりするよね?」

ユリが言うと、真美が手を叩いて、

「好き、好き〜!」

大笑いしている。

 え?なに?アイドル好きだったの?知らなかった。え?知らなかったの、私だけ?

「『りずみんぐ』好きだよね?ね、誰推し?誰推し?」

「みーちゃんだよね?」

ユリが笑って言うと、

「えー、何でわかったの?参ったなぁ。」

と、夫は照れくさそうに笑った。


 「りずみんぐ」?娘くらいの歳の子ばっかりのアイドルグループだったような…。「みーちゃん」?あの中で個人を識別できてる時点でびっくりだわ。何?それを押す?オススメってこと?謎だ。


「ね、ね、パパンヌ、今度、みーちゃんのクリアファイル買ってきてあげるからさ、それに書類入れて行けばいいじゃん。」

真美のとんでもない提案。

「契約してくれなくなるぞ。」

「あはははは。逆に『いやぁ、山崎さん、みーちゃん推しですかぁ、私は、のんのん推しでして。まあまあ、座ってお茶でも。』って、契約に繋がるかもよ?」

ユリまで一緒になって、お父さんをからかっている。


「まあ、みーちゃんクリアファイルは、遠慮しとくよ。」

「え〜。推し活しようよ〜。一緒に〜。」

「あはは。ママンヌビーム受けないうちに、着替えてくるから。」


 皆で食卓についた。

 相変わらず、キャアキャア言って笑いながら食べる真美。それに普通に受け答えして笑っているユリ。それをニコニコ見ている夫。


 …なんだろう、この疎外感。

「よし!」私は決心する。


「ねえ、『オシ』って何?」


ほんのちょっと間があって、ユリが言う。

「あれ?お母さん、知らなかったの?ワイドショーとか観て知ってるのかと思ってた。」

「ママンヌ、ワイドショー観てない観てない。取り溜めしたドラマ観まくってるから。」

「あー、それでか。」

お父さんまで。


「『推し』っていうのは、応援してる人とかキャラクターとかのことを言うんだよ。お気に入り、みたいな感じでも使われてるのかな。僕もなんとなくしかわかってないけどね。」

夫が説明してくれる。

「そうそう。それで、そのキャラクターの物を集めたり、アイドルのグッズ集めたり、会いに行ったり、みたいなのが『推し活』ね。タレント、歌手、モデルに俳優さん、二次元の人にいたるまで、『推し』の対象って広いのよ。」

ユリも説明してくれる。


「ね、ね、それでさ、ママンヌは『推し』いないの?」

「そんな…特別誰っていうのはないかなぁ。」

「『ワンモアキッス』とかうちらと一緒に観てるじゃん?誰が一番好き??」

「ワンモアキッス」というのは、娘たちがよく観ている、綺麗で可愛いモデルの子ばかりの、トークバラエティ番組。

「え?女の子でもいいの?んー、でも、特にこの子が、とかは、ねえ。」

チラッと、夫の方を見ると、彼は何か言いたそうにニヤニヤしている。


「えー、そしたらママンヌはさぁ、好きな芸能人とかいないわけ?」

そこで、ついに、夫が笑いだした。

「何?どうしたの?」

娘二人が、夫の方を見た。

「お母さんにはねえ、昔、すっごい憧れてた女優さんとモデルさんがいたの。」

「ちょっと、あなた、やめて!」

止めようとする私をチラッと見て夫は言った。


「『赤井真美』さんっていう女優さんとね、『高倉ユリ』さんっていうモデルさん。」


真美とユリは大爆笑して喜んだ。

「最強の『推し活』じゃん!!」

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「オシカツ」ってなんなのよ? 緋雪 @hiyuki0714

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