推死

lampsprout

推死

『……あー、今日も彼のために生きてたなー私。来週はライブ、生配信、それで来月はCDにBlu-ray、新グッズも出るはずだわ』


 若い女性が自室でパソコンの画面を眺めている。深夜の薄暗い部屋に浮かび上がるのは、眉目秀麗な男性アイドルの写真だった。

 風呂上がりの火照った頬は、彼を見つめて更に紅潮した。明るく染められた長髪から、水滴がポタリポタリと落ちている。


『他の趣味なんてなんにも要らない、オシャレだって彼に会うときだけでいいんだから』


 壁を埋め尽くすポスターに、何枚も購入しファイリングしてあるブロマイド。小綺麗なワンルームには、彼女自身に関する持ち物がほとんど置かれていない。


『仕事なんて彼に捧げるお金が得られるなら何でもいい。……家具も食事も、全部ついでなの』


 上司のセクハラや向いていないセールストークのストレスも、然程彼女の気には障らなかった。何故なら、お金は彼のために必要だからだ。


『……皆に愛される彼、皆を愛する彼。眺めているだけでいいのよ。このままずっと、幸せそうな姿を見られるのなら』


 ――そんなある日、いつもと同じようにネットニュースを漁る彼女は突如表情を変える。

 推している彼の熱愛報道。相手は特に美人と評判の読者モデルだった。

 ウェブサイトのコメント欄が祝福の言葉で溢れ返るなか、彼女の心中は荒れ狂っていた。


『……なんで、どうしてよ』

『皆の彼でしょ、永遠のアイドルでしょ』

『私のものなのに』

『何も無くなる、私は、何のために……!』


 その報道は彼女を狂わせた。彼が決定的に変わってしまう。目の前が真っ暗になった。

 彼女は、いつかこうなった日には祝福できると思っていた。彼の全てを、ただ純粋に愛しているつもりだった。

 ――にもかかわらず、知らないうちに何かの方向性を間違えていた。自身の立場を履き違えていた。

 暗晦に呑まれて、彼女は呪い始める。そして部屋で1人何度も叫んだ。


『……誰かのものになるくらいなら、死んじゃえ……!!』



 ◇◇◇◇



 数週間経った頃、彼女は一向に更新されない彼のSNSを不審そうに睨んでいた。ネットニュースの記事を読んだ日から、一度も新しい投稿がされていない。

 そのとき、突然1編の文章がアップロードされる。

 半月程の失踪、飛び降り、遺体の発見。失踪中の足取りは未だ完全に不明。

 スクロールしていけば、マネージャーの名前が最後に記されていた。


『なんでよっ、何よこの投稿』


 考えもしていなかった記述に、軽い目眩を覚える。どうしてこんなことに。


『私のせい……?』


 そんなはずはないと思いつつ、自身の恨みを込めた叫びに疑念が向かう。


『そんなつもりじゃ、なかったのに……!』


 世間を騒がせる飛び降り自殺。動機は不明。湖に飛び込んだ彼の水死体は、とある老人が見つけていた。

 スマートフォンの通知が煩い。全てあの事件を報じるものだ。

 彼女はニュースアプリの通知などオンにしていなかった。だというのにしつこいほど鳴り響く、マナーモードのヴァイブレーション。虫の羽音に聞こえて気分が悪い。

 全てが彼女を責め立てているようだった。

 交換したばかりの電球がチカチカと明滅する。

 勝手に起動したメモ帳アプリに、あの言葉が打ち込まれていく。

 死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ……

 畳み掛ける異常な出来事に、彼女は堪えきれない様子で叫び声を上げた。俯く背後には、水も滴る淡い人影。


『……どうしてよ。私は、どうすれば良かったの……!』


 終わりの見えない狂乱に、掠れた呟きが吐き出された。震える手が伸ばされていくのは、小さなペン立て。


『もういい、彼のいない世界なんて……もう知らない……』


 ――そして、部屋はただ1色に塗り潰されたのだった。

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