英雄はなぜ死んだ?

棚霧書生

英雄はなぜ死んだ?

「天使を屠ることのできる剣と悪魔を屠ることのできる剣のどちらをも持つ英雄がいた」

 突然よくわからない語りを始めた先輩に僕は大したリアクションもせず、紙パックのいちごミルクをストローでチューチューとしていた。

「英雄は人間であった。度重なる善行の積み重ねとたゆまぬ神への信仰によって、この二つの剣を神から賜った」

 僕は割と初期設定が雑じゃないかと先輩の話に対して思った。が、とりあえずまだ最初なので口は出さないでおく。

「英雄は人々の役に立ちたいと強く思っていた。だがら、神から賜った天使を屠る剣と悪魔を屠る剣は自分のためでなく人々のために使うことにした」

 先輩はスラスラと話を続ける。もしかしたら、自主練習をしてきたのかもしれない。先輩は変なところで真面目な人だから。

「天使と悪魔を屠らなければいけないのは、どんなときか! 知っているだろうか、聴衆の皆さま方?」

 先輩が目を輝かせて聞いてくる。聴衆の皆さま方なんて言うが、我らが落語研究会に貸し与えられた狭い教室には僕と先輩のふたりきりなので、必然的に聴衆というのは僕しかありえない。

「えーと……、人間が死ぬときッスかね」

 答えるのはクソだるかったが、先輩は無視されると落ち込むタイプなので渋々、適当な回答を繕った。

「そのとおり! 生きている間、善行を積んだ者は死ぬ間際、天使様が迎えにやってくる。そして、天国に導かれるわけだ。逆に悪いことをしたやつのもとには悪魔が来て地獄へと連れて行かれる」

 先輩は身振り手振りを交えながら得意げに語る。

「はあ……、それで続きは?」

 まあまあ、そんなに急かさなくても今から話すよ、と先輩はうざったらしい表情で語りを続ける。

「英雄は人から頼まれれば、天使でも悪魔でも神から与えられた剣で切りつけた。まだ死にたくない。たとえ天国だとしても慣れ親しんだ現世を離れたくないという人はそれなりにいる。むろん、地獄になど絶対に行きたくというものは大勢いた」

「使者をヤッちまえば死ななくて済むってことですか?」

「そうだとも! だから、英雄のもとには連日、多くの人々が押しかけた。庶民も貴族も王様も、死なないためにどんなに遠くからでも英雄を訪ねてきた」

 死ぬはずのやつらが死なないって、超高齢社会まっしぐらだな。そういえば4限目に取っている現代社会論は今日、小テストがあるんだった。先輩の話が終わったら、ノートを見返して復習でもするか。あれ……、レポートの提出っていつまでだったかな。うわぁ、気になる。今日ではなかったと思うけど。今、スマホを出してスケジュール帳見るのはマズイか?

 僕は先輩の話にまったく集中していなかった。めちゃくちゃ他所事を考えていた。そして、

「〜で、あるからして! 英雄は死んでしまったのだ!」

「えっ?」

「どうだ、面白かったか?」

「えー、あー、……はい。いいと思います」

 いつの間にか先輩の話が終わってしまっていた。

「ハッハッハ! そうだろう、そうだろう!」

 先輩が嬉しそうに笑う。ついでに先輩は話を聞いてくれたからということで今から僕に昼を奢ってくれるらしい。

 マズイ。このままでは、僕が話を聞いていなかったことが先輩にバレてしまうかもしれない。

 僕は内心ビビっていたが、次の先輩の言葉でその心配は要らなくなった。

「この話のポイントは、1つ英雄が人間であること、2つ英雄は自分が善行を積んでいると思っていること、3つ天使を屠る剣と悪魔を屠る剣は同時には使えないことにある! いやぁ、この設定を思いつくのに苦心したよ」

「……あっ! そうですよね、よく思いついたなって僕も思います。やっぱり先輩はすごいです!」

「ふふん! 褒めてもランチしか奢らんぞ!」

 僕は上機嫌の先輩と食堂に向かう。それにしても、単純な話で助かった。わからないままだったら少し困ったことになっていただろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

英雄はなぜ死んだ? 棚霧書生 @katagiri_8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説