トランス・ゼロ外伝 1 昔の話

久木戸 ロラン

昔の話

 甲高い金属音と共に、少年は尻餅をついた。

「痛って……」

 少年の剣を弾いて転ばせた年嵩としかさの男は、剣のみねを肩に担いで片頬で笑う。

「そろそろ降参か?」

「いいえ!」

 少年は跳ね起き、金眼をすがめて黒髪をうるさそうに掻き遣った。拾った片手剣を両手で構える。十を二つ越えただけの彼の膂力りょりょくでは、まだ長剣を使うことができない。

 男は愉快そうに笑み、長剣を片手で構えた。加齢から元からの色なのか、灰白かいはく色の髪は短く刈り込まれ、姿勢のいい立ち姿は武人然としている。日に焼けた左頬には目尻から口元にかけて薄い傷跡があった。

 呼吸を三つ数えたくらいで、男が誘うように切っ先を揺らす。

「どうした、怖気づいたか。どこからでもかかってこい」

「―――…行きます」

 心外だとでもいうように微かに眉を寄せて呟いた少年は、鋭い呼気と共に地を蹴った。

 距離を詰め、身長差を利用した下段からの斬撃を、男は手首を返しただけで弾いた。よろめいた少年はなんとか踏み留まり、同時に突きを繰り出すが、剣の腹で受け止められる。少年はすぐさま剣を引き、正面から二合。重心の移動で退くと見せかけて、踏み込んで真横にいだところで、男が意外そうに眉を上げる。

 僅かでも不意を突けたのであれば好機と見て、少年は身体を沈め、伸びあがるようにして斬り上げる。

 半歩引いた男は両手に持ち替えてそれを受け流した。少年は飛び退って間合いを取り、詰めていた息を吐きだす。

 肩で息をする少年を見た男は、嬉し気に笑んだ。

「俺に両手を使わせるとは腕を上げたな、ディゼルト」

 ディゼルトと呼ばれた少年は、ぱっと顔を輝かせる。しかし、すぐにかぶりを振った。

「いいえ、まだまだです。セギン様のようになるには、もっと……」

「そりゃ、俺はおまえの四倍近く生きてるんだぞ。今抜かれたら立つ瀬がない」

「申し訳ありません、口が過ぎました」

 慌てて頭を下げると、セギンは苦笑めいた表情になって剣を下ろす。

「別に謝ることじゃない。十年後には抜かれてるだろうしな」

「……十年で足りるでしょうか」

「それはディゼルト次第だな。―――構えろ。特別に、少しだけ本気を見せてやる」

 言いながらセギンが剣を鞘に納めた。ディゼルトは頷き、剣を正眼に構える。

「絶対に動くなよ」

 柄に手をかけて半身を引き、腰を落としたセギンは刹那、静止する。

雷槍らいそう!」

 裂帛れっぱくの気合と共に抜き放たれた刃が、雷光を帯びて伸びたようにディゼルトには感じられた。反射的に動く間もなく、雷の刃はディゼルトの剣に当たって弾ける。

「……っ」

 思わずへたり込むと、歩み寄ってきたセギンにくしゃくしゃと頭を撫でられた。

「よく避けなかったな。偉いぞ」

「は、はい……」

 避けなかったのではなく、避けられなかったのだということは、胸中で呟くだけにする。差し出された手を借りて立ち上がり、まだ両手が痺れているような気がして、ディゼルトは拳を握った。

(すごい……)

 魔力を一点に集中させ、その上でディゼルトが受け止めきれる威力に加減するのは、相当な制御が必要だ。その境地に達するまでどれほどの修練を積めばいいのか、想像もつかない。

(さすが「雷帝らいてい」)

「さすがセギンしょうぐん!」

 胸中を読まれたような気がして飛んできた声の方向を見れば、金髪の幼子が転がるように駆けてくる。その後ろを追いかける侍女や護衛の姿を見て、ディゼルトは背に落としていたフードを被り直した。脇に避けてなるべく気配を消す。

 セギンは雷国らいこくノールレイの将軍だ。ここ、光国こうこくアルドラの国王と旧知の間柄であるため、第一王子アルクスの武芸指南役として、折に触れてアルドラ国を訪れる。今日のように時間があるときはディゼルトにも稽古をつけてくれるので、ディゼルトもセギンの来訪を密かに楽しみにしている。

 セギンは駆け寄ってくる子どもに笑みを向ける。 

「おお、アルクス殿下。もう今日の課題は終わったのか」

「おわりました! ぼくにもけいこをつけてください!」

 アルクスは何故か、両方の手に一振りずつ子供用の剣を持っていた。片手では持ち上げられないらしく、半ば引きずってしまっている。

「よし、じゃあ始めようか。……なんで二本持ってるんだ?」

「ゆうべよんだ本の主人公が、二本の方がつよそうって言ってました」

 アルクスはにこにこと、両手に持った剣を掲げて見せた。セギンは困ったような笑みを浮かべると、アルクスと目線を合わせるように屈む。

「二刀流か。たしかに、使いこなせれば強いけどな。アルクス殿下にはまだ早いな」

「どうしてですか? ぼくにもできます!」

「うーん、じゃあ、やってみるか?」

「はい!」

 セギンは稽古用の模造剣を、アルクスに合わせて構える。アルクスは右手の剣を、顔をしかめながら持ち上げた。

「く……えい!」

 振り下ろすと言うよりは、重力に従って落とされたような切っ先は、僅かにセギンの剣を掠めた。不満だったらしく、今度は左手の剣を持ち上げようとするアルクスを、セギンは慌てた様子で止める。

「そこまでだ、アルクス殿下。腕をいためてしまう。もう少し力をつけてからだな」

「……いいかんがえだと思ったのに」

 食い下がるかと思いきや、アルクスはあっさり諦めた。よほど剣が重かったらしい。アルクスが左手の剣を手放すと、侍従が音もなく寄ってきて素早く回収していく。

「よし、じゃあ……」

 セギンが何か言いかけたとき、伝令らしい衛兵が駆け寄ってきた。

「お話し中失礼いたします。……セギン閣下」

「なんだ? アルクス殿下、ちょっと待っててな」

 アルクスと少し距離を取り、衛兵に何事かを耳打ちされたセギンの表情が変わった。目を見開き、信じられないとでもいうように首を左右に振る。

(何かあったのかな……)

 いくつか言葉を交わした衛兵は、敬礼を残して走り去って行った。

 戻ってきたセギンは、片膝をついてアルクスと目を合わせると、神妙な表情で言う。

「すまない、アルクス殿下、ディゼルト。急用ができたのでこれで失礼する」

「ええ!?」

 声を上げたアルクスは、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。子ども用の剣の柄を両手で握りしめる。

「ぼくにも、けいこを……」

「悪い。また今度……あああ、泣くな。また必ずくるから。な? 約束する」

 目に涙をためたアルクスは、しかし、駄々をこねることなく頷いた。まだ五つなのに自制を身に着けた―――身につけざるを得ない境遇に、ディゼルトは少々気の毒になる。

 本当に緊急なのだろう、セギンはもう一度アルクスの頭を撫で、ディゼルトにも片手を挙げて足早に去っていった。それを見送ったアルクスは、両手でごしごしと目をこすり、ディゼルトを見上げた。

「じゃあ、ゼロ兄がおしえて!」

「え?」

 まさかこちらに矛先が向くとは思わず、ディゼルトは目を瞬いた。アルクスは無邪気にディゼルトの袖を引く。

「さっきまでセギンしょうぐんにおそわってたでしょ! おしえて!」

「あ、ああ……」

 ディゼルトとしてはいなやはない。しかし、侍従と侍女、護衛たちが、一様に忌まわしいものを見る目でディゼルトを見ている。アルクスに関わって欲しくないという彼らの気持ちがわかるディゼルトは、どうやって断ろうかとアルクスを見下ろした。

 すると、見かねたように侍女頭が進み出てくる。

「アルクス殿下、ディゼルトにはまだ剣術を指南できるような力量はございません。剣術はまたの機会にいたしましょう」

「ええー? せっかくべんきょうをおわらせたのに!」

「でしたら、リュングダール陛下とお話しするのはいかがですか。今の時間でしたら、議場にお移りになる前に、少しだけですがお会いできると思いますよ」

「ちちうえと!? 行く!」

 侍女頭に内心で感謝をしつつ、ディゼルトはそっとその場を離れた。理由わけあって、この城の人々はディゼルトには積極的に関わろうとしない。例外はアルクスや、リュングダールのような一部の人間だけだ。ディゼルトも事情を理解しているので、そのことに異議を唱えるつもりはない。

 ディゼルトは歩きながら意識して頭を切り替える。

(セギン様は大丈夫だろうか。ノールレイ国に何かあったのかな)

 アルクスとの約束を反故ほごにしてまで帰還せねばならないというのは、由々しき事態だろう。ノールレイ国に異変があったとしか思えない。

(おおごとでなければいいが……)



 ディゼルトの祈りは通じず、後日、雷国ノールレイからは悲報がもたらされる。

 スヴァルド帝国がノールレイ国の領土であるティゾル島に侵攻。ノールレイ国は防衛するも、戦闘によりティゾル島一帯は焦土と化した、と。



 了

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