青と白の剣

木々暦

青と白の剣

 慣れた道だからと、夜に出歩いたのが悪かった。

 ニヤついた野盗どもの顔と、月明かりを反射する刃に娘は肩を震わせた。


 荷物を差し出したところで、大人しく引くようなやからではない。とはいえこのままでは捕まって、女衒ぜげんに売り飛ばされてしまうだろう。


 娘はふところに手をやって、懐剣かいけんを握った。

 お守りのように持ち歩いているそれを、よもや使う事になろうとは。


 しかし相手は四人。

 ぐるりと取り囲まれたこの状況で、逃げおおせることが出来るかどうか。


 娘が覚悟を決め、ざり、と野盗の一人が一歩踏み出した、砂と草履ぞうりの擦れる音がした時だった。


「もし」


 夏の夜風よりも涼やかな、声がした。


 野盗どもが反射的に振り返る。

 先程まで気配の欠片も無かったその場所に、男が一人立っていた。


「お困りですか、娘さん」


 それ以外の何に見えると言うのか、随分と悠長ゆうちょうなことを言う男の声は若かった。


 三度笠さんどがさに夜の暗さも相まって、顔のほとんどどは伺い知ることが出来ない。わずかに見える口元は微笑んでいるのだろうか。


 見かけは侍というより浪人に近かったが、腰には二振りの刀を帯びていた。


「誰ぞ、貴様」


 声を詰まらせた娘より先に、野盗が脅すようにそう言った。

 容易に背後を取られた野盗どもは、あからさまにその剣士風の男を警戒していた。


 娘に向けられていた刀の切っ先が今度は剣士に向く。その瞬間に、娘は勇気を振り絞って叫んだ。


「お助け下さい、剣士さまッ!」

「娘ぇ!」


 一瞬、野盗の一人が怒りに任せて娘を振り返り怒鳴った、その瞬間。


 己から視線が外れたその隙をついて、剣士は大きく踏み込むと同時に抜刀した。


 姿勢は低く、空を翔ける程の速さで野盗に肉薄する。

 辛うじてその動きに反応した野盗が振り向いた時には既に遅く、その喉にぱっくりと開いた傷口から大量の血液が迸った。


「……ごッ⁉」


 流れる血を止めようと、己の喉に手をやるがそれも最早無駄なことだろう。


 膝をついた野盗を、血飛沫の届かぬ距離へと既に身を引いていた剣士は冷ややかな目で見下ろした。


 肩に峰を預けた彼の刀剣には、切っ先に僅かばかりの血痕があるばかりで刀身の殆どには一片の曇りもない。


「お怪我は?」


 無防備にも野盗どもから視線を外し、娘の身を案じる剣士に娘は首を振ることしか出来なかった。


「よろしい。目を閉じていなさい。直ぐに済みますから」


 喉をかき斬られた野盗は既に動かぬむくろとなっていたが、刀を構えぬまま流し目で残った野盗を見据える剣士に、人一人を殺めたという気概はなかった。


「てめぇ!」


 悪党にも悪党なりの仲間意識と情というものがあるのだろうか。真っ先に我に返った一人が怒りの形相ぎょうそうで大ぶりに斬りかかる。


 剣士は避けるでも受けるでもなく、大胆にその間合い、更にその奥へと踏み込んだ。


 零距離、間合いは……無い。


 刀は振れず、慌てて一歩後ずさろうとするその足に軽く足払いをかけただけで、野盗は容易に体勢を崩して背を地面にしたたか打ち付ける。


「ひッ……——」


 悲鳴を上げる間も無く、喉がかき斬られた。


 呆気あっけの無い。

 本当に呆気の無い死に様だった。


 何より不気味であったのは剣士の動きが一人目のそれと異なり、非常に緩やかだったことだ。


「来ますか?」


 何の気負いもなく、剣士は特に大柄な野盗の一人に尋ねた。


「無論」


 答えるや否や、野盗は太刀を振りかぶる。


 二人目と同じ上段からの振り下ろし。だが、その迫力たるや比べるべくもなく。

 ごうと剣圧は髪を浮かす程であった。


 ここで初めて、剣士は半身になってこれを避けた。

 地面を穿うがった太刀が巻き上げた小石や砂埃を、被った笠を傾けて防ぐ。


 あと一寸見誤みあやまれば、脳天から股下まで真っ二つになっていたであろう一撃をして、剣士は怯んだ様子を微塵みじんも見せはしなかった。


「これ程の腕があれば、野盗などせずとも道はあったでしょうに」

「知った口を」

「そうですか」


 剛剣の代償か、地面に深く埋まった太刀はこの剣士相手に引き抜く時間も与えられまい。


 ぱっと赤い飛沫が散る。


「……剣士さまッ!」


 娘の声が響いた瞬間、乾いた空気の音と共に何かがかさの端を射抜いた。


「……」


 剣士は無言でそちらを睨む。

 今の今まで腰を抜かしていた故に生きながらえていた四人目の野盗が、黒光りする短筒たんづつをこちらに向けていた。


 否、ただの短筒にしてはその形はやや複雑。単発式ではなく、恐らくは外津國とつくにから仕入れた連発式。


 愚かなことだ。


 大方どこかの商人から盗んだのであろう、少ない弾数たまかずを惜しんでかはしれないが、最初からそれを出していれば他の仲間ももう少し長生きできただろうに。


 すっかり腰が引けている様子の野盗に、剣士は真っすぐと向き合った。


懸命けんめいですね。その銃口、私以外に向けぬよう。その瞬間にお前のくびが飛ぶと知りなさい」


 一歩、踏み出すと同時に引き金が引かれた。


「ッ……!」


 驚くべき反応速度をもって、剣士は刀のつばに弾丸を当て、はじいた。


 手首に重い衝撃が響く、と同時に内心毒づく。


 今の衝撃で目釘めくぎかどこかがいかれたらしい、刃がぐらつく。近頃手入れを怠っていたツケをここで支払う事になろうとは、まったく予想外だった。


 次、弾丸だんがんを受ければ、刀は完全に駄目になるだろう。


 ため息でも吐きたい気分だった。

 だが、仕方がないものは仕方がない。


 剣士は腰に帯びた二本目の刀の柄に手をかけた。


 抜刀。


 抜き身となった二本目の刀身を目にして、野盗とそして言いつけを破ってこっそり戦いを覗き見ていた娘は目を丸くした。


 さやの長さを見れば脇差わきざしであろうと思われたそれには、


 元は打刀うちがたなほどの長さがあったのだろう。しかし今、その刀は半ばからぽっきりと折れていた。


 壊れかけと、壊れた刀の二刀流。


 だというのに、二本目を抜き放ったその瞬間から、剣士の放つ凄みはむしろ鋭さを増している。


 一呼吸。

 最高速で間合いを詰める。


 剣士の動き出しに遅れて、発砲音が轟いた。


 同時か音より早く、剣士は左手に握る壊れた刀を振るう。

 壊れた刀は正確にその刃で鉛玉の芯を捉え、あろうことか高速で飛翔するそれを真っ二つに斬り裂いた。


 振り切った刃には刃毀れの一つもなし。遣い手の力量もさることながら、並みの刀剣ならば弾丸を切り裂くより前に刀身が砕ける。


 その間、剣士は一切速度を緩めず。

 如何いかな外津國の火縄であれど、一発を防げば間合いに入るは難くない。地を蹴り飛ぶようにして距離を詰め、短筒を握る野盗の手首を右の刃で斬り飛ばした。


「ぎゃぁあああああっ‼」


 片手首を失った野盗が絶叫する。

 情けなくも地面を転げまわる野盗に、剣士は刀の切っ先を突き付けた。途端に野盗は命乞いを始める。


「……悪党の命にかける情けなど持ち合わせてはいませんが、生憎こちらの刀は殺生の際には抜かぬと決めていましてね」


 ふらりと左手の刀を揺らし、剣士はそう言った。


「ただし、今後一切人道じんどうそむく行いはせぬと誓いなさい」


 そう言うと剣士は膝を折り、地面にへたり込む野盗の顔を覗き込む。


「もしもお前がその誓いを破った時、人の姿、獣の姿、あるいは飢えや病魔となってその償いをお前に迫るだろう。ゆめ忘れぬよう」


 野盗にのみ聞こえるよう、魑魅魍魎ちみもうりょうさえも肝を冷やすような低い声音でそう告げた。


 すくと立ち上がった剣士は、早く止血した方がいいですよと、先程とはまるで別人のような穏やかな声をしていた。


 く去りなさいという剣士の言葉に、野盗の生き残りは這う這うの体で逃げるように夜闇に消えていった。


 剣士は一振りで刀身の血を払うと二本の刀を鞘に納めながら娘の元へと歩み寄った。


「思いのほか待たせてしまって申し訳ない」

「い、いいえ! 助けて下さってなんとお礼を申し上げて良いか……」


 思いのほか元気そうな娘はもうすっかり目を開けていて、暗いとはいえ人の亡骸なきがらを前に肝の据わっているものだと剣士は苦笑した。

「急ぎでなければ用事は明日にした方が宜しいかと。家まで送りましょう」


 娘は少々上ずった声ではいっ、と返事した。




「お父ちゃん! 帰ったよぅ」


 娘の家が見えてくると、提灯を片手に家の前を行ったり来たりする逞しい腕の老人がいた。娘の父親らしかった。


 老人は駆け寄る娘をみるなり怒りとも安堵ともつかぬ百面相ひゃくめんそうを披露したが、何事か言おうと口を開いた時、娘の後ろを付いて歩く剣士の姿に気付き表情を正した。


 剣士の方も老人の姿を見止めると深く頭を下げる。

 娘だけが訳も分からずキョトンとしていた。


 家の中へと招き入れらえた剣士は、老人の前に脇差程の長さの鞘を持つ、例の刀を老人に差し出した。老人が刀を抜き、見分する。


「……これは、ただの刀ではありますまい」

「はい」

「……ふむ」


 しばらく双方の間に沈黙が漂った。

 ただならぬ空気に一人蚊帳の外の娘もまた、神妙な面持ちとなる。


「申し訳ありませぬ。娘の命の恩人の頼み、引き受けたいのは山々ですが儂の力量ではこの刀、直すことは出来ませぬ」


 そう、ですか、と呟く声は囁き程に小さく、落胆の影を孕んでいた。


「そんなお父ちゃん。恩人さんの頼みなんだからどうにかならないの? 折れた刀を打ち直すなんて、何度もやってるじゃないの」


 見かねた娘が口を挟むが、それを宥めたのは他でもない剣士だった。


「無理を言っているのはこちらです。どうかお気になさらず」


 笠を脱いだ剣士の顔は垂れ目がちで、それがどこか悲し気にうつった。


「他に当てはあるのですか」


 老人の問いに剣士は首を振る。


「いいえ、ここが頼みの綱でした」

「であるならば東に行けば良いやも知れませぬ。東で最も高い山には、山神に納める御神刀を打つ、巫鍛冶という者がいると聞きます。彼らならもしや……」


 剣士はその話を聞くと今にでもここを発とうと告げた。


「そんな、まだきちんとお礼もしていないのに」


 せめて一晩でもと娘は言い縋ったが、剣士は今の話を聞けただけで十分だと笑った。


「夜を恐れる身の上ではありません故」


 そう言って剣士は再び笠をかぶり、父娘に頭を下げると夜に紛れて消えていった。

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青と白の剣 木々暦 @kigireki818

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