ヒーロー強度
ゼフィガルド
お題『ヒーロー』
世界的な不況から始まった混迷は、人々を不安の渦へと叩き込んだ。相次ぐ治安の悪化に対し、人々は自分達で身を守るべく自警団を結成した。
法の裁きが届かぬ悪人達を私的に制裁する彼らを、人々はヒーローと呼ぶようになっていた。しかし、その名声にあやかろうとした有象無象が出現し、彼らは裁かれるべき犯罪者や悪党と変わらぬ立場へと追い込まれて行く。
「紛い物が増えすぎた。真にヒーローに相応しい人間が必要だ」
そう提言したのは古参ヒーローの小林だった。商業主義に取り込まれて行く現状を憂いた彼は、当初のヒーローの姿を取り戻すべく。原理主義者達による組織を作り上げていく。
「査定する際に用いるのが、我々が独自で作った指数。ヒーロー強度だ。ヒーローは何があっても揺らいではならない」
ヒーローの理念は明文化されていなかったが故に、社会に迎合的で妥協的な物へと染まって行った。一般人にも浸透し易い方面のヒーロー像が構築されて行く中、そのことに反目を覚える者が居た。
「穂村。また、バイトがトンだからその分の仕事をやっといてくれよ」
「分かりました」
中肉中背の中年は上司からの命令を拒む訳でもなく、黙々と仕事をこなしていた。特段早い訳でも無ければ、工夫がある訳でもない。バカにされる事も無いが、有難がられる事も無い。仕事が終われば、惣菜を買って帰る。
街灯のテレビには胸元が開けたコスチュームを装着したヒロインが悠々と綺麗事を話している様相が映し出されており、穂村は舌打ちをした。
「目立ちたがり屋の売女め」
世間では、彼女の様な存在がヒーローとして認識されている事に少なからずの憤りを覚えていた。いずれコンテンツとして消費された際には、容易くコスチュームも理念も脱ぎ捨てる事が予想出来た。
何よりも唾棄すべきは、こんな物が公共の電波に乗せられてヒーローとして取り扱われている事だった。
「(きっと奴らはレイプされた女を見た事も無ければ、頭を割られたホームレスの死体を見た事も無いんだろう。奴らが気にしているのはSNSの評判か。それとも給料か? 企業と提携したグッズのロイヤリティか?)」
苛立ちを募らせながら歩いていると、歩幅が大きくなっている事に気付いた。
この世界は自分を苛立たせる、偽物が溢れている。誰もがヒーローの価値を貶めている。そう思いながら歩いていると、彼の耳に飛び込んで来た者がある
「止めて」
「うるせぇ。騒ぐな」
街中の喧騒では死角になる様な場所。そこから漏れた声を聞きつけた先に居たのは、全裸の中学生程の男子に覆いかぶさる半裸の中年の姿だった。穂村の行動は早かった。
「なんだてめ」
手にしていた惣菜の入ったビニール袋を近くへと置いて駆けだした。握り固めた拳で顔面を打ち据え、バランスを崩した一瞬で金的を蹴り上げた。悶絶してのた打ち回っている所。その頭部と腹部を何度もストンピングした。
痙攣して動かなくなったのを確認した後、彼はバッグから拘束具を取り出して、縛り上げた。その鮮やかな一部始終を見ていた少年は呆然としていた。
「早く服を着て何処かに行け」
返事を待たずして立ち去ろうとしたが、少年は何時まで経っても座り込んでいた。そもそもの話、こんな時間帯に一人でいることが不自然だった。
「おい。お前、聞いているのか」
「帰る所なんて。何処にもない」
直ぐにその場を去っても良かったが、結果的に助けた相手に何かがあれば寝覚めも悪い。その場で着替える様に促すと、少年は制服に着替えた。各所に汚れやほつれ以外にも、切り傷など。彼の境遇が垣間見える跡が残って居た。
「親は何処だ」
「そこ」
指差した先には拘束されている全裸の男性が居た。念のために持ち物を調べ、二人の身分証を見比べれば。その名字は合致していた。目を覆いたくなる現実だった。
「コイツを表に放り出しておく。後は警察にでも行け。身の振り方は教えてくれる」
表通りに全裸の変態を放り出し、惣菜の入った袋を手に取り。帰路に就いた穂村であったが、その後ろには先程の男子中学生がピッタリと着いて来ていた。
新手の美人局かとも考えたが、それならむしろ望む所でもあった。悪党を招き入れたが最後、先と同じ鉄槌を下すのみ。あるいは自分を逮捕しようと画策しているかもしれないが、妄言だけで動くほど昨今の警察も暇ではない。
「(誰が来ようが関係ない)」
そして、穂村達はアパートへと帰って来た。だが、鍵をかけていたハズの部屋には住人がいた。ファッション性の欠片も無く、身体の保護と正体の隠匿性にのみに機能を割いたコスチュームを着こんだ男。ヒーロー原理主義者の第一人者小林の姿があった。
「穂村。後ろのガキはなんだ」
「勝手について来た。何の用だ?」
「空きが出来た。ヒーロー強度次点のお前を誘いに来たんだ」
小林がリモコンを操作するとテレビにはニュースが流れた。とある男性が反社会団体の拠点に押し入り、構成員と組長。それと愛人を皆殺しにしたという。
「崎田か。先日、一人娘を強姦されて、殺されたと聞いていたが」
「たかが肉親を殺された程度で憎悪に駆られるアイツはヒーローに相応しくない。何があっても、揺ぎ無い信念を持つ者こそがヒーロー足り得るのだ。穂村、お前にはその資格がある」
「お前が呼びたければ勝手に呼べ。俺は勝手に続ける」
去り際に少年の方を一瞥して、小林は静かに出て行った。惣菜を電子レンジに入れ、炊飯器から米を装った。少年は何も言わずにいたが、彼の体調を訴える様にしてグゥと腹の音が鳴った。
腹を空かした人の前で飯を食う事に気が咎めたのか、穂村は少年の分も飯を盛った。箸を手渡した時の握り方を見て、彼は代わりにフォークを取り出した。
「あ、ありがとう」
茶碗に盛られた米には粘性も光沢も無く、嫌な臭いが漂っていた。口にしてみれば美味くないことも分かったが、それを有難く食していた。
「お前。これからどうするんだ」
「学校も行けない。どうしたら良いか分からない」
「俺も分からない」
穂村には学も無ければ、金もない。あるのは薄暗く燃える正義感だけだった。盗まれる金も無いと考えての事か、追い出す様な真似もしなかった。
唯一の娯楽とも言えるのはテレビか中古本の小説位だったが、少年は熱心にそれらを眺めていた。
「お前、名前は」
「……薫」
女性の様な名前だと思った。しかし、その身目は確かに女性と見間違わんばかりの中性的な物だった。幼さの残る顔立ちに肉付きの良い肢体、大人になるまでの過渡期を体現した造詣を見れば、間違いを起こす者が居る事も想像は出来たが、その相手が肉親だというのはあまりにも質の悪いジョークだった。
「食ったら寝ろ」
分かったとだけ呟き、22時を過ぎる頃には彼は寝付いていた。
彼が寝るのを見計らって、穂村はタンスから衣服を取り出していた。重量の感のあるコートに、顔を隠すことが目的のラバーマスク。鉄板の仕込まれたブーツに厚手の革手袋。それが彼の仕事着だった。
玄関を施錠して出て行く彼と顔合わせをする住民はいない。街が寝静まり返った頃に悪党が湧くというのが、彼の経験則だった。
「(気持ちが良い)」
憎悪にも近しい信念が体内から自分をチリチリと焼いている様だった。不快感にも近い緊張感が心地よかった。
眠ることも知らずに煌々と輝く街明かりの中、誘蛾灯に群がる虫達が暗闇に潜って行く様を付けるのが好きだった。
「そ、そんな。あんなお通しで3万円なんて。おかしいだろ!」
「払ってくれなきゃ、こっちだって考えが」
男は最後まで言葉を発することは無かった。助走を付けた穂村に後頭部を殴られて、前のめりに倒れたからだ。
付き人の男の反応は早く、スイッチブレイドの刃を開くと同時に躊躇いもなく喉元を突き刺そうとしたが、ナイフを持った手を捻り上げて奪うと同時に相手の太腿へと突き刺した。
「ッ!」
しかし、男も荒事には慣れているのか。直ぐに冷静さを取り戻して殴り合いへと移行した。互いに腹部へ、顔面へ、拳による応酬が行われ、その間に強請られていた男は逃げ出していた。
衝撃を吸収するコートに鉄板を仕込んだ革手袋やブーツ。その仕込みが差を分けたのか、最終的に付き人の男は顔面に幾つもの青痣を作り、腫れ上がらせ、口から血と泡を吹いて倒れた。
「ハァ。ハァ」
穂村もまた肩で息をしながら二人を拘束して、表へと放り出していた。
狩るべき悪はまだまだいる。ラバーマスクの下で獰猛な笑みを浮かべながら、穂村は血の混じった唾を吐き出して、静かに狂った夜の街を闊歩していた。
レイプ犯が居れば、汚らしい肉棒を割いた。麻薬の売人が居れば徹底的に打ちのめした。その報復として銃撃もされたが、返り討ちにしていた。
「嗚呼。穂村、お前は実に素晴らしい。ヒーローはそうでなくては」
自警活動に興じていると、先程ぶりの小林が居た。彼の手袋もまたむせ返る様な血と吐しゃ物の混じった臭いがしており、彼もまた一仕事後なのだと分かった。
「見返りは心の充足一つで十分だ」
「そうだ。そうじゃなくちゃいけない。見返りを求める様なヒーローはクズだ」
合流した二人はその拳と信念を持って犯罪者達を打ち据えていた。その時間は二人を心の底から満たしてくれた。
~~
「おじさん。この間、出ていたヒロインの人。週刊誌にすっぱ抜かれたって」
「セックスにかまけているからだ」
薫が転がり込んできてから数日。彼は逃げもしなければ、恩を返す様な真似もせず。ただ、穀潰しの様に住み着いていた。
穂村も追い出す様な真似はしなかった。そんな彼を面白がるようにして、薫は覆い被さったり、隙を見せたりして来た。その度に、年頃の男子の臭いが穂村を刺激したが、唾棄すべきことだと吐き捨てていた。
「穂村。聞け、この地域を荒らしている連中のアジトが分かった」
そんな一時を中断させるようにして参上した小林の口調は苛立った物だった。穂村が何をしているのかを知っていた薫は引き止める真似もせずに見送った。
そして、説明された通り。アジトへと向かった穂村はそこで違和感を覚えた。自分達を迎え撃つ構成員の数があまりにも少ない事に気付いたのだ。そのことについてボスに問い詰めると、満身創痍ながらも満面の笑みを浮かべていた。
「間抜けなヒーロー共め。お前のことを知らないと思っていたのか。知っているぞ。最近、お前がガキを飼い始めたことを」
「だからどうした?」
「俺の手下達がお前のアパートに詰めかけている。ガキを殺されたくなければ、俺を見逃せ」
「悪党の要求に応える訳が無いだろう」
以前ならば、躊躇わずに拳を振り下ろしていたハズだというのに。穂村は小林の腕を掴んで止めていた。
「止めろ」
「何の真似だ。君もヒーローだろう? すべきことは分かっているハズだ」
既にこの近隣で何件もの事件が起き、多くの人達を不幸にしていた。そんな悪党を見逃す理由が無い筈だというのに。
「止めろ」
「情に流されるな。信念を貫け。一人に惑わされるな」
呼吸が荒くなる。ただの居候、偶々同じ時間を過ごして飯を食っただけの間柄。特別に庇護する理由も無い筈だというのに、心がそれを拒んでいた。
「それでもだ」
「このクズめ。アイツのせいでお前は堕したんだ」
小林は躊躇することなくボスを気絶させた。それと同時に彼の胸ポケットに入っていた無線の電源が切れた。穂村は踵を返して、自宅へと戻った。
アパートの扉はこじ開けられ、室内は荒らされていた。だが、そこに薫の姿は無かった。道中で出くわした構成員達を殴り倒し、時には尋問をしながら辿り着いた先に彼は居た。
「おじさん」
衣服や顔に切り刻まれた後はあった物の命に別状は無さそうだった。その時、安堵すると同時に。彼の中でガラガラと音を立てて何かが崩れ去って行った。
「薫。俺はどうやら、ヒーローじゃなかったらしい」
「ううん。僕だけの」
翌朝。穂村は職場に辞職を申し出て、アパートを引き払った。大家からは煙たがられたが、もう2度と戻って来る事は無いだろう。
「おじさん。コートの方は?」
「もう必要ない」
衣服と僅かながらの金銭。それに加えて、余計に抱えた人間性を持って彼はこの地を後にした。その様子を眺めながら小林は溜息を吐いた。
「つまらない弱さばかり抱えやがって」
彼の視線の先。そこには、正義に身を投じる義憤の有志の姿は無く。悪から逃げ果せようとする人間の姿があった。
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