犬豪!! MUSASHI★<接触篇>

gaction9969

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「それがし名を『ムサシ』と申す……以後お見知りおきをお頼み申す所存にてござそうろぅ……ッ!!」

「えっと」


 年明けと共に体に感じる風の冷たさが増すように感じるのは、僕が中学受験を控えた受験生だからだろうか。三が日だけは流石に休みだったけど、その間に出された課題テキストはとても質の良い問題すなわちねっちりとしたいやらしい難しさを醸すものたちばかりであってそれに時間が取られて休み気分の欠片の一部分も味わえなかった。今日もみっちり二枠授業の後で、中三日しか無かったのに実力テストと来た。そんなにも頻繁に実力を測られても。突き付けられても。自分から言い出したことではあったけど、大変。大変、脳と身体に来るよ。


 急発達した低気圧が冬型の気圧配置を呼び寄せて、僕と同じく塾帰りと思われる駅へと向かう一団の背中をさらに丸ませているように見える。それにしても寒い。心も? 心も勿論寒い。算数大問まるまる一個落としちゃったもんなぁぁあ……


 ここ最近、直近のテストの点数という数値の多寡でしか僕という存在を感知してくれなくなっているような、母さんの怒るほどに冷静に無表情になる佇まいを思い浮かべて、また体感寒さがギアを一つ飛ばしでキツくなっていく。リトルリーグでもここまで頑張って九番ライトのレギュラーを張ってたけどもう限界かな受験との二刀流は……


 とか、ぐずぐずにヘコまされた状態で最寄り駅からとぼとぼと、お腹は減りまくってたからちょっと寄り道してPASMOを使ってファミチキを買いつつ、いつもこの時間レジにいるベトナムの人だと思うけど凄い丁寧に接してくれて要らないのにウェットおしぼりをいつも笑顔で渡してくれるヅオンさんという店員さんに徒歩七分ぶんの力をもらった僕が何とか辿り着いた自分ちのちゃちいアルミ製の門というか柵を力無く引き開けた、まさにのその時だったわけで。


「いや、え?」


 ふいに掛けられた声は張りのあるバリトンだったから。僕はてっきり父さん関係の人なのかなとか思って右手の方を振り向くけどそこにいたのは。


「……」


 柴犬だった。いや、より正確に言うと柴犬のような何かだった。赤茶色の毛並み。ぴんと立った三角の両耳、つぶらな瞳は艶やかに僕の方に向けられているようで、よく濡れた鼻に上がった口角は笑っているかのように見えるけど、二本足で立っている姿はどう見ても自然体で、それはいい姿勢で佇んでいて。身体には何だろう足軽とかがよく着ているイメージの胴体部だけを覆う黒い鎧のようなものだけを身に着けている。うぅん地歴の勉強のし過ぎかなぁけったいなものが視え始めてきちゃったよ今日はもう予習はやめて早く寝てしまおう……


 と僕がノーリアクトのまま家の敷地内に入ろうとしたその、


 刹那、だった……


「あいや待たれい、それがし怪しい者ではござらんよ。坊……怖がらずに、ささ、ずずいとこちらへ」


 九割九分がた怪しい者が放つだろうそんな台詞に、僕は今更ながら総毛立つ。何だろう、手の込んだVRかなぁでもハァハァ息荒く出し始めたピンクの舌先からは白い湯気が寒空向けて立ち昇っているよリアルになったもんだなぁ……


「あ、ちょっと僕あれなんで」


 とにかくこの場を辞することが最善と全細胞で感知した僕は曖昧な言葉を発しつつも、手は素早く門を半開させつつ身体は横滑りに隙間から入ろうとするけど。


「……」


 相手は無言でそして結構な勢いで一緒に入ろうとしてきた。ので丁重に両手を使って押し出すことに努める。掌に感じるのはごわごわとしたこわい体毛であって、その感触からもこれが現実であることを滲ませてくるようで。いやそんなことを思ってる場合でも無くて。


「ちょっ!? 何で入ってくるの、ダメだってばッ!!」

「いいから!! いいから!!」


 何がいいのか全然分からなかった僕は、漫画で読んだだけの知識ながらもひとり練習が功を奏したのか、前方に勢いよく蹴り上げた右脚を引き戻す動作の間に、相手の短い両脚をまとめて大外刈ると、仰向けで宙に完全に浮いたかたちになった小さい身体を優しくアスファルトの地べたに置くように押し付けるのだけれど。一瞬の、いやな沈黙。


「……」


 完全に負けを認めてしまったかのような遠い目を一瞬すると、真顔で上体を起こしたその柴犬然とした輩はまるで今から腹でも召すかのように姿勢を正してどうやってるのか分からないけど綺麗に正座をする。そして、


「それがしはただ、坊に剣術の手ほどきでも、と思ってお待ち申し上げていただけでござる」


 世の中には呼吸をするように嘘をつく人間がいるから気を付けろ、との父さんの言葉が甦るけど、所作は人間ながら様態が完全に柴犬であるところのこの目の前の御仁は果たして何なんでござろうか、と僕も言葉が天保寄りになってしまう。


 それよりも、


「その背中のって……」


 小さな背中から突き出ていたのは、二本の木の枝らしきものだったけど、これって……


「不覚にも武士の魂を『ここ』へと飛ばされてきた時に失っていたため、やむを得ず木剣を現地調達した寸法。不本意ながらこれらにてお相手つかまつろう……」


 いやいや。


「これ駅前の桜の木の奴だよね? ダメだよ折っちゃあッ!! 怒られるって!!」


 僕の剣幕に何事かを悟ったか、急に犬らしく小首を傾げてワフ? とか言ってくるけど。あーあー。


「とにかく家では飼えないから。もう猫がいるし。よそを当たってもらえると……」


 これ以上関わり合いになるのはまずいと僕の脊髄が信号を飛ばしてくるので、相手を刺激しないようさらに丁重な言葉と共に後ろ手で門を再び開けるとお尻の方からねじ込むようにして自分の身体を押し込んでいくけど。それを察してまた性懲りもなく僕の脇の隙間に鼻をねじ込みつつ必死で入ろうとしてくる。


「言葉は何でか分からないけど通じてたよね!? ウチは、無理ッ!!」

「さきっぽ!! さきっぽだけでいいから!!」


 ワケ分からないことを興奮気味にまくし立ててくるので、僕はこれも齧った知識ではあったけど相手の隙だらけの下半身に狙いを瞬時に定めると、軽く屈み込んでその短い左脚を左手で内側から抱え込むようにして朽木倒す。またしても無防備なヘソ天体勢の真顔で固まる御仁だったけれど、今度は蹲踞の姿勢に直ると、かっきとその黒いつぶらな瞳で見据えてきた。


「では、無粋なれど改めて問おうッ!! それがしの名は『ムサシ』ッ!! そして? 貴殿の家で飼われている猫の名は!? 名は如何にッ!?」


 ええー、もしかして下調べとかしてた? もうハンザイな匂いが立ち込めてき過ぎてるよ勘弁してよ……それでもこちらが何か応えなければそのままここを動きませぬぞみたいなタチの悪い居座った瞳をしていたから思わず言葉が出てしまう。


「いや、『コジロー』だけど……」


 途端に、勝ち誇ったかのような会心の笑みを見せる御仁だけれど、それほどのドヤ感がそこにあるとは思えないんだよなぁ……


「犬と猫の二刀流……それもまた粋でござろうよ……」


 白い息と共に放たれてくるスカスカする台詞のような言葉に、今度は僕が真顔になりながら佇んでいると。


「ちょっと、チラチラさっきから目障り」


 上の姉ちゃんだ。玄関口から顔だけ出して鬱陶しそうに言ってくる。玄関のライトがさっきから人感センサーで点いたり消えたりしてたもんね……あ、もう姉ちゃんに一一〇番を頼もうかな……とか思って後ろを向いたけどその瞬間、なぜか鼻息が一段荒くなった御仁が最大級の胆力をもってして僕を乗り越えて家に入ろうとしてくるよ何なのまったくぅ……


「SDGsだから!! SDGsだから!!」

「く、くさッ!! 二か月は洗ってない犬の臭いがするッ!!」


 人の顔にまたぐらを擦り付けながら乗り越えようとしてくる御仁の、興奮のせいで跳ねる両脚を両手で掴むと、庭の芝生へと雑にちょっと強めに振り下ろし叩きつける。沈黙。


「……」


 諸々悟ったからか、両前脚を身体の前で垂れさせ、服従のポーズをしてくるけど。


「……入れてやれば? 得体は知れないけど見た目は柴犬なんだから、いろいろとえそうな画が撮れそう」


 姉ちゃんあなたの謎の包容力も得体が知れないよ。でもさらに諸々悟ったかに見える御仁がまた小首を傾げてワフ? をやって来るわけで。


 うぅぅん、その無駄にしゅっとした鼻っ柱を殴りてぇえええ……


(終)

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