芋焼酎とおはぎ

一帆

芋焼酎とおはぎ

「ふあぁぁぁぁ……。ひまだなぁ……」


 亜希の隣で『愛はソルロンタン』という韓国ドラマを見ていたりんが机に突っ伏しながらつぶやいた。

 

 ―― 高校生にもなって、なんで毎日のようにここにきてぐだぐだしているんだ?


 俺は、眉間にしわをよせてりんを見た。頭を小突きたいが、俺にはその肉体はない。そう、俺はお盆に里帰りしている幽霊だ。

 なにかを感じ取ったのか、りんが首をかしげながら、頭を触っている。


 ―― もっと、しゃきっとしろ! しゃきっと!!


 亜希はふふふっと小さく笑うと、手に持っていたテレビのリモコンをぱちんと消した。


 ―― おい! 亜希! 俺はまだ見ている! このあと、あいつが告白して振られる場面じゃないか! 俺は見たい!!


 今年、お盆に里帰りしてから何度も見せられている『愛はソルロンタン』。もうストーリーは頭に入っている。このあとの展開は、亜希の推しているユンが演じる青年が告白するが振られるのだ。その理由がわからず、青年は苦悩するのだ。


 この後の展開が好きな俺の抗議の声は二人には届かない。机の上に無造作に置かれているテレビのリモコンを押してもテレビに電源ははいらず、仏壇横の盆提灯がチカチカと瞬くだけだ。


「そうかい? それじゃあ、ひとつ、手伝ってもらおうか……」

「何? 何するの?? 」


 りんが顔をあげて、期待をこめた目をして亜希を見る。


「おじいちゃんがあの世に帰るまでにおはぎを作ってあげようと思ってねぇ、小豆を買っておいたんだよ」

「えー。おばあちゃん、昨日、三原堂のおはぎを買ってきたばかりじゃん?」


 昨日三原堂のおはぎを買ってきたりんが少しばかり非難めいた声をあげる。


「三原堂のおはぎはおいしいけどねぇ、やっぱり、私が作らないと、おじいちゃん、すねちゃうからね……」


 亜希はよっこらしょと言いながら、テーブルに手をついて立ち上がろうとした。少しばかり亜希がよろめく。そんな亜希の腕を支えながら、「そうなの?」とりんが聞いた。


 ―― そんなことはないぞ! 


「そうだよ。昔ねえ……、戦地に行ったはずのおじいちゃんが内地の病院送りになったというから、死にそうなのかと思って、あちこちに頭をさげて、お米とお砂糖を交換してもらって、おじいちゃんの好物のおはぎを作って持って行ったんだよ。そしたらね、おじいちゃん、おはぎをぜーんぶ食べちゃったんだ。…りん、小豆の袋はその棚の中。あずきは潰さないようにさっと洗っておくれ」


 亜希に言われて、りんは小豆を袋から出すと、小豆をザルに入れ、ボウルに重ねて流水で洗い出した。水道の流れる音が心地いい。


「ぜーんぶ? 死にそうなのに?」

「そうなんだよ。重箱に入っていた十個もあったおはぎをぜーんぶだよ! 一つくらい私に残しておいてくれてもよかったのにねぇ……」


 戦時中、おはぎなんて甘いものは口にできなかったし、亜希が苦労して砂糖を集めたんだと思うと、もったいなさすぎて残すなんて考えは思いつかなかった。亜希が食べたかったことに今更気がついて、俺はがっくりと肩を落とした。

 

「……それでね、病院送りの理由をよくよく聞いたら、隠れて作った濁酒どぶろくを飲みすぎて具合が悪くなったんだって、ほんとうにしょうがない人だよ。あ、洗い終わったら、なべに入れて、水も入れてね」


 亜希がふふふっと笑いながら、りんに指示をだした。


 ―― 亜希! それは違う!!


 俺は、声にならない声で抗議をする。確かに、酒は大好きだが、俺は濁酒を作っていない! 宿舎にいた奴が隠れて作っていたんだ。そいつが戦死して、それで……弔いのつもりで、仲間で飲んだんだ。もうそいつの顔を思い出すことはできないが、あの時のひどい味を思い出し、俺の鼻の奥がツンとする。

  

 俺の感傷を無視するように、亜希とりんは笑いながら、小豆を洗うのをやめて、小豆を鍋にいれている。豆が鍋にぶつかる軽い音が部屋に広がる。生きているときは、気にも留めていなかった音のひとつひとつが心に響く。


「ん? 水ってこのくらい?」

「ああ。そうだね。そのくらいでいいかな。あとは、中火で15分くらい煮ておくれ」

「おっけー。おばあちゃんは椅子に座ってみててよ。今年は、私が作ってみる! おじいちゃん、驚くかなあ??」


 ―― 見ているから、驚かないぞ。でもな、亜希の作るおはぎにかなうとは思うなよ。


 あのときのおはぎの味が俺の舌の上によみがえる。あれは、俺が生きている中で一番うまかった。ふいに、その言葉を亜希にちゃんと伝えなかったことを思い出した。

 ―― 俺もいろいろ足りなかった。すまない。亜希。


 ぐつぐつと小豆が煮える音がする。


「……、まあ、心臓が弱いっていうのに本当にお酒が好きな人だったからねぇ……。最期も酔っ払いが路上で寝ているって通報されて……」


 あの日は確かに寒かった。あの場にいた人たちも寒いからって気を使って、俺の好きな芋焼酎を出してくれたんだ。その気持ちがうれしくて、コップ一杯だけ飲んだんだ。家まですぐだから大丈夫だって思っていた。なのに……、角を曲がって、家の前のライラックの木が見えたとたん、心臓が暴れたんだ。家にたどり着けなかったのは、ある意味天罰だったのだろうか……。


「おじいちゃんって、おはぎ大好きなのにお酒も好きだったの?」

「そうよ。お酒は五島列島酒造の芋焼酎をお湯割りで飲むのが好きでね。おつまみはおはぎやら大福やらやたら甘いものばかりだったねえ」

「それって、おじいちゃんって二刀流だったんだ!」

「二刀流?」

「うん! お酒と甘味が好きな人のことを二刀流っていうんでしょ?」

「ああ、そうだったね……。二刀流だね。おじいちゃんはいろんな意味で二刀流だったよ……りん、もう、火を止めて、小豆をザルにあげておくれ」

「こう?」

「そうそう、上出来じゃないか。あとは、水を変えて小豆が煮えるまでじっくりに煮ておくれ。火は弱めで、小豆は踊らないように」

「はあ――い」


 ぷつぷつと小豆が煮える小さな音が部屋に広がる。亜希とりんは、学校のことやら有希の話をしている。俺は、小豆の煮える音にうつらうつらとしながら、忘れていた亜希との思い出を夢に見ていた。



「おじいさん、りんが作ってくれたおはぎですよ」


 大きさも形もばらばらなおはぎが4つお皿の上に乗っていた。


 俺の前には、俺の好きな芋焼酎がコップに半分くらい継がれている。芋のにおい。アルコールのにおい。そして、小豆のにおい……。小豆の雑味と少し塩がつよい。


―― まだまだだな。お前の作るおはぎにはかなわない。


「…………、おじいさんには申し訳ないのだけど、もうおはぎを作るのはおっくうなんですよ」


 亜希がおはぎを眺めながらぽつりとつぶやいた。その声はやけに弱弱しく、年老いて聞こえた。


―― お前。もう疲れたのなら、俺の手をとれ。あの世もそれほど悪いところではない。


 俺は亜希のほうに手を伸ばそうとするが、本当に亜希を連れて行っていいのか? 本当に? ともう一人の俺が俺に問いただす。手をこまねいて亜希をみていると、少しずつ、いびつなおはぎを見ていた亜希の眼に、ゆっくりと生きる力が戻ってくる。


「……、でもね、りんは私がいないとまだまだダメですからね……。有希はあんな性格ですから、りんを守ってやれるのは私しかいませんからね。おじいさんには申し訳ないけど、もう少しこっちの世界で頑張りますわ」


 ―― ああ。構わない。構わないとも。


 俺は亜希を死に誘わなくてよかったと、大きく息をはいた。



おしまい





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

芋焼酎とおはぎ 一帆 @kazuho21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ