第964話 胸がドキドキする男 2

(前回からの続き)


 さて、検査は血管造影室アンギオしつで行われる。

 が、オレの目の前に見覚えのある後ろ姿が……

 脳外科外来の通院患者だ。


 彼も血管造影検査アンギオを受けるのか!

 確かこの人は90歳になるはず。

 オレが同じ立場にある事に愕然とした。



 右手首に局所麻酔薬が注射されカテーテルが挿入される。

 台に寝かされているオレの目にも頭上のモニターがよく見えた。


 プルルルル。


 そんな音とともに造影剤が注入され、モニターに冠動脈が写った。

 一拍おいてから全身が温かくなる。


「9番だ、9番だ!」


 造影している術者の叫ぶ声が聞こえてきた。

 オレの目にも狭窄している冠動脈が見える。


 が、狭窄部位は9番だけではなかった。

 枝分かれしている本幹の方である6番も狭窄していたのだ。

 特に目立つのがその2ヶ所というだけで、冠動脈のあちこちに軽い狭窄がある。

 まさしく90歳相当の血管だった。


 こうして検査自体は無事に終わった。


 次は治療について考えなくてはならない。

 治療は大きく分けて3つの方法がある。


 薬でしのぐ内科的治療。

 カテーテルを通して金属のステントで狭窄部を拡張させる血管内治療。

 開胸して自らの血管を冠動脈に吻合する外科的治療。

 

 開胸手術は余程の事がない限り選択肢に入らない。

 そうすると内科的治療を取るか血管内治療を取るか?

 再び決断するまで1ヶ月を要した。


 オレは自分が医師であるがために色々な事を見聞みききしている。

 その昔に勤務していた病院で最初の血管内治療が行われた時のこと。

 冠動脈が解離を起こしたか何かで患者は死亡してしまった。


 大昔の事だけど記憶にこびりついて離れない経験だ。

 術者の腕もデバイスも大きく進歩している現在、同じような事があるにしても確率ははるかに少ないはず。


 現代医学の進歩を信じてオレは血管内治療を受ける事にした。

 検査ではなく治療なので、より太い大腿動脈からカテーテルを挿入する。

 局所麻酔だから一部始終を目撃する事になるだろう。


 果たしてとどこおりなく終わるのか。



 それにしても30代にして胆嚢摘出。

 40代で冠動脈治療って。

 このペースで行けばオレの寿命は50代で終わりじゃないか。


 酒やタバコをやっている70代や80代の患者が沢山いる中。

 どっちもやらないオレの方が先に天国に行くというのも釈然としない話だ。


 相変わらず眠れないとか腰が痛いとか言ってくる外来患者たちにオレは怒鳴ってやりたかった。


「眠れなくても死なないでしょ!」

「腰が痛いからって、もう十分に生きたじゃないですか」

「貴方たちの生活は私の健康の犠牲の上に成り立っているんですよ」


 本当にそう言ったりしたらおそらくはクレームだらけになるだろう。

 でも、いくら文句を言われてもオレは平気だ。

 炎上する頃には声の聴こえない遠くに行ってしまっているんだから。

 本気でそう思った。


 この時に気づいたのは……

 医師が患者より健康である、というのが医療の前提になっているということだ。

 現実はそんな事は全くない。

 自分が診ている患者より先に死んでしまう医者なんかいくらでもいる。


 オレが患者に怒鳴らなかったのは人間が立派だったからではない。

 口に出して言ったら余計に腹が立つ事が分かっていたからだ。


 そういったオレの思いとは関係なく時は過ぎ、血管内治療の日がやってきた。


(次回に続く)


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