第963話 胸がドキドキする男 1

 その昔。

 新薬治験の研究会のために出張した。

 会場から宿泊先に戻るには20分ばかり歩かなくてはならない。


 そのくらいなら一気に歩けると思っていたら、なぜか途中で休憩が必要になる。

「雪も降っていたし、少しばかり寒いからかな」と、その時は勝手に納得した。


 しかしそれ以来、体調がおかしい。

 歩くと胸がドキドキするようになったのだ。

 正確に言えば心拍数が上昇する。

 休むと心拍数は元に戻った。

 決して胸が痛いとか締め付けられるとか、そんな感覚はない。


 階段を昇ってもすぐに心拍数が100を超える。

 が、止まっているとたちまち60台に戻った。


 で、あれこれ考えて自分なりに結論を出した。

 これは労作性狭心症ろうさせいきょうしんしょうではないか、と。


 狭心症は心臓に血液を供給する冠動脈かんどうみゃく狭窄きょうさくによって起こる。

 すなわち労作時ろうさに心臓が必要とする血液量が供給されないのだ。

 普通は心臓の血液が足りない場合には胸痛が起こる。

 が、なぜかオレの場合は胸痛が起こっていないみたいだ。


 いずれにせよこれは検査しなくてはならない。


 で、知り合いの循環器内科医に相談した。

 即座に負荷心電図が行われる。

 モニターを装着した状態でトレッドミルを歩き、それで心電図変化をみるものだ。


「ん-、負荷に応じて心拍数は増えるんだけど、ST-Tエスティーティー変化は見られないなあ。胸痛はありませんか?」

「ないですね、全く」

「労作性狭心症のうちの10%くらいは胸痛もST-T変化もないから、それかもしれんぞ、これは」

「僕はその10%に入っているんでしょうか」

「決着をつけるならやっぱり冠動脈造影アンギオが1番だけど」

「えっ?」


 冠動脈造影アンギオというのは大腿動脈から挿入したカテーテルの先端を心臓まで入れて造影剤を注入して写すというもの。

 あまり楽しい検査ではない。

 オレが医学部を卒業した頃は結構な確率で事故が起こったりしていた。


「まあ、冠動脈造影アンギオをするかどうか、よく考えてもらったらいいから」


 大変な事になってしまった。

 このオレが……冠動脈造影アンギオって。

 一体どんな罰ゲームなんだ。


 とはいえ、医学的に考えれば検査を受ける方がいいに決まっている。

 冠動脈造影で何かあればその治療、何もなければほかに原因を探す。

 単にそれだけの事。


 結局、検査をするまで1ヶ月かかった。

 その大半が決断に要した時間だ。


 検査したい旨を伝えると件の循環器内科医はあっさりオレに言った。


「冠動脈造影は毎日やっているから先生の都合のいい日時でやろう。だから前の日に入院してね」

「じゃあ〇月✕日の朝一番でお願いします」


 関係者一同の気力体力がみなぎっている朝一番が何かといいだろう、と思っての事。

 検査は何件も行われるから、あとになればなるほど予定がずれてしまう。

 脳外科でも脳血管造影アンギオを1日に何件も行うが、最後の症例が深夜に終わるという事も珍しくない。


 という事でオレは検査入院する事になってしまった。


(次回に続く)


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