第895話 1型糖尿病と戦う男 3

(前回からの続き)


 本来このシリーズは前回で終わるところだった。

 が、書いていて思い出したことがあるので、付け加えておきたい。


 どこで読んだのかは思い出せない。

 家庭医療のメーリングリストだったのではないかと思う。

 糖尿病に関するドラマだ。

 オレ自身のオリジナルではないので、あくまでもこの話のクレジットは御自身の経験を披露した内科の先生にある事を断っておく。


(★万一、読者の中に当事者の先生がおられたら名乗り出てください。お名前と出典を明記させていただきます)


 この話もまた記憶に頼って述べるので細部が違っていても御容赦いただきたい。


 その内科医はある時、高校生の長男、中学生の次男とともに山にキャンプに出かけたのだそうだ。

 途中、谷底で動けなくなっている登山客を発見した。

 聞けば糖尿病の持病があるという。

 ということは、高血糖か低血糖の可能性が高い。

 高血糖なら治療はインスリン、低血糖ならブドウ糖。

 だから血糖値によって治療は真逆まぎゃくになる。

 問題は山の中とて血糖値測定ができないことだ。

 患者本人によれば「低血糖症状の気がする」とのこと。


 ということで、血糖値測定なしでインスリンかブドウ糖の一方を選択する、という決断を迫られることになった。

 もし低血糖だったらインスリンを使うのは論外だ。

 首吊りの足を引っ張ることになる。

 また、何も治療せず低血糖状態を放置するのも脳に取返しのつかないダメージが残ってしまう。


 一方、高血糖ならたとえブドウ糖を投与して一時的に症状を悪化させたとしても後で何とかリカバリーショットを打つことができる。

 この先生も迷ったあげく、ブドウ糖を使用したのだそうだ。

 もちろん、医療機関のように50%ブドウ糖の静脈内注射を行うわけにはいかない。

 山の中だからジュースを飲ませたか何かしたのだろう。

 オレがその場にいたとしても低血糖を避けるために同じ事をしたはず。



 治療に悩む一方で、この先生は次男をふもとの村に行かせた。

 携帯電話が普及する以前のこと。

 応援を呼ぶためにはほかに方法はない。

 野生児の次男はたちまち飛び出していった。


 救急車の到着を待つ間、長男とともに谷底から車道に登山客を引っ張りあげる。

 ようやく到着した救急車に同乗して近くの病院に急いだ。

 果たして高血糖なのか低血糖なのか?

 親切で付き添ったというよりも、答え合わせをしたいという医師としての興味がまさったのだろう。


 で、検査結果は……高血糖だった。

 答えが分かってしまえば、ブドウ糖ではなくインスリン投与が正しかったということになる。

 しかし、高血糖よりも低血糖の方がはるかに恐ろしい。

 血糖測定ができない状況であればやはりブドウ糖投与を行うべきであろう。

 幸い、搬送先病院の医師も同じ意見で、あとの治療を快く引き受けてくれた。


 驚くべきは親子3人で力を合わせて人助けをした事の教育効果だ。

 その夜、キャンプをしながら星空の下、人の命の大切さや医師の仕事の素晴らしさを息子たちと語り明かしたとのこと。


 この話を読んだのは20年以上前のことではなかろうか。

 その後、この先生の長男や次男はどうしているのだろうか、と思う。

 キャンプでの出来事がきっかけになって医師になる事を志したのかもしれないし、また別の道に進んだのかもしれない。


 いずれにしても素晴らしい体験だったのは間違いない。


(「1型糖尿病と戦う男」シリーズ 完)

 

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