第892話 ハチロクに乗る女 3

(前回からの続き)


 さて、オレが乗っていた車にも触れなくてはならない。

 最初に走らせていたのは自宅にあった4ドアのカローラ。

 何の変哲もないファミリーカーだ。


 このカローラを雨の日のワインディングロードでドリフトさせていたのだから、今考えてみたら大馬鹿野郎だ。

 走らせている途中でコントロールを失ってしまった事もあるが、幸い道路から落ちることなくまってくれた。


 同級生たちがナントカGTだとかカントカターボだとかいういかつい車に乗り始めるとともに自分も速い車に乗りたくなった。

 でも家族で乗ることを考えると家の車は4ドアでなくてはならない。

 4ドアや5ドアで速い車を買おうとすると途轍とてつもなく値段が高くなってしまう。


 で、ある日のこと。

 良い事を思いついた。

 カローラとは別に自分用に2台目の車を買うことだ。

 そうなると車を選択する自由度が高くなる。

 でも速い車は高い。

 貧乏学生が買えるはずもない。


 悶々としていたある日の事。

 画期的な解決策を思いついた。

 RX7だ!


 わずか1,000キロそこそこのボディーにレシプロ換算で2,300ccのロータリーエンジンを積んだ純正スポーツカー。

 それでいて安い!

 「値段1万円あたりの馬力は文句なしに世界一」と半ばあきれられていたほどの動力性能。


 こいつの中古なら学生アルバイトでも何とかなる。

 ということで、日夜アルバイトに励み、中古車屋を巡り、ついに格安のRX-7を手に入れた。


 実際に乗ってみてどうだったのか?

 端的に言えば狂気の鉄の塊だった。

 2速で90キロ、3速で130キロに達する。

 ロータリーエンジンを回してもドラマは何もない。

 アクセルを踏んだら踏んだ分、ひたすら直線的に加速するのみ。


 今にして思えば、乗りこなすのが難しい車だったのかもしれない。

 加速はすごいが曲がらないしまらない、オレの腕では。

 

 それでも自分なりに手を加えた。

 プレーキパッドをフェロードに交換し、ブレーキフルードを沸点の高いものに入れ換え、タイヤをポテンザにえる。

 もう少しお金があればホイールもアルミにしたかった。

 鉄ホイールというのは放熱性が悪く、すぐにブレーキがかなくなってしまう。

 アルミホイールならもう少しブレーキがもつはず。

 でも高すぎて手が出なかった。


 今ほど情報入手が容易ではなかったため、車雑誌を読んでは自分なりに工夫をこらす毎日。

 この熱意を医学の勉強に注いでいたら、どれだけ立派な成績を取れたことだろうか。


 とはいえ、車バカはオレだけでなかった。

 ライセンス無しで走れるサーキットがあるという情報は仲間たちにとっても貴重なものだ。

 色々な知り合いをサーキットに連れていっては走り方を手ほどきし、激しく感謝された。


 1回きりの体験で満足する者もいればサーキットにかよい始めた者もいる。

 中には計測係としてついて行きながらも、自分で運転したくなった奴もいた。

 あきれた話だけど気持ちは分かる。


 お人好しのオーナーが自分の車をそいつに運転させてやった。

 持ち主に遠慮してそいつは終始3速で走っていたが、結構いいタイムを出していたのには驚かされた。


 とはいえ、借りた車でクラッシュしたら話にならない。

 だからオレが頼んだ計測係は運転免許証を持っていないクラスメートだった。

 こいつは日本医事新報の国家試験特集号を持参してきていたくらい車の運転には興味のない奴だ。

 だから行き帰りの車の中は国家試験問題の解き合いで頭が痛くなった。


 今になって思う事は色々ある。

 オレが本当に目指していたのは車のコントロールだったのではなかろうか。

 結果論だけどタイムはどうでも良かったということになる。


 これが本職のレーシングドライバーならタイムが全て。

 だから多少乗りにくくても速いことが正義だ。


 でもアマチュアドライバーにとっては各コーナーをイメージ通りにクリアしていく事が目標になる。

 だから計測係は必ずしも必要ではなかったわけだ。


 格闘技でいえば、ルール内での勝ち負けにこだわるよりも身体の使い方を追求するということだろう。



 それにしても「頭文字イニシャルD」を全巻読み終えた今なら、あのハチロクの彼女と話しても盛り上がるのではなかろうか。

 もう患者の名前も憶えていないけれど。


(「ハチロクに乗る女」シリーズ 完)


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