第891話 ハチロクに乗る女 2

(前回からの続き)


 オレは制限速度を遥かに超えたスピードで公道を走っていたものの、断じて暴走族ではない。

 車を自由自在に操りたい、そういう思いだけで走っていた。


 本来ならサーキットで走るべきだろう。

 でも近所にサーキットがなければ公道で練習せざるを得ない。

 結果として山中の曲がりくねったドライブウェイで何度も何度も練習することになった。


 全速力での上りをヒルクライム、下りをダウンヒルと呼ぶ。

 オレがやっていたのは自宅の裏にあったドライブウェイでのヒルクライムだ。

 候補となるドライブウェイは4本あったが、1本は道幅が狭く、1本は住宅地の中を通るルート、そして最後の1本はいささか遠かった。

 道幅が狭かったら対向車が来たときに避けられない。 

 また、いつ人が出てくるか分からない住宅地の中を飛ばすのも論外だ。

 結局、家から近くて道幅の広いドライブウェイに落ち着いた。


 殆ど車の走っていない朝5時頃から練習を開始する。

 とはいえ、対向車が来る可能性はゼロではない。

 だからオレなりに慎重に走った。


 万一ガードレールや側壁に衝突したら大変な事になる。

 実際、事故を起こしている車には何度も遭遇した。

 ファミリーカーもあれば、いかにも走り屋という車もあった。


 特に怖いのは冬だ。

 橋の上だけ路面が凍結していてハンドルを切っても曲がらない。

 で、橋を通りすぎた途端、「ガッ!」という手応えとともに前輪のグリップが戻り必要以上に車が曲がってしまう。

 そんな恐ろしい思いを何度もしながら、少しずつ経験を重ねた。


 そして時々はサーキットに出かける。

 やはり全開走行のためだけに存在するコースは格別だ。

 誰に遠慮することもなく常にフルスロットル。

 コーナーをイメージ通りの4輪ドリフトで抜けることが出来たときの喜びはこれ以上ないものがある。


 もちろん全てのコーナーで車を完全にコントロールできるわけもなく、うまく行ったと思えるコーナーは1周に1つ有るか無いか。

 それでも走るほど上手くなる実感があった。


 残念ながらいつまでも気楽な学生時代が続くわけもない。

 医師になるとともに自然に走る側から見る側になった。


 後年、職場の同僚が同じサーキットで走っていたことを知ったときは驚くとともに話が弾んだ。


「あそこの第2コーナーは続きの直線が上り坂なんで、進入速度よりも脱出速度をあげるべきですね」などと言われる。

「なるほど、だからあのコーナーでインを譲っても直線の途中で追いついてしまうのか!」と納得したものだ。


 「頭文字イニシャルD」の走り屋たちには到底及ばないが、オレなりに走った青春だった。


(次回に続く)

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