第886話 目の合った男

 彼とは高校の同級生。

 遠く離れた地方の医学部に進み、卒業してから地元に戻ってきた。

 今は親の後を継いで病院を経営している。

 趣味は武道で、中学から高校時代は柔道、その後は極真空手をしていた。


「色々と段を取るのが趣味になってしまって」


 柔道と極真空手で十分だと思っていたら、そんな事を言い始めた。


「日本拳法とか跆拳道テコンドーとか順にやって、大会にも出たりしていたんだ」

「で、今は何を?」

「最後に行きついたのは中国拳法だな」


 中国拳法といっても色々ある。

 そのうちの八卦掌はっけしょうといったか心意しんい六合りくごうけんといったか。

 奥の深さではピカ一なのだそうだ。

 

「試合をしたらどれが強いわけ?」


 オレはえて素人質問をしてみた。


「それはルール次第なんで。空手と跆拳道テコンドーは似ているけど、空手ルールでやれば空手が勝つだろうけど、跆拳道テコンドールールでは負けるだろうな」

「なるほど」

「それよりも面白いのは身体からだの使い方を工夫するという事かな」

「へえ、例えば?」

「相手と組んだ場合、関節を二次元平面内で動かそうとすると単なる力比べになってしまうんだけど」

「……」

「人間の脳ってのは三次元の動きには対応できないわけ」

「なるほど」

「俺はまだまだだけど、師匠はこの原理を利用して簡単に相手を投げ飛ばしてしまうから驚くよ」


 一子相伝いっしそうでんとか「見て盗め」とかいうのではいつまでも東洋の神秘で終わってしまう。

 練習次第で誰でも使えるようになる技術でなければ意味がない、というのが彼の意見だ。

 西洋医学を学んだ人間なら誰でも同じような考え方になるはず。


「身体の使い方だけでなく、心の使い方ってのも重要だ」

「心の使い方?」

「格闘技ってのは身体の戦いであるとともに、心の戦いでもあるわけ」

「なんとなく言いたいことは分るよ。たとえばフェイントに引っ掛からないようにするとか」

「そうそう! 要するに相手の心を読むってことだな」


 オレは以前から持っていた疑問をぶつけた。


「武道を極めたら動物の心も読めるのか?」

「駄目だ、動物ってのは余計な事を考えたりしないから」


 まるで動物と戦った事のあるような確信を持った言い方だ。


「前にさあ、道を歩いていたら向こうから犬がやってきたんだ」


 ひょっとして犬と戦ったのか?


「そう思ったら実はオスのイノシシで」

「デカい奴か?」

「俺と同じくらいの体重かな」

「おいおい」

「ふと目が合ってしまったんだ」


 白昼、道でイノシシと出くわすって、一体どういう状況?


「そいつ立ち止まりやがって」

「こっちを認識したって事か」

「もし突進してきたら横にかわすしかないけど」

「それができるとしても1回か2回までだろう」


 猪突猛進ってやつだ。

 おそらくイノシシは直線的にしか動けないはず。

 とはいえ、躱すといっても限度があるだろう。


「こいつには絶対に勝てないと思ったね、あの時は。全身から汗が噴き出したよ」


 全部足したら十何段持っている武道の達人でも勝てないのか。


「素人考えで申し訳ないけど、そいつがオスならワンチャンあるんじゃないかな」

「おお?」

「イノシシを後ろから見たら股の間にぶらさがっているからさ。それを蹴ったらどうかな」

「確かに! 急所を蹴られた痛さはちょっとやそっとじゃないからな。相手がイノシシといえども男同士分かりあえそうだな、ガッハッハ!」


 とはいえ、中途半端に蹴ったら火に油を注ぐことになりかねない。

 第一、突進するイノシシの後ろからどうやって股間を蹴るのか。

 きっと至難の業だろう。


 幸いな事に、イノシシはこちらに興味がなくなったのか、そのまま行ってしまったのだそうだ。



(読者の皆様、夏休みで数日間旅行に出かけます。その間も出先から毎日更新を心掛けますが、どうしても小ネタ中心になってしまう事をお許しください)



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