第883話 息の切れる女

 総合診療科外来を受診したのは30代女性

 息が切れる、頭痛がある、汗をかく、というもの。


 本人は以前に鉄欠乏性貧血と診断された。

 その症状が再び出たので、たぶん今回も同じだろうとのこと。


 ちなみに鉄欠乏性貧血というのは文字通り体内に鉄が不足しているために起こった貧血だ。

 人間の血液の中にはヘモグロビンという蛋白質があり、その中心に鉄があって酸素を結合する役割を果たしている。

 したがって鉄が足りないとヘモグロビンを作る材料が不足し、結果として貧血となる。


 若い女性の場合、生理による出血があるため、常に貧血と隣り合わせだ。

 だから、ちょっとしたキッカケで鉄欠乏性貧血となる。


 治療は鉄剤の補充だ。

 ところが経口鉄剤はのみにくい。

 人によっては不味まずくて口に合わない事もある。


 今回の患者も経口鉄剤は勘弁してくれとのこと。


 そこで点滴による鉄剤の補充を行うことにした。

 薬剤名はフェジンという。


 こいつを1週間空けて2回点滴すると、すっかり良くなった。

 数値だけでなく症状も。


 で、半年後。

 再び、同じような症状で彼女はオレの外来を受診した。

 鉄欠乏性貧血かと思って検査を行ったがヘモグロビンは十分にある。

 血清鉄は少ない目、フェリチンも少ない。


 つまり貧血にはなっていないが材料たる鉄は少ないので、余裕がないともいえる。

 ちなみに血清鉄もフェリチンも鉄という材料の多寡たかを反映するが、前者が財布の中の現金、後者が銀行預金とオレは患者に説明する事が多い。

 血清鉄が正常かつフェリチンが正常なら、財布にも銀行にもお金が十分あるから心に余裕を持てるってもんだ。


 今回の場合、患者の訴える症状を重視すれば貧血が再発したということになる。

 治療はフェジンの点滴だ。


 しかし、検査結果を重視すれば貧血にはなっていない。

 つまりフェジンの点滴は無効なので、他に原因を探さなくてはならない。


 果たしてどうすべきか。


 オレは前者を選んだ。

 こんな時、検査結果よりも患者の訴える症状をオレは重視する。


 フェジンを点滴して2週間後に再検査を行う。

 ヘモグロビン、血清鉄、フェリチンともに正常になった。

 が、症状は全く改善していない。


 ということは別に原因を探さなくてはならないのだろうか?

 隘路あいろにはまり込むという言葉はこのような時に使うのかもしれない。


 そんな時、あることわざを思い出した。

「若者の不調はコロナ後遺症を疑え」というものだ。


 知らない間にコロナにかかっていて、ほとんど症状は出なかったものの、後遺症が長引いているのではないか、と。


 彼女の症状はまるで心不全だ。

 歩いていると息切れし、坂道はのぼる気がしない。

 建物の中でも無意識にエレベーターやエスカレーターを探してしまうのだとか。


 また2人の子供が通う幼稚園でもコロナで欠席する子がチラホラいるのだとも。

 検査はしていないものの、子供経由でコロナを貰ってしまった可能性は十分にありそうだ。


 そこで、オレは提案した。


「もう1~2ヶ月様子を見ましょう」と。


 次回は1ヶ月後に症状をチェックする。

 コロナ後遺症なら何も治療しなくても徐々に症状が改善するはず。

 そう提案すると彼女は非常に感謝してくれた。


 いやいやいや。

 オレにとっては医学的興味による答え合わせにすぎない。

 そんなに感謝されても困ってしまう。


 はたして次回の診察では彼女の症状はどうなっているのだろうか?


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