第784話 体重の減った女

 総合診療科に紹介されてくる患者に多い主訴は何だろうか?

 発熱、易疲労性いひろうせい、体重減少、浮腫など。

 直感的に原因の見当がつかないものが多いように思う。


 この中で特に嫌な気がするのが体重減少。

 というのも、最悪のシナリオが頭に浮かぶからだ。


 身体のどこかに癌があって体重減少していたとしよう。

 そいつを見つけられなかったら癌が進行するかもしれない。

 ようやく癌がみつかったとしても手遅れで患者が死亡してしまうこともある。

「誤診だ」という事で訴えられたら、どう反論すればいいのか。


 頭の中で想像する架空裁判では原告の主張だけ勢いがいい。


「もっと早期に大腸癌をみつけていれば死なずにすんだはずだ」

「いや、腹痛とか便秘などの腹部症状が全くありませんでしたから」

「でも体重減少があったじゃないか」

「うっ……。でも、どのような検査をしたら見つけられたのでしょうか?」

PETペットをしていたら見つけられたはずだ」


 答えを知っているから、原告は言いたい放題だ。


「PETは保険適用外です。自費でやるとなると10万円以上かかりますけど」

「命にかかわる病気だったら10万円なんて安いものだろう」

「それはそうですけど」

「やるかやらないかは患者の選択として、被告はその選択を患者に示したのか!」

「いえ、言ってません」


 後になれば、いくらでも正論は言える。


「なるほど、PETは保険適用外だから躊躇ちゅうちょしたというわけだ」

「そうです」

「なら、大腸内視鏡も保険適用外なのか?」


 なんという嫌らしい質問。


「大腸内視鏡は侵襲しんしゅうもありますし」

「保険適用かそうでないのか、それをいているんだ!」

「保険適用です」

「被告は先ほどPETは保険適用でないからすすめなかったと言ったわけだが、それなら保険適用である大腸内視鏡は勧めたのか?」


 思わず「勧めたか否かはカルテを見れば分かるでしょ。知ってて訊くんですか」と言い返したくなった。

 が、そんな事を言っても何の得にもならない。


「勧めてはいません。先ほど申し上げたように大腸内視鏡は侵襲が大きいので気軽に勧めることはできない検査です」

「では質問を変えよう」


 嫌な予感がする。


便潜血べんせんけつ検査も侵襲の大きな検査なのか」

「ぐぬぬ」


 便潜血は職場の健診でもやるくらい普通の検査だ。


「侵襲があるのかないのか!」

「ありません」

「保険適用外なのか?」

「保険適用です」

「じゃあ、どうしてやっていないのか」

「そこまで強く大腸癌を疑っていなかったからです」

「体重減少をきたす疾患の中に大腸癌は入っていないのか?」

「入っています」

「じゃあぐに大腸内視鏡をしないまでも、せめて侵襲のない便潜血を調べるくらいの事はしてもよかったんじゃないか」


 原告の悪意は別として、便潜血くらいはやっておいたら良かったのかも、と今になって思う。


「もし便潜血が陽性だったとしても被告は大腸内視鏡をすすめないのか」


 完全にめられた。

「勧めます」と言っても「勧めません」と言っても即座に終了だ。

 架空裁判だけど、想像しただけでジワッと冷や汗が出て来る。


 実は先日、体重減少を主訴とする患者が本当に紹介されてきたのだ。


(次回に続く)

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