第782話 続・あれこれ考える男

(第775話「あれこれ考える男 5」からの続き)


 再診に現れた男性にオレは尋ねた。


「ミオコールスプレーを試してみましたか」

「3回くらい使ってみました」

「それで効果の方は?」

「全然きませんでした」


 あらら。

 オレの目論見もくろみはこうだった。


・風呂に入る。

・胸の痛みが拡がる。

・ミオコールスプレーを使う。

・胸の痛みが消える。

・ミオコールスプレーが効いたということは、心臓が原因だったんだ!


 残念ながらミオコールスプレーは効かなかった。

 ということは心臓が原因である可能性は極めて低い。


 ならば胸壁きょうへき疾患か。


 幸いな事に再診までに胸部CTは済んでいた。

 画像を見るより先に放射線科医による読影所見を確認する。


「皮膚、骨、肺、大動脈に異常を認めず、胸痛の原因を指摘できません」


 そんな事いわずに、何か見つけてくれよ!

 肋骨にヒビが入っているとか、胸壁に邪悪な腫瘍ができているとか。


 でも無いのよね、何にも。


 オレは自分の目で1スライスずつ胸部CTを確認してみた。

 しかし、異常が有るのか無いのかすら見当がつかない。

 そもそも本職の放射線科医が見て正常だと断言しているものを素人のオレが分かろうというのが無謀だ。

 とはいえ患者の前なので、電子カルテの画面にCTを表示して詳細に見ているふりをする。


 そういや、先日の初診の時には痛い部分を何もていなかった。

 ここはひとつ自分の目で確認してやろう。


 ということで普段から鈍い痛みがあるという部分を露出してもらった。

 皮膚は特に問題ない。

 痛む部分を患者本人に指し示してもらう。

 ちょうど左乳頭の正中寄りかつ頭側寄りだ。


 オレは自分の指で当該部位を押してみた。


「痛てててて」


 肋骨の1ヵ所にピンポイントで圧痛あっつうのある場所がある。

 確信は持てないが、第3肋骨の肋軟骨ろくなんこつとの境界付近、いわゆる肋骨肋軟骨移行部だろうか。

 上下の肋骨には全く圧痛がない。

 ということは、この部分の骨にヒビが入っているのかもしれない。

 もう1度、目をこらして胸部CTを確認したが、やはり異常はなかった。


 そもそも肋軟骨というやつは単純レントゲンでもCTでも描出びょうしゅつしにくい組織だ。

 後で思いついたことだが、MRIや超音波検査が有用だったのではなかろうか。

 というのも高齢者によく見られる脊椎圧迫骨折の場合、陳旧性ちんきゅうせい骨折か新鮮骨折かの区別をつけるためにMRIが頻用される。

 だから肋骨骨折にもMRIが有用かもしれないというわけだ。

 また、超音波だと骨皮質こつひしつの連続性が途切れている所見が期待される。


 結局、肋軟骨の不全骨折ではないか、と言うところに話を落ち着けた。


 患者には「心臓や癌を含めて悪い病気が原因になっているわけではありません。おそらくは肋軟骨の不全骨折だから、しばらくしたら自然に治ると思います」と伝えた。


 すると患者からは2つの質問があった。

 1つは筋トレをしていいかってこと。


「肋骨に影響することはやめておいた方がいいですね。だからスクワットなら問題ないけれども、上肢の運動、例えばダンベルを持ち上げると言うのはやめたほうがいいと思いますよ」


 オレはそう答えた。


 もう1つの患者の質問というのは整骨院のことだ。

 普段行ってる整骨院ではうつぶせになって、背中や頚、肩を結構な力で押されるのだけど、それはいいのかってこと。


「それもちょっと肋骨に影響がありそうですね。だから痛いところに力が加わらないようにしたほうがいいと思います」


 オレがそう答えたところ、患者は胸の痛みを我慢しながらかよっていた整骨院を「当分の間やめておきます」ということだった。


「多分すっかり治るまでは行かない方が無難でしょうね」と俺は答えた。

 この患者の場合も3ヶ月後にどうなっているのかそれを確認しようと思う。

 それですっかり治っていれば、やはり肋軟骨の骨折だったのだろう。


 一件落着したところで診療の全体を振り返ってみよう。

 もし最短で診断をつけるとしたらどうするべきだったろうか。


 まず前胸部に自発痛があると言う時点で、その部位に何かあるかもしれないと考えるのが自然だ。

 その上で当該部位を指で押して圧痛を確認する。

 もし肋軟骨の不全骨折を疑ったら、その場で超音波検査を行って骨皮質の連続性を確認する。

 その上で「これは肋軟骨不全骨折ですね。しばらくおとなしく過ごしましょう」で終わりだったのかもしれない。


 かなり遠回りしてしまったが何事も勉強と経験だ。

 次に生かそう。


(「あれこれ考える男」シリーズ 本当に完)






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