第781話 手足の浮腫む女 4

(前回からの続き)


 さて、彼女の血液検査の結果はいかに?

 予想通り、ほぼ正常だった。

 どこも悪くない。

 心臓も、肝臓も、腎臓も、甲状腺も。

 健康すぎるくらい健康な30代の女性だったのだ。


 これは気を引き締めてかからなくてはならない。

 何か聞き逃した事はないか、見落とした事はないだろうか。


「今さらですけど、なんでヤーズの服用をやめたのでしょうか?」

「『そろそろ子供を作りたい』と言ったら『じゃあ中止しましょう』となって」


 なるほど。

 中止してからはクリニックに行ってないそうだ。


「それで、ですね。先生……」

「はい」

「また手足がれ始めたんですよ」

「ええっ!」


 なんてこったい。

 ホルモンバランスが一時的に崩れていただけじゃなかったのか?

 そのうち自然に治るはず、と信じていたのに。


「昨日の朝起きたときに手足の浮腫むくみに気がついて」

「何い!」


 わけが分からん。

 もう降参するしかないのか。


「一昨日に生理が始まったんですよ」


 もうやめてくれ。

 これ以上の情報が入ってきてもオレのショボい脳味噌では処理できない。


「もしかしてロキソニンが原因という事はないでしょうか」

「ロキソニン?」


 なんでまた。


一昨日おとついに生理が始まって。やっぱり痛いのが我慢できなくてロキソニンをのんで寝たんですよ」

「ちょっと待って。ヤーズをのんでいる間は生理痛がなかったけど、中止したらまた痛くなったって事?」

「そうなんです」

「もう我慢できないくらいなのでロキソニンに頼ったんですよ」


 ピコーン!

 オレの頭の中にあかりがともった。


 事実だけを順に並べてみよう。

 ヤーズを中止した、生理痛がひどい、ロキソニンをのんだ、手足が浮腫むくんだ。

 そういう事か。


「もしかしてロキソニンの副作用の中に浮腫ふしゅってあったかな」


 あわててスマホで調べてみる。

 なんと、添付文書に「浮腫・むくみ 0.59%」とあった。

 約200人に1人だからさほど頻度ひんどは高くないが、自分がている患者数を考えたら1年に何度か遭遇そうぐうしてもおかしくはない。


「ひょっとしたらロキソニンが原因かもしれませんね」

「やっぱり!」


 患者の解釈モデルというのはあなどれない。

 犯人はおそらくロキソニンだろう。


「生理はつらいですか?」

「それはもう!」

「じゃあ、ロキソニン以外の薬で対処しましょう」

「何かありますか?」

「カロナールがいいと思いますよ。どっちみち妊娠したらロキソニンは使えないし」


 ロキソニンをはじめとした非ステロイド性抗炎症薬、いわゆるNSAIDsエヌセイズは胎児の動脈管を収縮させる作用があるので、いずれにせよ妊娠中は避けるべきだ。

 それなら最初から別系統のカロナールの方が無難だろう。


 ちなみに動脈管というのは胎盤からの酸素に富む血液を胎児の肺動脈から大動脈経由で全身に送るためのバイパスだ。

 出産によって新生児の呼吸が始まると動脈管は自然閉鎖する。

 しかし妊娠中にロキソニンをのむと胎児の動脈管が収縮して胎児死亡に至るおそれがあるのだ。


 ということで、この女性。

 ロキソニンさえ使わなければ手足が浮腫むくむ事もなくなるだろう。


 それにしてもヤーズをやめたから浮腫んだのではなく、ヤーズ中止による月経困難に使ったロキソニンが浮腫の原因だったとは!


 とはいえ、本当にロキソニンが原因だったのかは確認する必要がある。

 そしてカロナールの効果も。

 だからオレは経過観察を提案した。


「フォローのための再診予約を入れたいのですが、いつ頃がよろしいでしょうか」

「じゃあ、3ヶ月後くらいにお願いします」


 おお!

 ここで不安を感じている患者なら来月とか来週とか、短いスパンでの再診を希望する。


 でも、3ヶ月先ということは、かなり自信があるのだろう。

 オレとしても不安で一杯の患者より、自信に満ちた患者の顔を見る方がホッとする。


「じゃあ、3ヶ月後に来てください。お大事に」

「ありがとうございました!」


そう言って晴れやかな表情で彼女は診察室を後にした。


(「手足の浮腫む女」シリーズ 完)

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